「黄泉<よみ>がえり」
★映画基礎データー★「黄泉<よみ>がえり」 2001年 日本映画 監督:塩田明彦 脚本:犬堂一心 塩田明彦 出演:草なぎ剛 竹内結子 |
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映画と原作比較レビュー「黄泉がえり」はここ。
へんてこなタイトルは当然当て字です。
普通に文字変換すれば「よみがえり」は「蘇り」と出てくる。
それを「黄泉の国」に引っ掛けて、「黄泉<よみ>がえり」と読ませたところが
梶尾真治著(新潮社)の原作の妙です。
このHPで主催するメーリングリストの参加者が広辞苑で調べたところ
「蘇る」は、もともと「黄泉からかえる」という意で、「生き返る」ことを
示しています。
ま、「蘇り」の語源から作者は引っ張ったと言う事でしょう、この題名。
九州、阿蘇地方。死者が次々に甦り、家族のもとに帰っていった。
事の次第を調査するために同地を訪れた厚生労働省の川田平太(草なぎ剛)は、
死者たちに接するうちに、久しぶりに再会した橘葵(竹内結子)のために、
彼女の死んだ恋人を甦らせることを決意する…。
一人の人間が生き返ってしまう話は、
「天国から来たチャンピオン」など枚挙にいとまがありませんが、
これは謎の隕石落下(?)で阿蘇山周辺で何百人規模
(劇中で数字が挙がってないので不明ですが、何千人規模かも)
で復活してしまう。
まともに考えれば全世界騒然の大ニュースですが、
それは日本政府だって馬鹿ではないので、情報規制くらいは掛けて大した騒動にはなりません。
というか、
「ノストラダムスの大予言」のような話とは狙いどころが違うので、
学術的な裏付けとか、マスコミ規制とかはドラマに破綻を招かぬ程度
ごく最小限しか描かれていません。
主人公、川田平太(草なぎ剛)の個人の体験、彼の直接接した人々の運命に寄り添う
ファンタジーです。
草なぎさんの静かな演技はイイですね。
塩田明彦が監督しています。
「害虫」「どこまでもいこう」「月光の囁き」「ギプス」等、
”濃い目”の作風で知られたカリスマ監督ですので、東宝メジャー映画の演出が
勤まるとは少々意外でした。
作品にも 塩田カラーはほとんど出ておらず、映画の掲示板などを見ても、
「草なぎ剛と竹内結子が泣ける」「柴咲コウ歌うまい」とかそんなのばかりで、
塩田監督の話題はほとんどありません。
これにはちゃんと理由がありまして、
監督に塩田さんの名が挙がる前に『金髪の草原』の脚本・監督を務めた犬堂一心
が脚色に取りかかり準備校が書きあがっていたようです。
(塩田監督も脚本に名を連ねていますが、3人の脚本担当の内の一人)
主役2人を囲む人々に
哀川翔、山本圭壱、伊東美咲、忍足亜希子、寺門ジモン、伊勢谷友介、北林谷栄、田中邦衛
等が出ていてアンサンブルを奏でているので、
別に大泣きするような映画ではなかったな。
わりとすっきりさわやかな後味でしたが。
キャストと言えば、他に柴咲コウ演じるRUIという歌手がいて、
こいつは亡くなったプロデューサーで恋人でもあるSAKU(村井克行)を
強い思いでよみがえらせたカリスマ歌手ということになっている。
劇中のステージで「月のしずく」で歌い上げているのですが、
この「月のしずく」がオリコンのベスト10に入ってしまって、
柴咲コウは、RUIの名で最近歌番組にも出てます。
司会のSMAPの中居くんに「おいしーじゃん!?」といわれて、
「中居さんに言われたくない」と反論してましたが。
単純に泣けるのは田中邦衛のエピソードです。
聾唖の奥さんが出産で亡くなって、娘が聾唖教室の先生になっている。
黄泉がえった母子が抱き合うのですが、ほとんど手話で芝居を見せている。
逆に痛い話もあって、自殺した中学生が、自分の葬式で生き返って、
焼香に来たクラスメートに悲鳴を上げられる。
いやいや登校すると、自分の机に「馬鹿」「死ね」などと落書きの限りを尽くされている。
いじめで死んだ奴が、
何も解決していない教室に、生きて戻ってきて、同級生等と気まずく相対する。
セリフがほとんど無いので良くわかりませんが、
北林谷栄のばあちゃんが、三十年、四十年ブリだかで生きかえった小学生の息子と
対面するのですが、子供の方は自分の母親だと思わなくて逃げ出します。
母親の方は「どうして逃げる?」と追いかけます。
時間の経過に関わり無しに復活するのですから、こういうパラドックスもあるわけです。
パラドックスを逆に夢のあるファンタジーに昇華させているのが、
年齢の逆転してしまった兄弟の話です。
30前後の弟が、ティーンの兄貴に励まされて男泣きする場面は良いです。
更に兄貴の15歳のバースディを皆で祝うところがあって、いいはなしだなぁと。
が、その場面で隕石からのメッセージ(?)が黄泉がえった人達に届きます。
彼らは阿蘇から外に出ることは出来ないし、
復活は3週間で終わると言うことが明らかとなります。
遺伝子レベルの調査のため福岡に向かうこととなった黄泉がえりの3人が、
急行電車の車中からバーッと消えうせて、阿蘇に現れる。
同行の草なぎと一緒の医者やら村役場の役人やらが悲鳴を上げて
「彼らは人間なんですか!?」
とにかく人智を超える何者かの力は人間の科学力なんぞ歯牙にも掛けぬのですね。
原作を読んだわけではないので、
当て推量ですが、隕石は別に人間の復活をプログラムされて
阿蘇に送り込まれたものではないと思いますね。
小松左京の「首都消失」で東京が巨大な雲に覆われてしまって、
外部と連絡が効かなくなると言うSFがあるのですが、
この雲は異星人の宇宙観測装置ではないか、という推定が下されています。
ただの無人観測機なのですが、数キロの観測規模を持ち、偶然大都会に着陸したために
大騒動になる。
隕石もまったく別の無機的な理由で地球に送り込まれたものが、
たまたま死者を慕う人の心に反応して有機物=人間を合成したのでは?
ま、こんな設定はどうでもいい話です。
故意か偶然か、黄泉がえってしまった故人らと再会した人達が彼らとどう向き合い、
何を得て、何を失ったかの話です。
ネタばれ改行です。
哀川翔が奥さんの脳腫瘍の手術を了承してしまって、問い詰められて
「判らないけど、わかるんだ」といってます。黄泉がえった人には人の生死の行方がある程度
読めるみたいなことを匂わせてますが、ちょっと強引な展開です。
竹内結子が最後に消える場面は、特撮特撮していてあんまし好きじゃないですね。
もっと別の見せ方は無かったのでしょうか?
どちらも作品全体の評価に関わるところではありませんが、
気になるといえば気になる場面です。
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