「海を飛ぶ夢」DVD脚本レビュー

「海を飛ぶ夢」映画チラシ★映画基礎データー★
「海を飛ぶ夢」
2004年 スペイン・フランス・イタリア映画
原作 ラモン・サンペドロ
監督 アレハンドロ・アメナーバル
脚本 マテオ・ヒル(「オープン・ユア・アイズ」)
出演 ハビエル・バルデム

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実在の人物ラモン・サンペドロの手記「レターズ・フロム・ヘル」を元に、
『アザーズ』のアレハンドロ・アメナーバル監督が映画化したスペイン映画です。
全身麻痺の障害を負った主人公に、
『コラテラル (2004) 』のハビエル・バルデム。
首から下が麻痺して 30年近く寝たきりの男性が尊厳死の権利を訴え続けた実話に基づいています。
ゴールデン・グローブ賞最優秀外国語映画賞に輝いた重厚なドラマでした。

撮影は『トーク・トゥ・ハー (2002)』のハヴィエル・アグィレサローベです。
アレハンドロ・アメナバールは監督・製作総指揮・脚本・編集・音楽の五役を務め
ています。
肢体麻痺の主人公の特殊メイクに『グラディエーター (2000)』
『めぐりあう時間たち (2002) 』ジョー・アレンと『ラスト サムライ (2003)』
のジェームズ・アレンというハリウッドでも“凄腕”で知られる二人が参加していると
知っていささか面食らいました。
ハビエル・バルデムの演技は“名演”を通り越して“怪演”に近いのですが、
特撮っぽい部分は皆無に見えました。
――と思ったら、何とハビエル・バルデムはまだ三十代だそうですね。
劇中では五十代を演じているわけですから驚きです。
懸念は他ならぬハビエル・バルデム本人にもあったようで、
アメナバール監督とともに二月かかりで役作りに取り組み、
特殊メイクの外見だけでは表現しきれない50代のラモン・サンペドロの
内面のエネルギーまで表現し切ったといいます。

ラモン・サンペドロ(ハビエル・バルデム)にとって、
生きることは自由を謳歌することだった。
太陽の光に照らされ、青くまばゆくきらめく故郷ラ・コルーニャの海。
船乗りとなってその海を渡り、世界中を旅してまわった青春時代。
その輝かしい日々は、25歳の夏の日に唐突に終わりを告げる。

1968年8月23日、岩場から引き潮の海へダイブしたラモンは、
海底で頭を強打し、首から下が不随の身となってしまう。

それ以来、実家のベッドの上だけが、ラモンの生きる世界となった。
そんな彼を、献身的に支える家族たち。
兄のホセ(セルソ・ブガーリョ)は、一家の生活を支えるために農場で懸命に働き、
ホセの妻マヌエラ(マベル・リベラ)は、
母親のような愛情を持ってラモンの面倒をみた。
そして、父のホアキン(ホアン・ダルマウ)と甥のハビ(タマル・ノバス)は、
詩を愛するラモンのために、
口で支えたペンで文字を綴ることができる手製の機械を作り上げた。
強い絆を持つ家族たちとの暮らしの中で、
心穏やかに過ごす術を身につけていくラモン。
しかし、あの事故の日以来、彼の胸には、常にひとつの疑問が渦巻いていた。
「自分は何のために生きるのか?」そして、事故から26年目を迎えた時、
ラモンはひとつの結論に達する。
自らの選択によって人生に終止符を打つことが、
自分にとって最も尊厳のある生き方ではないか、と。

最初にラモンが接触したのは、
尊厳死を法的に支援する団体のジュネ(クララ・セグラ)という女性だった。
ラモンの決断を重いものとして受け止めた彼女は、
自分ひとりでは望みを遂げられないラモンの死を合法的なものにするために、
弁護士フリア(ベレン・ルエダ)の援助を仰ぐ。

フリアが、助手のマルク(フランセスク・ガリード)とともにラモンの元を訪れたのは、
ラ・コルーニャに冬の嵐が吹き荒れた2月のことだった。
「死は誰にでもいつかは訪れる。なぜ死を恐れる? 感染しないのに」
そう言って優しく微笑むラモンの人柄に、深い感銘を受けるフリア。
2年前に不治の病を宣告された彼女にとって、
生と死を真正面から見据え、明晰に語るラモンの言葉は、強く心に響いた。

