「男たちの大和/YAMATO」DVD脚本レビュー

「男たちの大和」映画チラシ★映画基礎データー★
「男たちの大和/YAMATO」
2005年 日本映画
監督脚本 佐藤純彌
出演 反町隆史 中村獅童

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2005年4月6日、
一人の女性・内田真貴子(鈴木京香)が鹿児島県枕崎の漁港を訪れ、
老漁師の神尾(仲代達矢)に北緯30度43分、東経128度4分まで
船を出してほしいと懇願してきた。
その位置は、60年前の昭和20年4月7日に戦艦大和が沈んだ場所である。
そして彼女は、自分が内田二兵曹の娘であると神尾に告げた。
「内田」の名に驚いた神尾は、まもなくして若い漁師・敦(池松壮亮)を伴い、
真貴子を乗せた小型漁船・明日香丸を東シナ海に向けて走らせていく。
まっすぐに前方の海を見据える神尾の胸に、
鮮やかに、そして切々と、60年前の光景が甦っていく……。

昭和16年12月8日、日本軍の真珠湾奇襲によって始まった太平洋戦争は、
はじめ日本軍が優勢であったが、
17年6月のミッドウェイ海戦でアメリカ軍に大敗を喫し、以後形勢が逆転してしまう。
日本軍は制空権を失いはじめ、連合艦隊司令長官・山本五十六大将の戦死。
アッツ、マキン、タラワなど太平洋各地の島々の守備隊は玉砕。
その後も日本軍は劣勢を強いられ、じりじりと追い詰められていく……。

そんな昭和19年の春、
神尾(松山ケンイチ)、伊達(渡辺大)、西(内野謙太)、常田(崎本大海)、
児島(橋爪遼)ら特別年少兵をはじめとする新兵たちが、戦艦大和に乗り込んできた。
その巨大な威容に10代の少年たちの目が輝く。
大和は彼らにとって憧れであり、希望の象徴でもあった。
しかし、その驚きと喜びも束の間、乗艦した彼らを待ち受けていたのは、
厳しい訓練の日々であった。
そんな中、彼らは烹炊所班長の森脇二主曹(反町隆史)や
機銃射手の内田二兵曹(中村獅童)に、幾度か危機を救われることがあった。
内田と森脇は配属こそ違え互いに気心の知れた仲であり、
大和の下士官の中でも異彩を放つ魅力的な存在であった。

同年10月、レイテ沖海戦に出撃した大和はアメリカ軍の猛攻を受けた。
初の実戦に戸惑い脅え混乱する特年兵たちを、森脇が叱咤激励する。
5日間の戦いで連合艦隊は、
武蔵をはじめとして戦艦3、空母4、巡洋艦9、駆逐艦8、潜水艦6隻を失った。
残った艦艇の傷も深く、
ここに日本海軍の連合艦隊は事実上壊滅してしまった。
大和の乗組員たちも多数死傷した。
内田も左目に重傷を負い、シンガポールから呉の海軍病院に移され、
大和の任務からも外されることとなった。
昭和20年3月、日本の敗色が日増しに濃くなっていく中、
東京が大空襲に遭い、続いて名古屋、大阪、広島、
そして沖縄の全飛行場に向けて米軍の猛爆撃が開始された。
そんな折、大和の乗組員たちに出撃前の上陸が許される。
全員が、これが最後の上陸になることを覚悟していた。
森脇の計らいで、思いがけず実母ツネ(高畑淳子)との再会が叶った常田。
故郷の母サヨ(余貴美子)に最後の仕送りをした後、伊達、児島と共に写真を撮った西。
伊達は写真館の主人に、できた写真をそれぞれの実家に送るようお願いする。
そして神尾は、恋人の妙子(蒼井優)から
母スエ(白石加代子)が空襲で死んだことを知らされた。
翌日、男たちはそれぞれの想いを胸に大和へ戻っていく。
上陸桟橋から内火艇に乗り込んだ唐木(山田純大)は、
もう会えないと諦めていた妻子の姿を陸に見つけ、別れの叫びを発した。
艦内には内田の姿もあった。
彼は軍規違反を承知で病院を抜け出して、
恋人の芸者・文子(寺島しのぶ)と別れを告げた後、ひそかに艦に乗りこんでいたのだ。

