画に浸るひととき 

安藤佐和子&渚美智雄


 安藤「これは世界中で最も有名な西部劇ですね・・・」

 渚「西部劇なんて見ないという人でも、この映画のタイトルだけは知っていますしね」

 安藤「西部劇全盛時代を代表する映画で、私は何度か見ているんですが、見るたびに感心してしまうんですね。ホントに良くできた映画だと思う。大人から子供まで楽しめる映画って、そうないですし(笑)」

 渚「1957年の映画です。昭和32年。日本ではチャンバラ映画の全盛期で、アメリカ映画は西部劇の黄金時代。子供時代の私は、その両方にたっぷり浸かっていました。チャンバラにも夢中になったが、ガンファイトの迫力に圧倒された。特に決闘シーンでガンマンが向かい合って早く拳銃を抜いたほうが勝つというのは驚きだった。日本にも居合というのがあるんだけれど、映画ではイマイチうまく表現できないんですね(笑)」

 安藤「団塊世代が子供だった頃は、オモチャのピストルが良く売れたらしいですね。それもガンベルト付きなのね」

 渚「そうそう・・・腰に巻いてね、素早く拳銃を抜く練習をしていたなぁ(笑)」

 安藤「そういう子供たちの憧れは、やはりワイアット・アープですか・・・将来なりたい仕事は、と聞かれて本気で保安官と答えた子供も多かったとか・・・渚さんもそうだった?」

 渚「覚えてませんがね、ただ、保安官もカウボーイも区別がついていなかった気がする。早撃ちの強いガンマンにあこがれてたんですね(笑)。だから、この『OK牧場の決闘』も、ワイアット・アープがすべてだった。演じるバート・ランカスターをホントに格好いいと思いました。その他の登場人物なんて眼中になかったんですよ」

 安藤「大人になってからは違いますか?

 渚「まるで違いますね。アープに味方するドグ・ホリディという人物の陰翳の深さが分かるようになった。あの屈折した魅力は子供には分からない。今見ると、主役はこのドク・ホリディでワイアット・アープは脇役に見えます」

 

安藤「両方とも実在の人物ですし、OK牧場の決闘も史実ですしね。でも、ワイアット・アープが映画で描かれたほど正義一筋の人ではなかったようで(笑)」

 渚「その辺が分かってくると、西部劇が非常に面白くなりますね。南北戦争が終わったのが1865年です。日本の明治維新が1868年ですからね、ほとんど同時期。日本は急激に強力な中央集権政府を作っていきますが、アメリカの場合はそうはいきません。それぞれの州の主要産業も様々で、何よりも先住民(旧い言い方をすれば“インディアン”)との戦いが先鋭化していったのも南北戦争後なんです。敗れた南軍の兵士たちは西部に流れて一部は牧場に雇われて牛飼いの仕事についた。いわゆる“カウボーイ”です。季節労働者みたいなものですね。労働は過酷だし賃金は安い。そこで放浪しながら悪いことをしていく“ならず者”が発生する。当時の西部地方は、先住民の襲撃とならず者の襲撃という二つの治安リスクにさらされていた訳です」

 安藤「連邦政府にしたところで、多くの西部の町の治安対策など行き届かない。そこでそれぞれの町では強そうなガンマンを雇って保安官に仕立てた。一応、連邦政府には届けることになっていたんですが、単なる形式で、つまりは“元ならず者”といった連中がほとんどだったみたいですね。実はワイアット・アープもそうだった(笑)」

 渚「腕利きのガンマンとなると、そういう人達になるんですよ。日本でも江戸時代までは、ローカルの治安対策は十分じゃなかった。侠客あがりの人達が地元の“親分さん”として実質的に治安維持を担当していたのと似てます。ワイアット・アープ=清水次郎長ですな(笑)」

 安藤「腕利きのガンマンとなると有名で、その人が保安官をやっているだけで、ならず者は寄り付かない。抑止力は抜群だった訳ですね。戦争直後の日本もそうだったんでしょ。国家は信用失墜状態で警察なんて全然、信用されてない。住人が頼ったのは、特攻上がりの若者の任侠集団とか・・・今も残っている〇〇組なんてのは、この時期に生まれた訳ですし・・・」

 渚「一方、ドク・ホリディはギャンブラーなんですね。南北戦争で南部が負けるまでは名家のお坊ちゃんだった。戦後、家が没落し、この人は勉強して歯科医になった。ところが結核にかかって咳がでるようになると患者は感染を恐れて寄り付かなくなる。そこでグレて酒浸りになるんですが、博才に目覚めて賭けポーカーで暮らしている。ならず者ではないけれど、それに近い人物・・・」
 
安藤「この二人が妙に気が合って親友になる訳でね。この映画の最大の魅力はこのコンビの面白さですよ。アープの兄弟なんかは、ドクのような破滅型の人間と付き合うと信用が失われるなんて忠告するんですが、アープはドクは悪い奴じゃないといって聞かない。ドクは嬉しかったでしょうね」