そしてもうひとり、ラモンの存在に心を動かされた女性がいた。
TVで放映された彼のドキュメンタリーを見て、
会いにやって来たロサ(ロラ・ドゥエニャス「トーク・トゥ・ハー」「靴に恋して」)だ。
近郊のボイロの工場に勤めながら、ふたりの子供を育てている彼女は、
「逃げてはダメ。人生は生きる価値があるわ」と言い、
ラモンに死の決意を翻させようとする。
そんな彼女に、
「君は挫折感に満ちた女で、人生の意義を見出すためにここへ来た」と言い放つラモン。
たまらずその場から逃げ出したロサだったが、
ふと我に返ったとき、彼女は、
ラモンが初対面の自分と率直に向き合ってくれたことに気づく。
「もう二度と、彼の選択を批判しない」という約束のもと、
ラモンと仲直りをしたロサは、
それからたびたび彼の元を訪れては、日常的な悩み事を相談するようになった。

あらすじをたどるとどうしようもなく暗い話に見えますが、
ハビエル・バルデムが演じるラモンが軽やかなユーモアを持った人物なので、
深刻、悲惨といった印象は無いです。
地顔がどういう人か知らないのですが、
ベッドに身を横たえて微笑むラモンはどこかマイケル・ケインに似た風貌です。
ラモンは大抵、微笑んでますが、
なぜ笑うと問われて、自分では寝返りひとつうてない者が涙を見せないため、
ときついことを言っています。
これはその通りとして、スクリーンの中で出ずっぱりの中年オヤジが、
ひたすら無愛想にしてられては映像的にも見苦しくなり、
セリフで語られたことが主人公に求められた演出要件のすべてでないことを
観客は頭に入れておくべきでしょう。

アメナバール監督は「レターズ・フロム・ヘル」を読んだとき、
完全なフィクションとして映画化しようと考えたようですが、
必要な情報収集を進める過程で、
「いったい事実の何が我々の興味を掻き立てずにはおれないかを
リサーチするうちに」事実とフィクションを組み合わせたドラマで描くよう
路線変更していったようです。
時間軸などに矛盾があり、より散文調の内容であった
マテオ・ヒル(「オープン・ユア・アイズ」)の脚本を横において、
アメナバール監督は潤色を進めていったようです。
マテオ・ヒルは事故にあって身体が不自由になる前の自由人であった頃のラモンに
愛着を感じており、
アメナバール監督は事故後、哲学などを多く読むようになったラモンに興味を感じたと
インタビューで述べています。
結果として、ラモンの過去を何一つ削らず映画は出来たといいます。

25歳の夏の海の岩場での事故のとき、
ラモンは、ほかの事に心奪われたまま海に飛び込んだというセリフがあります。
画面では当時の彼の恋人に視線を向けたままラモンはダイブし、
頭というより首の付け根を強打し失神状態だったものを、
運よく助け上げられたという風に見えます。

恋人はこの時の岩場に腰を下ろす姿が画面に登場するだけで、
あとは数枚の写真。
セリフなどは無く、彼女の人物像は明らかにされていません。
事故後、恋人は泣いて結婚しようと言い出したようですが、
ラモンは自分のことは忘れて、自身の人生を歩いてほしいと告げて
縁を切ったようです。
どうやらこの時のラモンの説得は成功したようで、彼女は
「他の男と結婚し、子を産み、母となった」といいます。
これらの話は女性弁護士フリア(ベレン・ルエダ)との語らいの中で出てきます。
のちにラモンはフリアと愛し合う仲となっており、
フリアと昔の恋人は髪の色が同じで、どことなく雰囲気が似通っており、
過去の古傷をえぐるというより
甘い感傷とともにいま目の前にいる美しい人を愛するといった風情です。

来日した監督はあくまでラモンの人間性に惹かれたのであって、
「尊厳死」映画を作るつもりではなかったと記者会見で述べています。
これはその通りで、
映画はむしろ隣人、家族を愛し思いやることの大切さ、
人生の美しさを歌い上げて入るように見えます。
ですから、
ドラマが終盤になっても死にたがっているラモンに違和感さえ感じます。
あれほど家族に愛され、
あれほど多くの友人に恵まれ、
若者、文化・知識人、宗教家等スペイン中のあらゆる人々が
彼について熱心に語り、彼の幸福を願い、
その言葉は確実に彼にも届いているはずなのに。
なおかつ「自分の人生には尊厳が無い」「無駄である」と彼の何が
言い切らせているのでしょうか?
私自身を含めて多くの人間は、
彼ほど人に愛され、思いやられているわけではないというのに!