同年4月1日、ついに米軍は沖縄上陸作戦を本格的に開始。
4月5日、草鹿連合艦隊参謀長(林隆三)は、
大和の沖縄特攻の命を伊藤第二艦隊司令長官(渡哲也)に下す。
有賀艦長(奥田瑛二)から艦隊命令を通達された乗組員たちは、
臼淵大尉(長嶋一茂)に諭され、それぞれの立場で「死二方用意」を始めていった。
4月6日、いよいよ大和以下10隻の艦隊は出航した。
まもなくして、敵潜水艦が暗号も使わずに大和の動きを逐一基地に報告していることを
知った伊藤らは、偽装航路を中止して進路をまっすぐ沖縄に向け、南下していく。

そして4月7日、
ついに鉛色の雲の彼方から米軍艦載機の大群が大和に襲いかかっていった。
大和の46cm主砲が、副砲が、高射砲がこれらを迎え撃つ。
乗組員たちの最後の戦いが始まった……。

くだらない話でもなければ、つまらない映画でもなかったですが、
漠然と期待していたものとはビミョーに違ってたですね。
上映開始前に劇場に着いて、
始まるまで並んで待ってました。
私の前に並んだ大学生だか若い社会人だかの男二人連れが、
この映画を“男の友情”プラス“タイタニック”みたいな映画じゃないかと、
話し合って盛り上がってました。
テレビ予告で長淵のテーマ曲を聴いても具体的な映画のイメージが浮かばないまま、
劇場に行きましたが、
私自身も、中村獅童と反町の男同士の臭い芝居と派手派手な轟沈シーンがウリなら、
まあ、二時間つぶして損は無いかな?
くらいに思って席に着きましたが、
実際の映画の方は、“8.15シリーズ”に“プライベート・ライアン”の
アクション場面を繋いだような感じです。
戦闘場面になると、カメラがガタガタ揺れて、爆発、怒号、血しぶきの連続で、
何が起こっているのかほとんどわからなくなり、
またワザとコマ落しして動きがカクカクする画面に、
更にデジタル処理で“汚し”を入れているので、
大画面にもかかわらず、画面全体が至極不鮮明です。
それが二十分から三十分ほど続いて、そのままドカーンと大和は爆沈してしまいます。

一甲板員の目線で空襲を体感するとこんな感じ、というのを、
見せてくれるのですが、
大和は数回に渡って米軍機の波状攻撃を受け、速度を落としつつ
右舷側から徐々に沈没していった筈ですが、
一回の空襲で沈没してしまったように見えますし、
魚雷攻撃より、機銃掃射の方が被害が大きかったように見えます。
ダダダダッで戦艦が沈んでしまったら大変ですが、
でもあれではダダダダッで沈んでますね。
190mもある船首から艦橋までの実物大の甲板セットを尾道に作ったようですが、
あくまで戦闘場面では空からの機銃掃射と対空射撃の場面だけに使われていたようです。

浸水で船体が傾斜して、バラストタンクに注水し水平に戻す、
というのはセリフでは出てきますが、
甲板が傾いたり、それが元に戻ったりという描写は無いです。
ウラを取ってないので違っているかもしれないですが、
このバラストタンク注水による傾斜復元機能は、帝国海軍の大型艦船では
大和、武蔵だけがもつスーパー性能だったようで、“不沈戦艦”の異名をとった技術的な
根拠となる部分です。
タイタニックは隔壁を持った本格的な大型客船のはしりで不沈客船の異名を取りました。
船体を数十の隔壁で間仕切りし、一部が浸水してもハッチを閉めれば他に浸水が進まない、
というハイテク機能がありましたが、氷山は舷側を舐める様に切り裂き、
浮力を保持する隔壁数を一挙に超えて同時浸水が起きたため、沈没しています。
キャメロンの大作は、その舷側が衝突の瞬間まとめて壊される様子や、
隔壁構造に関する技術的な解説などが十分満たされている為、
不沈客船が何故沈んだかが、見れば判るように演出されています。

