
安藤佐和子&渚美智雄
安藤「あまりにも有名な実在の“アンネ・フランクの日記”をベースにした映画ですね」
渚「日記は生き延びたアンネの父親(オットー・フランク)によって1947年に出版された。戦争が終わり、収容所から開放されて2年も経っていない時期です。ナチスの狂気が市井の人達に何をもたらしたのか、広く世界に知らしめる価値があると考えたんでしょうね。瞬く間に世界的なベストセラーになった」
安藤「多くの脚本家がこれを素材にした作品を考えたと言いますが、最初はブロードウエイの舞台戯曲として上演され、トニー賞を受賞するなど大成功した。この映画は、この戯曲の映画化なんですね」
渚「1959年ですからね、戦後14年経っていましたが、あらためてナチスの非道を風化させず世界に訴えた意義は大きい。この映画の成功は、やはりジョージ・スティーブンス監督の演出力でしょう。何しろ、アムステルダムの小さな工場の屋根裏で隠れ住んだ二家族プラス一人の男性という限定された人物と空間のドラマですから、舞台劇に最適な訳です。しかし、スティーブンス監督は見事な映画にした」
安藤「映画というのはカメラだなぁ、とあらためて思いました。白黒ワイドスクリーンの画面が素晴らしい。閉鎖的な空間をワイド画面で撮ることで観客には“救い”を与えている。逆に同監督の『ジャイアンツ』では広大なテキサスをスタンダードサイズで撮ることで、広大さが逆に実感させられた」
渚「狭い空間を広く捉えようとする人物たちの意識の反映だとも言える。モノクロで撮られたのは妥当ですね。色彩を失ったような暮らしなんですから。
この映画はアカデミー賞を8部門でノミネートされたんですが、受賞は3部門。その中に撮影賞(ウイリアム・C・メラー)があるのは当然の評価ですね」
安藤「暗い映画のはずなのに、そういう感じはあまりありません。やはり屋根裏部屋の天窓を大きめにとり、空の明るさと広さを意識させるセットの計算が巧妙だからでしょう。美術賞を受賞したのは、これも当然でしょう」
渚「そして演技賞は、助演女優賞(シェリー・ウインタース)でした。出演者全員が好演だけれど、このアンネの隣の一家のおばさんは一頭抜けてますよね」
安藤「この戯曲の面白さは、アンネという13歳の思春期の少女の目で大人たちが観察されているところです。普段は格好をつけていた大人たちが閉塞状況に置かれ食料不足にも悩まされるようになると見苦しいふるまいをするようになる」
渚「この隣のおばさんは特にそう(笑)」
安藤「13歳というと反抗期でもある訳でしょ。アンネが大人たちに向かって、“戦争のせいだと言うけど、戦争に巻き込まれたのは大人たちのせいよ”といい。“私たちの人生はこれからなのに”という。説得力がありますよね。このドラマがキレイゴトではないのは、その辺りでしょ」
渚「スティーブンス監督は、代表作の『シェーン』で、西部の流れ者のガンマンを少年の目で描いた・・・子供の視点で大人の世界を見るというのは、この監督の優れた資質なのかもしれません」
安藤「共同生活者の個性的な人達の中で、アンネはひときわ父親を立派な人物として記憶している」
渚「一方で母親とはソリが合わない。思春期の少女によくあることなんでしょうけれど」
安藤「逆のケースも結構多いように思いますけれど・・・(笑)」
渚「十代のころの人間観察や世界観は偏っていて当たり前なんです。それが修正されていくということが、大人になるということなんでしょうけれどね」
安藤「アンネは隠れ家が発見されて収容所で15歳で殺されます。13歳から15歳までの2年間。わずかな時間だけれど、この間のアンネの成長には目を見張るものがある。お転婆な少女が一人の女性としての片鱗を見せるようになる」
渚「嫌いだったはずの共同生活者の一人ひとりに寛容な目を向けるようになりますし。こういうところをしっかり撮るからこそ、ジョージ・スティーブンス監督は巨匠なんですよ」
安藤「そして、隣家の息子のペーター(リチャード・ベイカー)に恋心を抱くようになる・・・」
渚「観客は何故か救われますよね。アンネは少なくとも恋を知る大人の女として短い生涯を終えたのですから」
安藤「意地悪な言い方をすれば、恋のつらさを知らずに、美しさだけを信じて逝ったのよ。そういう意味では幸福だったのかも・・・」
渚「この映画は静かなる反戦映画として映画史上不滅の評価を得ていますが、女性のピルディングス(成長)物語でもあるんですね。単なる反戦映画だったら、ここまで長く時代を超えて愛されないでしょう」
安藤「恋はどんな障害のなかでもあり得る。むしろ、障害があればあるほど強く純粋なものになるのね。アンネとペーターの初恋はそういうものですね」

渚「だから隠れ家生活に耐えられたとも言える。大人たちにはそれがないから苦しみだけだったかもしれない」
安藤「悔いもあるでしょうし・・・。ユダヤ人の中には、早くに時世を読んで海外に移った人もいた。自分はなぜそうしなかったのかという悔い。夫婦間で意見があわずにこうなった、といった諍いも描かれますね」
渚「アンネには、大人たちは諍いばっかりしてるけど、私とペーターは永遠にそうはならない、といった純粋な信念がある」
安藤「そこに未来への希望が生まれてくる。いつかこの戦争は終わる。それまで耐えなきゃいけないという覚悟ですね」
渚「それがあるからこそ、最期の日記のページに“人は苦しい時には悪いところも見せるけれど、私は人間は本質的には善良なものだと信じたい”と書く」
安藤「それがこの映画のメッセージにもなっている。天窓から見えるカモメの飛翔をとらえて映画は終わるけれど素晴らしいエンディングだと思います」
渚「私も素晴らしいエンディングだと思いますが、お叱りを受けることを承知で、こうも申し上げたい。それは、“サスペンス映画としてのアンネの日記”という視点です(笑)」
安藤「それは、ヒッチコック映画ファンの渚さんらしい見方ですね・・・」
渚「隠れ家生活というのは、常にいつ見つかるかという強迫観念にかられた暮らしな訳でしょ。この映画は、全編、あっ、見つかったかもというサスペンスの連続ですよ。恐らく、舞台では表現しきれない映画ならではの恐怖感に充ちています。サスペンスシーンの演出のお手本にされても良いぐらいです。実は私は、『アンネの日記』という名作をそういう風に楽しんでいるのですね。実在の物語だけに関係者には申し訳ないけれど、商業映画としてのこの映画の成功には、そういう要素もあることだけは指摘しておきたいのです(笑)」