画に浸るひととき 

安藤佐和子&渚美智雄


 安藤「これって“天覧映画”なんですってね・・・」

 渚「そうです。1959年(昭和34年)制作ですが、日本での上映は1960年4月1日から。先立つ3月3日にテアトル東京でチャリティ上映会が行われ、ここに昭和天皇、香淳皇后が招かれました。陛下が公式にハリウッド映画をご覧になるのは、これが初めてだったらしい」

 安藤「先日亡くなった長嶋茂雄さんのサヨナラ本塁打で有名な“天覧試合”もこの時代ですよね・・・」

 渚「日本がアメリカの占領から開放(1947年)されて、朝鮮戦争を奇禍としてめざましい経済成長の時代に入った。アメリカとしては、価値観をアメリカと共有する国であり続けて欲しいわけで・・・。そのための、今でいう“ソフトパワー”を駆使した訳です。野球とか映画とか音楽とか、アメリカン・カルチャーでニッポンをどっぷりと浸からせる作戦です。野球にしても映画にしても天覧に見せることで全国民の意識を方向づけるという・・・(笑)」

 安藤「そういえば、テレビでもアメリカ製のテレビ映画が盛んに流されたましたね。『ローハイド』とか『ララミー劇場』とか『コンバット』に『ベンケーシー』・・・。日本人はすっかりアメリカ文化漬けになりましたよ」

 渚「『ベン・ハー』を“天覧映画”にするには、アメリカ側もずいぶん気を使ったらしい。天皇に敬意を表することで日本人の敵意を和らげるのは、東京裁判以来の占領軍の基本方針だったわけで、その延長です。主演のチャールトン・ヘストンを急遽、夫婦で来日させて天覧上映会のお迎えの列の中央に立たせた。昭和天皇はヘストンの巨体の前で見上げる恰好になった。ずいぶん首がお疲れになったと思う(笑)」

 安藤「アメリカ側も、この映画には、それだけの自信があったんでしょうね?」

 渚「それは間違いない。アカデミー賞を11部門受賞した映画ですからね。後に『タイタニック』なんかが同じ11部門受賞のタイ記録を作ったけれど、最多記録を破る映画は今も出ていない訳ですし、ハリウッドを代表する“国民的映画”であったことは間違いない」

 安藤「『風と共に去りぬ』とどちらが、と聞いてみたくなりますが・・・

 渚「あれは日米が戦争しているさなかの映画です。南北戦争時の南部社会が舞台で、その描き方に反発する人も少なからずいる訳で、ちょっとアメリカの国民映画にはしずらい」 

安藤「天皇に見せるには『ベン・ハー』の方がはるかに無難だった訳ね(笑)」

 渚「確かにアメリカが世界に向けて胸を張れるだけの内容があります。原作はルー・ウォーレス。この人は南北戦争で北軍の将軍としてグラント将軍を助けた人です。戦後は弁護士になり州知事もやった多彩な人。『ベン・ハー』は南北戦争後の国内の分断のしこりを和らげるために書いたんですね。大ベストセラーになったらしい・・・」



 安藤「副題は“キリストの物語”となっています。復讐の鬼になった主人公(ベン・ハー)が主の教えによって憎しみを乗り越える物語ですね。この映画も含めて3回も映画化されていて、その都度ヒットしているらしい。主の福音を信じて生きる善良なる人々の社会こそ“アメリカン・ヒューマンライフ”ともいうべきもので、アメリカは今もこれを世界標準にしたがっている。トランプさんもトランプさんなりにね(笑)」

 渚「主君の恨みを晴らすことが忠義であるという日本的価値観は困る訳です。戦争の恨みを乗り越えて魂の安らぎを得てほしいという『ベン・ハー』の主題は、終戦から日の浅い時代に好都合でありました(笑)」

 安藤「この映画は70ミリフイルムを使った大画面映画でしたし、技術的な先進性も誇示できた訳ね」

 渚「凄いスケールでしたよ。製作費は当時にして54億円・・・。制作したMGM社は当時、経営危機にあったらしい。この映画の記録的なヒットで起死回生したけれど、大博打でもあったんですね」
 
安藤「日本でもテアトル東京での70ミリ上映によるロードショウは1年以上のロングランになったのね。ブロードウェイなら珍しくないでしょうが、“たかが映画”というと怒られるけれど、そんなことは当時の日本の映画界では想像もできなかったでしょう。それだけでも特別な映画だったことは間違いありません」