ミニチュアの艦橋が倒れるといきなり、傾いた甲板を転げ落ちる水兵が出てきます。
ゆっくり傾くのではなくて、突然滑り台が出てきて、坂を滑り落ちてます。
こっちは尾道のオープンセットとは別に、
東映の撮影所内の特設プールにスロープを付けて撮影しているとのこと。
あれは船の前の方のつもりなんでしょうか? 後ろの方なんでしょうか?
位置関係がさっぱりわかりませんし、演出で説明する気もないみたいです。

昔「戦艦大和ノ最後」が終戦記念日ドラマとして民放で、
単発ドラマになったことがありましたが、
あっちは無電室の技師が主人公のひとりで、
浸水する艦中央の隔壁内に閉じ込められ、溺れ死ぬ寸前で、
第二砲塔真下の主砲弾薬室に引火、砲弾が誘爆して、
船体が二つに裂けた瞬間、船体の外に放り出されて生き永らえるという皮肉を
スペクタクルとして描いています。
ええとつまり、何が言いたいかというと、
誰の目線で描くかによって、
大和という戦艦の最後がどんな風であったかが違って見えてしまう、
ということです。

タイタニックは、沈没場面をいろいろな脇役の立場から描き、
特に主人公のデュカプリオには船底から甲板まで執拗に何往復もさせ、
更に船首から船尾へ行きつ戻りつしているため、
豪華客船が時間経過とともに次第次第に沈没していく様が、
三時間の上映時間中たっぷり二時間半かけて丁寧に描かれています。
二十数分で海の藻屑にしなきゃならなかった大和とは大違いです。

原作の辺見じゅん著『男たちの大和』は、
「大和」の生存者遺族への粘り強い取材を経て完成され、
その視線は徹底して下士官たち、
そして彼らの残された家族である市井の民に向けられている、
といいます。
「大和」の実像を艦橋から見下ろすのではなく、
艦低から見上げたものとして浮き彫りにした、
従来の戦記ものとは一線を画したドキュメントであり、
昭和59年第3回新田次郎賞を受賞しています。
つまり、原作の主旨からして沈没の全貌をマクロに描くつもりは無かったのですね。
そこが原作及び映画の特徴とするところであり、テーマであり、
でももしかして戦場ロマンを期待して劇場に出かけた観客をまったく裏切る
原因でもあります。

監督・佐藤純彌は、
『人間の証明』『空海』『植村直己物語』『敦煌』など数々の大作を演出しています。
この人の演出はえらく大味で、
『お露西亜国酔夢譚』では、
江戸期にユーラシア大陸を横断するほどの大冒険を成し遂げた日本人を
ただの“さびしんぼう”に卑小化してしまっていましたし、
『敦煌』では失われたシルクロード文明にはさっぱり興味も見せず、
そこいらのラブストーリーに貶めていたですし、
『植村直己物語』に至っては、主人公を社会的落伍者と看做して
“人間を描いた”ことにしちゃったという“大胆な演出”を繰り返していますが、
この「大和」に限っては、その大味振りがプラスの方向に作用しています。

とても誉めているように読めないかもしれないですが、
最後の出撃、そのものは“どかーん”一発でケリを付けてしまって、
少年兵がランチで大和に連れてこられて、
甲板掃除からひとつひとつ鍛えられて、
ある日突然、血みどろの戦場に放り出される姿が、
見れば判るという風に単純化されて描かれています。