映画の中でラモンは念をこらすと、
精神がベッドの上から抜け出し、タイトルどおり「海へ飛んでいく」のですが、
この場面はラモン・サンペドロの家と海までをヘリを飛ばして空撮し、
デジタル処理でプッチーニの歌曲とシンクロするよう編集されています。
これは生命そのものの輝きを感じる場面となっていました。
最後にフリアが出てきてふたりして抱き合うところは、
“生”が“性”になってしまっていますが。(爆)

監督の事前取材には当然、ラモンの家族に対するものも含まれていました。
事前に脚本を見せ了解を得た上で製作が行われていますが、
必ずしも家族は取材に協力的ではなかったといいます。
劇中でラモンが義姉マヌエラと確執があったりしたことが描かれているためです。
「義弟は人前で涙を見せることは無かった」とマヌエラ本人は
言っているそうですが、監督は事実関係とドラマ的リアリティは
別物としてハビエル・バルデムには泣いてもらったといいます。

フリアが発作で倒れる出来事が起きたのは、
彼女がラモンに、書きためていた詩を出版するように勧めた直後のことだった。
病院に見舞いにやってきたジュネに、
フリアは、治療法のない病への不安と絶望をぶちまける。
そんな彼女を、「恐れに流されないで」と諫めたジュネは、
ラモンから預かってきた手紙を手渡した。
そこに書かれていたのは、紛れもない愛の告白だった。
「同じ状況にいる者だけが、この地獄を理解してくれる。
でも君に会って、この地獄に生きる意味を見出した」
さらに、
「著作の出版に向けて、詩や文の手直しを始めた。君に戻って手伝ってほしい」
と続くラモンの言葉に、生きる目的と希望を見出したフリアは、
苦痛の伴うリハビリに懸命に打ち込む。

フリアが実は不治の病だったというのは、観客をかなり驚かせます。
ドラマのムードは一転し、ふたりして生きるための努力を始めるように見えるのですが、
フリアに代わり、ラモンの尊厳死を求める闘いは、
恋人同士になったジュネとマルクが引き継がれます。

が、バルセロナの法廷に提出していた訴えには、却下の裁定が下されてしまう。
そのニュースを報じるTVでは、
ラモンと同じ障害を負った神父が、
「ラモンが死を望むのは、家族に愛情がないからだ」とコメント。
それを聞いた家族たちは、激しいショックを受ける。
後日、ラモンを説得しようと訪ねてきた神父に、マヌエラは、
これまで抑えてきた思いの丈をぶつけた。
「あなたがTVで言ったことは、一生忘れない。
義弟は愛情に包まれて暮らしている。
私は彼を息子のように愛しています」と。

法廷の戦いは、国家権力との戦いというニュアンスがあり、
それはそれでドラマ上のクライマックスになっています。
そして神父との対決も宗教権力との戦いという意味で活気があります。

やがてめぐってきたクリスマスの季節。
ラモンの家に、妊娠7カ月目を迎えたジュネとマルクが訪ねてきた。
ジュネの大きなお腹に耳を押し当て、
命の成長に顔をほころばせるラモン。
そんな彼を喜ばせる出来事が、もうひとつ。
車椅子に乗って、フリアが戻ってきたのだ。
そのままラモンの家に滞在し、
著作を完成させる作業と取り組み始めたフリアは、
いまやはっきりと、ラモンと自分が分かちがたい絆で結ばれているのを感じた。
ラモンの夢想が現実になったのは口づけを交わした後、
フリアはラモンに言う。
「私もいつか植物状態になる。だからそうなる前に命を絶つと決心したの。
その前に、あなたが望むなら楽にしてあげる。一緒に旅立ちましょう」
思いがけない申し出に、感激の涙を浮かべるラモン。
ふたりは、ラモンの著作の初版が出版される日を、その旅立ちの日と決めた。

