名画に浸るひととき 


安藤佐和子&渚美智雄


 安藤「法廷映画史上、屈指の傑作と言われていますね・・・」

 渚「たしかに良く出来た映画ですよ。原作はアガサ・クリスティの『検察側の証人』です」

 安藤「舞台化されロングランになっているのを、ビリー・ワイルダー監督が目を付けて、自ら脚色して監督したのね」

 渚「よく知られている内容ですから、ひとひねりしないと映画館に観客はこないと考えたのでしょうが、原作を超えたどんでん返しが用意されていて、それが受けたんですね」

 安藤「最期に、“この映画の結末を人に話さないでください”というテロップが出ますし・・・(笑)」

 渚「この手は、後にヒッチコック監督が『サイコ』で使いましたね(笑)」

 安藤「こういうあざとさは、やりすぎると興覚めになりがちですが、この映画は違い。『サイコ』もそうですが、決してどんでん返しだけの映画ではないですよね」

 渚「それがなくても見応え十分ですし・・・。ただ、どんでん返しを付け加えたことで、主演のマレーネ・ディートリヒが単なる悪女ではなくなった。薄幸の女性の哀れさが見事に出たんですね。こういうどんでん返しが用意されなかったら、この大女優が出演をOKしたとは思えないですが・・・(笑)
」

 安藤「邦題を『情婦』にしたのも、そういう哀れさが印象に残ったからでしょう
」

 渚「1957年(昭和32年)の制作ですからね、第二次大戦終結から7年しかたっていません。そこに薄幸のドイツ女性が格式高い英国の法廷に引き出されるわけです。それだけでも複雑なものがある」 



安藤「マレーネ・ディートリヒの人生も重なりますね。この人はナチスの台頭に反発してアメリカに亡命してハリウッドで大成功した人ですしね。ドイツ人の中には今も裏切者だと非難する向きもあるようですが・・・」

 
渚「敵国ドイツを裏切って亡命してきた女優というのが“売り”になったんでしょうね。戦時中の異常人気はそれもあったでしょう・・・」


 安藤「回想シーンでドイツ(ハンブルグ)の安酒場でアコーディオンを弾き語りで歌うシーンがありますが、まさしくそういう芸人さんだった」

 渚「脚線美が売りだったようですね。この映画ではズボン姿で登場させて酔客にズボンを破られて片足を露出する演出がありましたが、薄幸の女の妖艶さと哀れさがむき出しになる。あきらかにディートリヒのドイツ時代を意識した演出ですね」

安藤「アメリカで成功してからも、アコーディオンを弾きながら『リリー・マルレーン』という反戦歌を歌っていたのが印象的でした。クールでハスキーな声でね・・・私はこの人も低い歌声がとても好きなんです」

 渚「私なんかも、この人の足や顔よりも歌声の方が好きですからね(笑)」

安藤「でも、この映画では演技の評価も高いですね。特に、変装して決定的な証言をする演技は素晴らしい。私、最初見たとき、ディートリヒだと気付きませんでした・・」


 渚「結末を話さないでくださいというラストのテロップは、この変装芸も含めてのことでしょう・・・」


 安藤「単にメーク技術だけではこうはいかない。ディートリヒは演技力も優れた人だったんですね」
 
渚「この映画は、弁護士役のチャールズ・ロートンが素晴らしいんですが、ディートリヒという“謎の女”の存在あればこそという気がします。ビリー・ワイルダー監督は、こういう上質の役者を演出する至福の機会に恵まれたんですね。そういう監督としての歓びが随所に窺える・・・」


 安藤「この監督への敬意は世界中の映画ファンが共有するところですが、渚さんは、ワイルダーの映画のなかで、この映画をどう位置づけていますか?」

 渚「『第十七捕虜収容所』と並んで、最高作だと言いたいです」

 安藤「今では“コメディの神様”みたいに言われてますが、はじめからコメディを得意にしていた訳ではないんですね」


渚「初期作品には結構シリアスなものが多いですよ。有名な落ち目の大女優の錯乱を描いた『サンセット大通り』とかね・・・」


 安藤「この人は、いつの間にかシリアスな内容の映画に息抜きのように滑稽なシーンを入れるようになった。それが隠し味のようにこの人の作品に個性とふくらみを与えていくことになったのね。『第十七捕虜収容所』と『情婦』はその転換期の重要な作品だと思います」

 渚「シリアスな世界に、滑稽な味わいを含ませて一種、余裕の味わいを見せたのが、ジョン・フォード監督だと思いますが、名匠というのは、作品をシングルタッチで終わらせないところがある」

 安藤「あのヒッチコック監督がそうでしたしね・・・」




 渚「そうですよ。かれらの映画を見ていると、ユーモアが重要な文化の一要素だということが分かります」


安藤「たしかに、日本映画なんかは、シングルタッチですね。シリアスな作品にジョークを入れるのは邪道とされる・・・」


 渚「非常に生真面目なんですよ。向こうの人から見れば、日本人は“冗談一つ言えない人種”に見えるでしょうね(笑)」


 安藤「コミュニケーション能力の偏りというか、人間としての幅のなさというか・・・」


 渚「この映画は主演男優賞や助演女優賞や監督賞に作品賞とアカデミー賞の主要部門にノミネートされましたが、結局、ひとつも受賞できなかった。あの有名な『戦場にかける橋』にぶつかって、持っていかれたんです。あの超真面目な戦争映画に、英国風味のユーモアの効いた地味な法廷ドラマ『情婦』は敗れたんですね。ま、これも“文化の違い”ということだったのかもしれませんが・・・(笑)」


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