「笑の大学」DVD脚本レビュー
★映画基礎データー★「笑の大学」 2004年 日本映画 監督 星護 脚本 三谷幸喜 出演 役所広司 稲垣吾郎 |
「笑の大学」の舞台は昭和15年。
日本は戦争への道を歩み始めていた。
演劇は規制され、台本も上演前に検閲を受けていた。
警視庁の取調室で、
“笑い”で飯を食う劇団・笑の大学・座付作家・椿一(つばきはじめ)(稲垣吾郎)
が出会ったのは、
“笑い”を憎む検閲官・向坂睦男(さきさかむつお)(役所広司)
だった。
向坂は椿が持ち込んだ台本に「笑」を排除するような無理難題を課していく。
「このご時世に喜劇など上演する意味がない」と公言する検閲官だけに始末が
悪い。
椿は、上演許可を貰うため、向坂の要求を飲みながらも抜け道を必死に考えて
いく。
薄暗い一室でふたりの男の戦いが続く。
三谷幸喜の「笑の大学」ははじめ94年に三宅祐司(向坂)、坂東三津五郎
(いまの八十助)(椿)でNHKラジオで放送されたラジオドラマ版があり、
96年に西村雅彦(向坂)、近藤芳正(椿)で舞台版が作られて初演されています。
舞台版はふたり芝居、一幕ものとして高い完成度を誇り、
その年の読売演劇大賞最優秀作品賞を受賞しています。
映画『笑の大学』の企画が立ち上がったのは98年。
96年の初演舞台を観たプロデューサーが、三谷幸喜に映画化を申し入れています。
三谷幸喜は、
94年の連続ドラマ『警部補 古畑任三郎』古畑の第一シリーズのメイン監督を務め、
「僕の生きる道」等の演出で知られる星護を監督に推します。
映画化に当たり、脚本は新たに書きおろされました。
その脚本で取調室以外の場面――
浅草の劇場街、取調室外の廊下、前室警官や戯作者達など
が新たに創られています。
メインとなる取調室は東宝スタジオ第1ステージにセットが建てられ、
浅草の劇場街も東宝スタジオにオープンセットが組まれました。
2004年1月に入るとリハーサルが行われ、1月22日クランクインしています。
映画の撮影は本来一台のカメラで行われるものですが、
この作品は人物二人の掛け合いが命のため、2人の俳優に向けて1台ずつの
2カメ体制で撮影されています。
複数のカメラを同時にまわす方法はテレビ的ですが、
バストアップワンショットや2ショットの寄り・ひきのショット、
吹替えなしの手元のショットなど、同じシーンのサイズ違いを
繰り返し撮ったそうで、結果的に通常の映画よりはるかに多くのフィルムを使
ったと聞きます。
それは俳優にとって大きな負担のかかる撮影となりました。
この丁寧な撮影は、役者の生理を細かく捕らえることに成功し、
特にスクリーンでの役所広司の演技のさえは見ものであります。
映画の掲示板を見ますと、役所さんを持ち上げる代わりに稲垣くんを叩いているものが
目立ちましたが、
それではちと稲垣くんがかわいそうです。
一見正体不明のつかみどころのない雰囲気が椿という人物の魅力です。
稲垣くんは素の部分を含めて十分、仕事をしていましたよ。
稲垣くんを推薦したのは三谷さん自身で「この年代で唯一作家のたたず佇まい
をもつ。クールさの中に秘めた熱さをもつ」というイメージ通りのキャスティングだそうです。
不器用でしたたかな作家役を鮮かに演じています。
掲示板では「笑った、笑った」という大量の書き込みと、
「誰が笑えるか」という少数の反発書き込みが見られます。
私は単純に笑った口です。
独りで見ても、連れ立って出かけてもかまわない映画だと思いますが、
楽しみたいなら、
笑いに対して妙なプライドを持っていない方と一緒に行かれたほうが楽しいでしょうね、
たぶん。
三谷さんは、本作を、少なくともこの映画をコメディとは捉えていないようです。
“コメディを題材にしたシリアスドラマ”とインタビューで答えています。
ですから最終的に笑いのめしてお仕舞いと言う話では、始めからないのですね。
星監督は、何か新奇な手段を使って演出する方法も模索したようですが、
結果的には正攻法が良いとして、室内セットに役者ふたりが向き合うオーソドックスな
構成となっています。
そして前半では、設定をキチンと提示するために比較的カメラワークの動きは少く、
ものがたりが躍動する後半では、
レール移動やズームアップのショットを多用しています。
照明についても、雨の日や夕景の日など7日間にバリエーションをもたせています。
特にクライマックスでは、窓から射し込む強い陽射しや動く陽射しなど、
登場人物の心情を象徴する光が意識的に作りこまれています。
星監督のこだわりは“アナログ”
――デジタル全盛の中にあって、今作は合成を一切使わず、
クレジットも含めて全て手作りに徹底したようです。
因みにエンドクレジットの下画に使われているポスターは、
昭和初期から戦前の実在のポスターを使用し、
映画の最後まで当時の世界観を大切にしています。
検閲という国家権力への反抗がテーマとも取れますが、
わたし自身が面白く感じたのは、向坂の変化、人間的成長の部分です。
椿と喧嘩を繰り返すうちにいつの間にか、
台本づくりに手を貸すこととなってしまう。
挙句、たち稽古の相手までさせられて、取調室をぐるぐる走り回る。
この汗をかきかき走り回るところが、
彼が爆発するところで、
生きる躍動感を感じられたのですね。
“笑いを憎む”なんて不幸な人生です。
彼は自分が不幸だということにさえ気が付いていない。哀れな男です。
それが笑うことを知る。
生きるということを感じて走り回る。
最後まで議論が続いたのは、映画オリジナルとなるラストシーンでした。
ねたばれ改行します。
喜劇作家椿一のモデルは、喜劇王エノケンこと榎本健一の座付作家菊谷栄とい
う人です。
当時のエノケン一座の名が「笑の王国」。
「笑の大学」はそれをもじった名です。
菊谷は検閲に泣かされながらも、エノケンの全盛期を陰で支えていました。
しかし、作家として最も輝いていた時期に召集され、
わずか二ヶ月後に戦死。享年35歳でした。
星監督は「観客が観終わった後の希望」を望み、椿が生きて帰って来るラストを提案、
三谷幸喜は「自分にとっての神、その人は生きて還って来ることはなかった。
それがとても重要なこと」と、椿の生還シーンを望まなかった。
結局、三谷案を前提に戦後の場面は採用されず、
劇中劇のままラストになるとか、戦場で終わるなどのラストが検討されたようですが、
星監督がロケハンで訪問された名古屋市役所、横浜の県庁前、旧富士銀行、開
港記念館、
小金井の江戸東京たてもの園など昭和初期の建造物のなかで、
昭和8年に建てられた名古屋市役所の100m近い廊下に強く惹かれ、ここで
向坂と椿の別れをラストシーンとするという案を出し、
実際に撮影されています。
エノケンは晩年、紫綬褒章を受けたときに、
菊谷栄の墓前で「自分は彼の代わりに受け取ったようなもの」
と語ったそうです。
現代喜劇の原型を創作した菊谷栄という才能と、その才を惜しんだ天才喜劇王の言葉が、
このドラマの原点となっています。
笑う、ということは、生きている、ということ、
笑う、とは、そこに命がある、ということ。