死に手を貸してくれる人がみつかったことは、
ラモンが裁判で闘う必要がなくなったことを意味していた。
しかし、「いつか後に続く人のためになる」という
マヌエラの言葉に心を動かされたラモンは、
あれほど嫌っていた車椅子に乗り、
地元ラ・コルーニャの法廷に出かけていこうと決意する。
法廷では、マルクが生死の権利と自由について力強く語り、
裁判官にラモンの発言の機会を求めた。
しかし裁判官は、その申し出を却下。
さらに、現行の法律では、死を幇助する者は罪に問われるという裁定が下る。

しかし、ラモンには、その裁定以上にショッキングなことがあった。
フリアが持ってくるはずの初版本が、郵送の形で届けられたのだ。

その夜、彼は家中に轟きわたるような声で号泣した。
「なぜ、みんなのように人生に満足できない? なぜ、ぼくは死にたいんだ?」
という叫びをあげながら。

ラモンとフリアは純愛ですが、フリアには夫がいるのでふたりは不倫関係になります。
夫のほうのセリフがまったく無いため、画面からはフリアが
突如ラモンを見限ったように見えなくも無いです。
「生きることは権利であって、義務ではない」というのがラモンの主張で、
それは法廷や神父を相手の議論では正論であろうと私たち観客も感じますが、
その先にある「だから、正しく生きるために自ら死を選ぶ」というのは論理矛盾を
起こしています。
その絶頂がラモン自身の号泣のように受け取れてしまいます。
私の言うことは間違っているのでしょうか!?

ロサから電話があったのは、その翌日のことだった。
ラモンを訪ねてきた彼女は、彼をまっすぐに見据えながら、
「手を貸してほしい?」と尋ねる。
ロサにとってのラモンは、
世界中でただひとり、自分の言葉に耳を傾けてくれる人
─ 優しく自分を包み込み、生きる力を与えてくれる人だった。

ラモンに正真正銘の恋愛感情を抱いていた彼女は、
いつまでも彼に自分のそばに居て欲しいと願っていた。
が、あの裁判の日、
「僕を本当に愛しているのは、死なせてくれる人だ」とラモンに告げられた彼女は、
ラモンの望みをかなえることで、自分自身の愛をまっとうする道を選んだのだ。

旅立ちの場所は、ロサの住むボイロの海の見える部屋。
車椅子に乗ったラモンが車に乗って出発する時、
別れを告げる家族たちの心は揺れ動いた。
息子を失う悲しみをじっと耐える父。
最後の瞬間まで、死の選択に反対し続ける兄。
涙をこらえ、必死で笑顔を浮かべようとするマヌエラ。
そして、去っていく車の後を、ハビはどこまでも追いかけた。

このあと、ラモン自身が自分をビデオに撮る場面が出てくるが、
そのビデオ実在し、後にマドリードのテレビ局に持ち込まれ、大部分が放映されています。
絶大な反響を呼びましたが、
番組を見たラモンの親戚は大いに怒ったそうです。当然ですよね。
フリアの協力により世に出たラモンの著作が本作の原作になります。

映画『 海を飛ぶ夢』は 2004 年 ベネチア国際映画祭
でアレハンドロ・アメナバールは、審査員大賞と若き映画賞を獲得し、
金獅子賞にもノミネートされました。ハビエル・バルデムは
主演男優賞を受賞しています。

映画『海を飛ぶ夢』はスペイン・フランス・イタリアの合作なので、
タイトル表示は
スペインとフランスではスペイン語で MAR ADENTRO。
イタリアではMARE DENTRO。
アメリカ、イギリスでは当初 OUT TO SEAというタイトルで公開されましたが、
ハリウッドに同名作品があることが判明し、
THE SEA INSIDEと改題されています。
ちなみに邦題の「海を飛ぶ夢』について感想を求められたアメナバール監督は、
「作品の詩的な部分を、うまく伝える良いタイトルです」と褒めています。



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