東宝得意の“8.15シリーズ”は戦史に題材を取ったミニチュア特撮映画でしたが、
ここでは実物大の甲板セットを作って、
這いつくばった少年たちにブラシで磨かせるところから撮影しています。
尾道に作られた巨大セットは、戦闘シーンの為に作られたのではなく、
水兵さんたちの、飯食って、寝て、訓練して、喧嘩して、泣いて、笑って、
生活する舞台として用意されたのです。

“鉄(くろがね)の城”のような巨大戦艦は述べ7千人にも及ぶ乗組員たちの家であり、
仕事場であり、死に場所です。
そうした戦時下海軍艦船のあたりまえの日常を、
初めてまともに映像化した稀なる映画がこの「男たちの大和」でした。

主人公のひとり森脇兵曹(反町隆史)は、大和の炊事班の班長です。
コンクリートがこねれそうな飯炊き釜が画面に登場して、
男たちが全力で飯炊きをしています。
「戦艦は石油で動く、兵隊は飯で動く」が彼の口癖です。
“同じ釜の飯を食う”三千人全員がひとつのおおきな家族なのだという前提に立って、
作品世界が構築されています。

もうひとりの主人公、内田兵曹(中村獅童)は対空砲座の指揮者です。
針山のような無数に空に突き出た砲台のなかの、
たったひとつの銃座が彼らの死に場所です。
銃座の左側の担当が水平方向に動かし、右側の担当が上下角を合わせるというのを
教える場面が出てきます。
可動する銃座を作って甲板セットに載せての撮影です。
もうひとつ、稼動する高射砲も作られ、やはり新兵がしごかれる場面で出てきます。
大砲に装てんする砲弾は、
起重機とマンパワーの両方で弾薬室から砲台へ運び上げられています。
新兵は手渡された砲弾の重さに耐えかね、教官に床に落として竹刀だか木剣だかで、
ひっぱたかれます。
「貴様、全員を殺す気か!?」

森脇も内田も新兵達の兄貴分ですが、ちょっと良い奴過ぎますね。
しごかれる側の新兵達も結局パノラマ的に配置して描いてしまっている。
まあ、これまでの8.15シリーズがそれ以下の出来なので、
この作品はましな口ですけど。

神尾たち特別少年兵が志願兵だという話は正確には知りませんでした。
「三反百姓(水のみ百姓)には現金収入がないから」というのが志願の理由です。
海軍から貰った月給を、故郷の母に送っています。
世界最大の戦艦を建造する技術力がありながら、
十五、六の少年が一家の生活苦の為に軍人にならねばならない。
―昭和19年頃の日本は、そんな国だったということを
私達は歴史の教科書で教えてもらっていたでしょうか?

幼馴染、最後の妙子(蒼井優)と出撃前最後の上陸の別れのバス停のところは、
ふつーに泣かせますが、彼女がのちに原爆の被爆者になって神尾と病院で
再会すると言うのは、設定的にあざと過ぎますね。
空襲で死んだ神尾の母のことも同じで、
かえって感情移入しがたくなってます。

老人となった神尾の仲代達矢の芝居は例によってくさい限りですけど、
神尾とともに大和沈没点に向かう新米船員の前園(池松壮亮)が出てくることで
希望の持てるエンディングになってます。

クレジットを見ますとかなりの数の海上自衛隊の艦船が撮影に協力しているようです。
映画のはじめの方に出てくる艦の数だけでは計算が合わないなと思っていたら、
ランチで大和に乗艦する水兵さんたちは、自衛官のみなさんだそうです。
彼らが艦内を案内されるところで出てくる機関部も実際の護衛艦のものです。
面白いのは大和の合成素材で、
尾道の大和のオープンセットにブルーバックで合成した海の白波は、
洋上の護衛艦を撮影して、船のシルエットを消してデジタル合成したものだそうです。
こうすれば陸の上のセットが九州沖を進む戦艦に見えるわけです。
呉で2005年4月にオープンした大和ミュージアムには、
全長26メートルの「10分の1」の大和が展示されていますが、
これもオープン前の二月に撮影され合成素材として使用されているそうです。
ミニシュアを作る手間が省けてますね。笑


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