画に浸るひととき 

安藤佐和子&渚美智雄


 安藤「“面白すぎる日本映画ナンバーワン”なんですってね・・・(笑)」

 渚「恐らく今、投票してもそうでしょう。もっとも、イタリア製西部劇(マカロニウエスタン)に焼きなおされた『荒野の用心棒』が有名過ぎて、本家のこの映画は若い世代にはなじみが薄くなっている・・・。三船敏郎を知らない世代も増えているし、ちょっと寂しい気がしますが・・・」

 安藤「ベネティア映画祭主演男優賞をとったんですね。海外でも高く評価された『七人の侍』もこの人の主演だったけれど、作品の評価が高すぎて、三船敏郎という俳優が注目され高く評価されたのは、この『用心棒』からとか。演じた役柄が非常にユニークで魅力的だったのね」

 渚「素性のよくわからない浪人ですね。ユニークなのは着古したはかま姿の浪人姿・・・。はかまって武士の姿ですから、この人も昔はどかの藩に仕えていたのが、何か理由があって失業者になったのかも、と思わせる。滅茶苦茶強いのはちゃんとした剣道の素養があるからという説得力にもなっている(笑)」

 安藤「このスタイルは三船敏郎の代名詞になった。続編の『椿三十郎』もそうだし、後の『座頭市と用心棒』もしかり、さらにはハリウッドに招かれて、アラン・ドロンと共演した『レッド・サン』もこの浪人姿でした。これほどひとつのビジュアルが定番化したのは、チャップリンのドタ靴、山高帽、ステッキのスタイルと並ぶものです。失業者といえばチャップリン、浪人といえば三船敏郎・・・(笑)」

 渚「黒澤明監督みずからデザインしたらしいですね。この人は世界的な名監督だけれど、もともとは画家志望で服飾デザインにも興味があったらしい。マルチ・クリエーターという意味でもチャップリンと共通してますよ(笑)」

 安藤「1961年(昭和36年)の映画ですね。この時代はテレビが普及してきて映画が苦しくなった。プライドを捨てて、テレビなんかで味わえない、とにかく面白い映画を作らねば、という気運があったんですよね?」

 渚「メッセージ性が濃厚にあるのがクロサワ映画だったけれど、この映画では割切ったんです。そうしたら、トンデモナイ娯楽傑作が生まれた訳で」

 安藤「面白い映画の基本条件を、クロサワはどう考えたのかしら・・・

 渚「まず、筋(ストーリー)が面白いこと。細かいところは無視していいということ。とにかく観客がハラハラドキドキして、一気に見てしまうように作れば細部の整合性なんかどうでもいい訳で。だから、この映画の成功の第一は、シナリオにストーリーメーカー巧者の菊島隆三を起用したことでしょう。『隠し砦の三悪人』もこの人の脚本だったけれど、とにかくスジが面白い。まぁ、多分に荒唐無稽でもあるんですが(笑)」 

安藤「第二はなんでしょう」

 
渚「テンポでしょう。観客がスジの展開に夢中になっているのに、スローな語り口では興覚めです。どちらかというとクロサワ監督はネッチリ派でしつこい演出をしますから、早いテンポにならない。『用心棒』では、音楽の貢献が大きいですよ。作曲は佐藤勝・・・。このテンポの良い曲調は素晴らしい。『七人の侍』のテーマを作曲した早坂文雄が有名だけれど、私は、『用心棒』が好きですね。この曲を聴くだけでも、映画を半分観た気がする(笑)」


 安藤「三つめは何でしょう?」

 渚「カメラワークでしょうね。荒唐無稽な筋が興覚めにならないのは、映像の写実性ですよ。上州の架空の宿場町が舞台ですが、このセットの見事さはちょっとない。私は最初にこの映画を観た時、ロケ先で簡易セットを組んだんだろうと思っていました。違うんですね。スタジオ内に宿場町全体を作ったんです。道には厚く土を盛って、大型扇風機で上州名物の“空っ風”を再現したそうです。美術は名手、村木与四郎。それを撮影したのが、名手、宮川一夫・・・」

 安藤「名手だらけですね。クロサワ監督は何をしたの、と言いたくなる(笑)」

 渚「要求をしたんです。既成の常識を破るようなアイデアを持ち出して・・・。例えば、撮影の宮川一夫に対しては、“望遠で撮れませんかね”などという。宮川さんにすれば、せっかくの巨大セットな訳で、普通なら広角系レンズを使うのが常識ですし」
 