 渚「映画の出来としてもAクラス・・・。ただ、どうしてもスペクタクルシーンの規模感に話題が集まりがちでもある」

 安藤「“ガレー船での海戦”と“戦車競争シーン”ですね・・・。当時の観客には圧倒的な迫力だったと思う。さすがに今見ると、ちゃちに感じるところもあります。海戦シーンのロングショットなんかは、プールに模型の船が浮かんでいる感じで(笑)。今ならCGを使ってリアルな映像になったと思うけれど・・・その辺に時代を感じてしまいます」
 
渚「でも舞台になるガレー船の内部も、疾走する戦車もホンモノなんですよね。そのリアリティは捨てがたい。あの古代の戦車競争なんか、今どこかの競馬場で再現したら人気が出ると思いますよ。4頭だての馬が二輪車をひっぱる重量感が素晴らしい。F1レースのようなマッハ級のスピードでないのが良いんだね。転覆シーンなんか本当にひっくり返っている訳ですよ」

 安藤「今の活劇映画ではカーチェイスが定番だけれど、競技場で走るのがいいわ。その競技場も本当に作っている訳でしょ。CGでは出せないすさまじい迫力です。ドラマ的にもベン・ハーと敵同士になった幼馴染への憎悪が頂点に達するところですからね、ショウ的な見せ場だけでない劇的な必然性があるのね」

 渚「海戦シーンの方は、火薬のない時代ですから、ちょっとイメージが違うんだけれど、船の動力が人間だというのが良い。奴隷の中でも屈強な者が並べられて船底で大きな櫓をこがされる。これが凄い迫力で・・・」

 安藤「ボディビルダーの男性勢ぞろいという感じで圧倒されましたよ(笑)」

 

渚「チャールトン・ヘストンがベン・ハーの役を射止めたのは、この場面のおかげなんですね。当初はバート・ランカスターが有力候補だったらしいですが、彼は“演技はともかくとして、このシーンのリアリティだけは私の身体では表現できませんから”と断ったんです」

 安藤「正しい判断でした(笑)。おかげでチャールトン・ヘストンはベン・ハーの役をゲットできて、結果、アカデミー主演男優賞ですからね。役者たるもの、肉体を鍛えておかねばイケマセン」

 渚「ついつい活劇シーンに話題が行くのですが、この映画の最も感動的なシーンは最期の“死の谷”のシーンですよね。ここで初めて憎しみを超えてこそ人間の魂は救済されるという映画の主題が前面に出てくる」

 安藤「キリストの処刑と並行して、死病で隔離された主人公の母親と妹の救出劇が描かれていく。そしてキリストが臨終を迎えた後、ベン・ハー一家に奇跡が起こる」

 渚「当時はキリストを直に写すことはタブーだったのですね。後ろ姿しか写さないし、十字架にはりつけにされるシーンも直截的には描かない。キリストの受難劇を知らない非キリスト教圏の人達には、分からなかったんじゃないかな」
 
安藤「私も、子供のころ親に連れられてこの映画を最初に見たときには、まったく分かりませんでしたし・・・。当時の天皇もどこまで理解されたかどうか(笑)」

 渚「ハリウッドとしては、普遍的主題を謳いあげた人類史的傑作と言いたいのでしょうが、そこには多少の独善も感じられます。そもそも、ハリウッドの映画産業はユダヤ人たちがロス郊外に集まって育て上げたもので、『ベン・ハー』の主人公は、“ユダ・ベン・ハー”というユダヤ人ですし、この超大作を監督したウイリアム・ワイラーもユダヤ系ですからね。ハリウッドとしては、起死回生の映画の素材として非常に親和性があったんだと思う」

 安藤「ドラマの背景の時代は、ローマ帝国の支配下でユダヤ人が虐げられているエルサレムで、ちょうどユダヤ教を母胎として、キリスト教が生まれてくる時代なんですね・・・その時代背景が理解できると、非常に興味深いですし、ベン・ハーというユダヤ人青年の受難劇がいかに巧みにキリストの受難劇に重ねられているかが分かります」

 渚「映画史に残る作品として評価は定着していますが、ただ、ガレー船の海戦シーンや戦車競走シーンのような活劇シーンと敬虔な死の谷のシーンの印象が非常に違っていて、ちょっと統一感に欠ける印象は否定しがたい。いっそ、海戦や戦車シーンだけにして、壮大な復讐ものとしてまとめたら、映画の完成度としては上がったかもしれません。もっとも、そうなると“天覧映画”には絶対にならなかったでしょうけれど・・・(笑)」


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