「北京ヴァイオリン」映画製作裏話

「北京ヴァイオリン」映画チラシ★映画基礎データー★
「北京ヴァイオリン」
2002年 中国映画
監督
脚本 チェン・カイコー
出演 タン・ユン リウ・ペイチー チェン・ホン
               

mixi(ミクシー)「独身社会人映画ファンコミュニティ」に入ろう!

独身社会人映画ファンML に入ろう!! [MLの詳細]
メールアドレス


ハリウッドに進出したチェン・カイコー監督が、舞台を再び中国に戻し、大都会で懸
命に生きる父子の絆と、彼らをめぐる市井の人々の心の機微をあたたかく見つめた
2002年サン・セバスチャン国際映画祭で最優秀監督賞受賞作「北京ヴァイオリン」です。

豊かに水をたたえた美しい風景と、人々の素朴な温もりが残る中国の田舎町。
そこに息子を一流のヴァイオリニストにする事を夢見て全てを捧げる貧しい父リウ
(リウ・ペイチー)と、父を愛しながらも顔も知らない母の面影を追い求める少年チ
ュン(タン・ユン)が住んでいました。
少年は母の形見のヴァイオリンを弾くのが得意でした。
二人はコンクールに出場するために北京へ行き、
そこで著名な先生の個人指導を受ける事になり、北京で暮らし始めます。
急激な変化を遂げる競争社会の大都会は、地方出身の少年の心に影を落としますが、
少年が奏でるヴァイオリンの旋律は、彼に関わる人々の心を癒してゆきます。
やがて少年は国際舞台に羽ばたく大きなチャンスをつかむのですが、
少年の出生の秘密が明かされ、愛する父との別れの時がやってくることとなります。
果たして少年が選択した道とは…?

冒頭に出てくる田舎の風景、江南の水郷、鳥鎮(ウーチン)が良いです。
主人公親子はここでも貧乏暮らしなのですが、それを別に否定的に描いている
わけではなく、少年期の美しい原風景として切り取られている。
水路で小舟の行き交う地方都市なんですが、イイとこですねえ。
溜息出るほど美しい、というのはオーバーですが。
ダサくなくて適度にエキゾチックだったりする。こう言うところが故郷だったら、
都会の垢にまみれても、自分にャ立派な田舎があるさ、と胸を張れる場所です。

そこから上京すると、最初に出てくる雑踏が北京駅だったりする。
見渡す限り人ばかりで親子してぼけぇっと見とれてるんですが、
これもまた否定的な感じはしていない。
活気があって何か凄いぞ。と期待させるものがある。

故宮の屋根にクラッシックの調べが被さる場面が結構イケてます。
チェン・カイコー監督は「覇王別姫」で故レスリー・チャンにカッコよく京劇を歌い
踊らせていますが、ここでも実にセンスのある場面作りが出来てます。


テレビ番組で、田舎から出てきた親子が都会でヴァイオリンの先生を探して歩くとい
うドキュメンタリーが中国であったそうです。それを見たチェン・カイコー監督は
「これはいける」と映画化を思い立ったとか。
小子化政策と改革開放政策の裏腹に出てきた市民の上昇指向が組み合わさった、
中国の今日的な問題が、ホームドラマのレヴェルで上手く切り取る事が出来そうです。

映画を見てて少し判り難かったのは、
少年チュンのヴァイオリンに対する思い入れの程度ですね。
父親のリウが無我夢中なので、芝居としては息子が寡黙でクールと言うのは良いので
すが、
本当のところ、彼がどの程度、ヴァイオリンが好きなのかが良く掴めないのです。
二人出てくる先生とのレッスンの様子などを見ていると、
父親に引きづられてやっているのではない、とは思うのですが、
“都会の大人の女リリ(チェン・ホン)”が相手の場面になると、
途端にぐらつきがあきらかになってくる。
ふたりのやり取りそのものや、リリの人物像はとても面白く
良く書き込まれていると思うのですが。

チェン・ホンはチェン・カイコー監督の奥さんだそうですね。
いやあ、若い女を中年監督が (^^ゞ
ひんぱんに携帯電話を使うところとか、
姿見にマニキュアで男どもの電話番号をじゃんじゃん書きこんでいくあたりとか、
いろいろ小道具を使ってます。

映画的に面白いのは、最初の先生のチアン先生(ワン・チーウエン)ですね。
猫だらけの部屋で、いつもおんなじ服着て、もしゃもしゃの頭でレッスンしている。
文化大革命のあと彼の様に挫折してしまった文化人というのが、結構いたようです。
皮肉屋で現実逃避気味。
情熱は遠き青春の思い出になってしまっている。
そういう人物を少年の傍らに置いてふたりをぶつけあわさせる。

監督自身が演ずるユイ教授は、
言ってることとやってる事が相反する人物なのですが、
すっかり自分のことは棚に上げてるみたいで、チアン先生とは対照的ないま風の文化
人という事なのでしょう。
主演タン・ユンは実際にヴァイオリニストを目指して音楽学校に通う学生で、映画初
出演ながら魅力のある子です。「虎ノ門」で井筒監督が「こびてないところが良い」
と誉めていた様ですが、私も同感です。チュンのヴァイオリンの演奏そのものは、劇
中のコンサート・シーンでも登場する中国の新進気鋭のヴァイオリニスト、リー・チ
ュアンユンが演奏しているそうです。ユイ教授にトイレで説教されていた太っちょの
彼です。

拝金主義に警鐘を鳴らすのは、チャン・イーモウ監督の「至福のとき」などがありま
す。
高度経済成長時代の日本で山田洋次監督が「家族」「幸福」などの作品を発表したの
と、
いまの中国の状況が似ているのでしょうか。
「北京ヴァイオリン」は「リトルダンサー」と比較される事が多い様ですが、
チェン・カイコー監督自身は「リトルダンサー」を「男の子のシンデレラストーリー
でしょう?」とそっけがない。
斜陽のイギリスであの映画が当たったと言うのは、もっと深いところで癒し、励ま
し、再生の願いを託すという意味があるはずですが、
猫も杓子も“イケイケどんどん”“大きい事は良い事だ”の真っ最中の中国では、
そこまで見てもらえない。
すこしネタばれっぽいので、改行しときます。




主人公がたとえ立身出世を遂げられずとも、“ボロは着てても心は錦”で人としての
志の清らかさを獲得できれば、人生の勝利者として称えている。
――もちろん、これは立派な事です。
しかし、「リトルダンサー」は少年より、むしろ少年を見守る周囲の大人たちの方が
テーマを背負っていると思っていますので、シンデレラストーリー呼ばわりはないよ
なぁ、と私
自身は思っています。
いって見れば、中国は四千年の歴史があっても、国際社会においてはまだまだ青年期
で、
中年の日本や老年のイギリスとはものの見方や考え方が違うのだろうと感じてしまう
のです。
「フルモンティ」「Shall we ダンス?」みたいな話は、
理解できないということはないでしょうが、真剣に語り合うほどのテーマではない、
と一蹴されてしまいそうです。


トップページ(映画製作裏話、映画と原作比較レビュー)に戻る。