 渚「アープがクランクトン一家と決闘せざるを得なくなったとき、人手が足りないアープ兄弟に、ドクは咳に苦しみながらも加勢する。“どうせ死ぬなら、たった一人の友達と死ぬぜ”というセリフの格好良さ・・・」

 安藤「なんか日本の任侠映画と似たところがありますね。『天保水滸伝』の平手幹造なんて、結核でやくざ一家の用心棒をしてる人でドク・ホりディそっくり・・・(笑)」

 


渚「座頭市の友達でした。世間から見下されて、それでも社会の掟とかしがらみより、“友情”を信じて命を懸けるというのが泣かせる。日本人にあれだけ西部劇が受け入れられたのは、どこか“義理と人情”の世界に通じるところがあるからで。ヨーロッパではそれほどでもなかったですし・・・」

 安藤「映画の中でカントリーミュージックが流れるところもね、任侠映画で殴りこみの前に演歌が流れるのと似てますよ。高倉健さんの『唐獅子牡丹』とか(笑)」

 渚「『OK牧場の決闘』の主題歌はフランキー・レーンが歌いますね。口笛を伴奏にしたイントロといい、これだけでもジーンと来ます。この人はテレビ西部劇の『ローハイド』の主題歌も歌っていましたね。なつかしい・・・」

 安藤「監督はジョン・スタージェス。娯楽映画を作らせたら右に出る人はいない。他にも『荒野の七人』とか、スティーブ・マックイーンをブレイクさせた『大脱走』とか、痛快作が多い監督さんですね」

 渚「職人技と言っても良い演出力だけれど、あの時代にはスターの存在感がありました。スタージェス監督はスターの魅力を引き出す名人だった。『OK牧場の決闘』も、ワイアット・アープ役のバート・ランカスターとドク・ホリディ役のカーク・ダグラスという二大スターの顔合わせというのが最大の魅力ですね」

 安藤「今はホントにスターがいなくなりましたね。この映画をリメークするにしても、ワイアット・アープをトム・クルーズがやっても、じゃぁ、ドク・ホリディは?となると、もういません。CGのような“つくりもの”に懲りすぎた結果ですよ。『OK牧場の決闘』にCGなんてハイテクは必要ありません。ただ、人間臭い役者がいて西部の乾いた砂埃と銃撃の硝煙の匂い・・・それだけで良いのよね。今、ハリウッド映画が不振なのは、そういうリアリティが失われたからだと思うわ」

 渚「ハリウッド映画は、二大スターの競演というか、バディ(相棒)構造が基本ですが、『OK牧場の決闘』はその先駆かもしれませんね」

 安藤「思えば、『明日に向かって撃て』のポールニューマンとロバート・レッドフォードのバディぶりがピークだったのかも・・・(笑)」

 渚「アープとドクのその後は対照的だった。ドクは36才で死んでしまいますが、アープは80才まで生きた。『OK牧場の決闘』は二人の青春だった。ドクは短命だったけれど、その光芒の残光の中で生涯を終えましたが、アープのその後の人生は長すぎましたな」
 
安藤「アメリカ政府がフロンティア・エンドを宣言したのは1890年です。OK牧場の決闘事件が1881年ですからね。ほとんどガンマンの時代の最期の時代。それからはもう世の中が一変して、拳銃稼業は消えた。アープのような人は食いはぐれていったのね・・・」

 渚「アープはカリフォルニアに行って、いろんな商売を試みるんですが成功しない。日本で江戸時代が終わり、明治になった途端、武士たちが没落していったのと同じ。ただ、サムライの終わりはガンマンたちの終わりより四半世紀早かったんですがね」

 安藤「日本のほうが進化していたというのは凄いこと・・・(笑)」

 渚「アープ氏にとって幸運だったのは、ハリウッドの映画産業が勃興したことです。西部劇が盛んに作られたんですが、アープは西部のリアルを知っている最期の人(生き字引)として監修者として引っ張りだこになった。ただ、彼は少し調子に乗りすぎて話を盛りすぎたり美化しすぎたりした。今日、精神医学で“ワイアット症候群”と呼ばれているのは、後付けで異常に話を膨らまそうとする心理症例のことで、OK牧場の決闘もいささか眉唾的に見られるようになった。“西部劇の神様”のジョン・フォード監督なんか、アープとは親交が深かったようで、同じ題材の『荒野の決闘』(愛しのクレメンタイン)はあまりに美しく詩情豊かな世界になってしまいました。スタージェス監督は、リアルなOK牧場の決闘を描きなおすべく、10年後に『墓石と決闘』を撮りました。この3本、見比べると非常に興味深い・・・。ワイアット・アープもOK牧場の決闘も“伝承”であることがよく分かります。そして私は、あらためて自分の少年時代が遠ざかるのを実感するのです・・・(笑)」


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