
安藤佐和子&渚美智雄
安藤「『泥棒成金』は、ヒッチコック監督の1955年(昭和30年)の映画ですね」
渚「ヒッチコックが積極的にカラー映画を撮り始めた最初期の映画でしょうね。南仏リビエラを舞台にした観光映画のようなまぶしさです(笑)」
安藤「アカデミー撮影賞の受賞作ですね。本当に目を楽しませてくれる映画ですよね」
渚「ヒッチコックといえばサスペンス映画の巨匠ですが、サスペンスといえば、モノクロ映像が似合うんです。『レベッカ』とか『見知らぬ乗客』とか、ヒッチコックはモノクロ映画の達人でもあったわけで、この映画を契機にカラー映画を基本スタイルに変えた。サスペンスという自分の文体を捨てたわけじゃないんですが、映画界全体でカラー化が進み、モノクロ映画はB級映画のような先入観をもたれたことが原因かもしれませんが・・・」
安藤「どうせカラーで撮るなら、いっそ風光明媚な観光地でロケすれば観客サービスになると・・・(笑)」
渚「それでいて基調はミステリーサスペンスですから、豪華なヴィジュアルを背景にしたダークな世界という独特のスタイルが生み出されました」
安藤「渚さんは、それをSSS(スリーエスサスペンス)と名付けられましたね。サイトシーイングサスペンス・・・“観光サスペンス”映画ですか・・・」
渚「『泥棒成金』を皮切りに、『知りすぎていた男』(1956年)、『北北西に進路を取れ』(1959年)と続いて、私はこの3本をヒッチコックのSSS三部作と言うております(笑)」
安藤「このパタンは、その後の映画においてひとつのジャンンルとして定着したのね。あの007シリーズの傑作『ロシアより愛をこめて』はイスタンブールを起点にバルカン半島を横断し、アドリア海を横切りベニスに逃げ込む物語でしたし、トム・クルーズの『ミッション・インポシブル』シリーズも世界中の観光地が次々に舞台になる(笑)」
渚「観客は、世界的観光地を旅する気分とサスペンスの面白さと派手な活劇という三つの要素を一本の映画で堪能することになる・・・」

安藤「でもだんだん、フィルム・ノワール調の映像になって風光明媚とはいかなくなる・・・。あの有名観光地も一歩路地に入ればこうなのか、というリアルな感覚を出すようになりましたね。『ダヴィンチ・コード』なんか、そっちへ行き過ぎた(笑)」
渚「やはり。観光地へのリスペクトと憧憬を大切にしなければいけません。そこがヒッチコックの偉い処ですよ(笑)」
安藤「南仏は世界のリゾートですからね。ヒッチコックはここを舞台にした犯罪は宝石泥棒がぴったりだと考えた」
渚「そして、ヒッチコック好みのブロンド女優にダイヤのネックレスを付けさせる。風景だけじゃなくて女優をゴージャスでエレガントに見せてくれます。この映画のグレイス・ケリーは最高に美しいですからね」
安藤「前年の『裏窓』(1954年)で彼女に出会い、ヒッチコックは夢中になった(笑)。だから続けざまにヒッチコックは彼女を起用してこの『泥棒成金』を撮ったわけです。『裏窓』みたいな安アパートの汚れた世界じゃなく、陽光きらめく南仏に持って行って彼女の美しさを堪能したのよね」
渚「でもそれが彼女の運命の転換になった。この映画の翌年(1956年)に、モナコ公国のシーニエ大公の求婚を受け入れて同国の王女になってしまった。二人の出会いがどこで始まったのか分かりませんが、この映画の撮影中とも、試写会ともいわれてますがね・・・真相は不明。グレイス・ケリーは映画界を引退してしまい、ヒッチコックはこの最愛の女優を失ってしまったのです」
安藤「その後も何度もオファーしたらしいのね。でも一国の王室の王妃ともなると、映画出演など許される訳はない・・・。ヒッチコックは無念だったと思うわ。特に後の『めまい』は彼女で撮りたかったでしょうね」
渚「『めまい』だけじゃないですよ。すべての映画を彼女で撮りたかったのは間違いない。あの『サイコ』でさえ、そうだったと思う・・・」
安藤「ヒッチコック監督は創作の女神(ミューズ)と出合った直後に失った・・・」
渚「グレイス・ケリーも幸せだったかどうか分からないね。1982年にこの『泥棒成金』のロケ地の傍で自分で自動車を運転して事故死しましたが、そのときは自殺説が流れましたしね。そう考えて、『泥棒成金』のあのユーモア交じりのカーチェイス場面を見ると感慨深いものがある」
安藤「ヒッチコックの至福の名作とされる『泥棒成金』は、因縁をひきずる映画でもあるのね・・・」
渚「映画監督は自作の撮影中に幸福を感じてはならない・・・というけれど、そういう映画もあっていいと思う。ただ、そういう状態が続くと芸術家は間違いなくダメになりますよ。ヒッチコックは女神(ミューズ)を奪われたからこそ、あれだけの映画作家になったんだと思うんです」
安藤「女優に惚れてしまったらダメになるのね、監督は(笑)」

渚「それはともかくも、この映画はヒッチコックにすれば珍しく血の流れない映画ですよね。それでも殺人シーンは一か所ありますが」
安藤「それも省略的な表現にとどめています。この映画に女性ファンが多いのはそのせいかもしれない(笑)」
渚「それもあるでしょうが・・・やっぱり全編に宝石が散りばめられていますからね、女性は宝石に弱い・・・(笑)」
安藤「ムードにも弱いですよ。あの花火のシーンの何と素晴らしいことでしょう。あれこそ夜空に瞬間に出現し、消えていく宝石だと思った。映画的なダイナミズムもありますしね。ラブシーンの背景として申し分がないわ(笑)」
渚「ヒッチコックはサスペンス演出の名人と言われますが、ラブシーンの名人でもあるんですね。これは代表的な名場面です」
安藤「ゴージャスでエレガントに観客の目を楽しませてくれる映画ですが、不満が残るとすれば、グルメがないことかな(笑)」
渚「なるほどね・・・。ケーリー・グランドの昔のレジスタンス仲間達がシエフ集団になっているのに、画面に出てくるのは生卵だけ。それもケーリー・グランドの顔に投げつけられてグシャと割れてしまう(笑)」
安藤「南仏のリゾート地なんですから、魚介類をふんだんに使った料理を作るシーンがあっても良いと思うんだけれど、ヒッチコックは食には無関心なんですね、きっと(笑)」

渚「ヒッチコックはかなり偏食の人だと思いますよ。好きなものだけをいつも食べているみたいな。あのグレイス・ケリーの悲劇の地は、ケーリー・グランドとグレイス・ケリーが車でデートする場所ですが、ピクニックにしてももう少しエレガントな食事を用意してもよかったですね。キャビアともでいかなくてもね、チキンの唐揚げではちょっとねえ・・・。でも、それで良かったのかも。ヒッチコックがグルメに関心を持っていたら、あのサスペンス感覚は鈍っていたでしょう。欠落したものを持つからこそ、人は偉人足り得るのです(笑)」