安藤「それを望遠レンズを多用して撮ったんですね。だから、独特の異空間のような感じが出せたんですね。その基調の中で、ここぞというところで広角を使う」

 渚「ヤクザ一家に囚われている一家を逃がすシーンは特に秀逸でした。三船が他者に襲われたように偽装工作して(ここは望遠レンズ)、表に出たら、逃がしたはずの家族が地べたに頭をこすりつけて三船を拝んでいる。ここで広角です。その切り替えのシャープさ。そこには三船が受けた衝撃の生々しさが表現されていました」

 安藤「黒澤監督の日本人観がよく出たシーンですね」
 
渚「何故、日本の大衆は、虐げられた境遇を自ら変えようとしないのか、という苛立ちでしょうか」

 安藤「『七人の侍』は、毎年収穫期になると野武士に襲われる村人の自衛の姿を描きましたが、あれは戦国時代の話。『用心棒』の舞台となった江戸時代ともなると、大衆を収奪するシステムが完成していて、反抗の機運すら生じない。桑畑三十郎と名乗る浪人は、そこに強い苛立ちを感じています。自分がかつて武士(支配階級)であったことの自己嫌悪のようなものさえ感じさせる・・・」

 渚「筋を語るだけなら、この部分は余計なのかもしれない。しかし、この浪人が何故弱者に味方しようとするのかという理由がチラッと見える。主人公への共感を観客に抱かせる。それがないと主人公の暴力性だけが目立って納得感が出てこない・・・。それをわずかな映像の切り替えで表現した訳で、黒澤明がいかに非凡な監督であったかが分かります」

 安藤「弱い人間を見ると虫唾が走る、といって苦虫をかみつぶしたような顔で酒を飲む三船敏郎は単なる豪傑ではない。真に弱者に寄り添える人なんですね。それを照れ隠しするような暴力癖・・・(笑)」


渚「三船敏郎の人物造型力は素晴らしいですが、ここにもクロサワ監督の要求はあるんですね。人間には皆何かクセがあるものです。主人公の浪人には両肩を交互にもみ上げるような癖を付けている。ノミかシラミか、背中がかゆいんでしょうね。そこにこの浪人の貧しい暮らしぶりもあり、ユーモアも生まれている。面白ければいいだけではない。主人公に観客が共感出来るかどうか、これが良い娯楽映画を作る要諦なんですよ」

 安藤「強いだけでは共感できませんものね。下手すると、そんなアホなと、シラケたりして(笑)」

 渚「そこです。主人公は強すぎてはいけないんですよ。『用心棒』の主人公の場合は、武器のハンディを与えている」

 安藤「適役の仲代達矢はピストルを持っているわけでしょ。カタナとピストルじゃ、カタナに勝ち目はない。でも、この種の映画では、主人公は絶対に勝つことになっている。しかしこんなハンディがあるのに、どうのようにして勝つのかが、大きな興味になる」

 渚「あの家族を逃がしたことがバレるところから、逃亡して、最期の決闘シーンにいたるまでのサスペンスは素晴らしい。ヒッチコックにも引けを取らない(笑)」
 


安藤「『荒野の用心棒』では、このシーンどうやるのか興味津々でしたわ。西部劇にしちゃったんですからね、ピストル同士なんだから(笑)」

 渚「ライフルとピストルという射程距離のハンディに置き換えました。流石だと思いましたよ。この距離を縮められなければ主人公は一方的に撃たれるだけですから・・・」

 安藤「カタナとピストルでも距離が勝負を決めるのね。三船敏郎さんは居合の名人だから、仲代さんは慎重に距離を取ってピストルを撃とうとするんだけれど・・・。この映画をこれから観る人のために種明かしは遠慮させていただきますが(笑)」

 渚「最期までタネも仕掛けもあって、『用心棒』は“面白すぎる日本映画”になりました。あまりの大ヒットに気をよくした東宝が翌年に続編(『椿三十郎』)を作りましたが、これは飛び道具なしのカタナ同士の対決でした・・・。斬られたら大量の血が噴き出すという当たり前のことを、クロサワは正面から描写した。殺陣とはこんなに凄まじいものだったのかを観客は初めて教えられましたね。クロサワの二本の三十郎シリーズで、それまでのチャンバラ映画は終わったんですね。まさしく、クロサワは時代劇の革命家でありました・・・(笑)」


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