ともちゃん。

今回はマジメに幼馴染のおはなし。

私には「ともちゃん」とゆう幼なじみがいる。
出会った時のことは覚えてないけど、幼稚園に通う頃には大の仲良しになっていた。

私は中野区で生まれた。
1970年代当時、まだまだ下町風情たっぷりの中野区は、お隣ご近所のお付き合いがあり、子供達もだれかれともなく路地に集まり、ロウ石で絵を描いたり、駄菓子屋で遊んだり。そんな時代を私はともちゃんと過ごした。

同じ歳のともちゃんは、私よりも4ヶ月早く生まれ、背も高くとてもかわいい顔した女の子。
なのに、いつも、近所のガキ共の中で威張ってるのは私だった。
父が言うには3.4歳の頃にはすでに、棒を片手に家の前に立ち、道行く人に「名を名乗れ」と絡む、とてもヤンチャな女の子であった。(え?やんちゃ?)
当時の子供達はとてもシビアで、公園の縄張り争いなんかもあったりして、私とともちゃんが、その交渉役みたいなのもやっていた。

ヒマが出来ると
「とーもーちゃーん、あーそーぼ。」
「みっちゃーん、あーそーぼ。」とお互いの家の前で大声張り上げてた。

私達の家のすぐ近所に立派な家があり、そこに2歳くらいの赤ちゃんがいた。
赤ちゃんの両親は仕事でか不在がちで、昼間はおばあちゃんが面倒をみていた。
私達は、よくそこに遊びに行ったりしていた。
別に赤ちゃんと遊びたかったわけではない。そこに行くと色んなオモチャやお菓子を出してくれるので、それに惹かれて行っていたんだと、今にして思う。
かな〜り、ズル賢い悪ガキだった。
その反面、素直な面もかなりあった。
幼稚園の先生にと、お花を摘んだり、母親にお揃いの衣装を作ってもらい町内のお祭りノド自慢で、ピンクレディをやったり。

そんな私達も、お互いの事情で引越し、小学校2年生の時にバラバラになってしまった。
普通なら、ここで縁が切れてしまうんだと思う。
だって、小学校2年生と言えば、バリバリ鼻タレ小僧じゃないか。

私達は違った。文通を続けた。
努力家で女の子らしいともちゃんの字と、おおちゃくで小汚い私の字とのやりとりである。
普段、会ってない分、好きな人のことなど色んなことをお互い書いた。
二人が住んでいるところは、子供だった私達にはあまりにも遠く離れていて、会うことはなかなか出来なかった。
それでも、二人の縁は切れなかった。

小学生の時、中学生の時、高校生の時、1,2回会えたかな?くらいであった。

今、私達はお互い結婚し家庭を持ち、30歳になった。
結婚は私の方が先で、子供はともちゃんが先だった。
数年前の結婚式のともちゃんはピカイチに綺麗で幸せそうだった。自分のことのようにスゴクスゴクうれしくなったっけ。

今も、そうチョクチョク会えるわけではないけれど、子供の時に遠かった距離も大人の私達には近くなった。今はメールも車あるし。便利な世の中である。

寿命80年時代である。
そー考えると、私達の友情はあと50年は続くのだ。スゴイぞ。
幼稚園の頃、ともちゃんがゴハンに牛乳かけてるのを見て、ショックを覚えた時から考えると、
75年だ。スゴイぞ。

これからも、大好きな大切な幼馴染のともちゃんを大事にしていこうと思う。
そして、幼くはないけれど、今の友達大切にしていこうと思う。

う〜ん。今回はスゴクええ話やのぉ。