
安藤佐和子&渚美智雄
安藤「20世紀の最高の映画と言う人も少なくないですね・・・」
渚「まぁ、アメリカの組織暴力団どうしの抗争を描いた映画ですから、建国250年の今、語るにふさわしいかも知れません(笑)」
安藤「組織暴力団の抗争という意味では、日本では『仁義なき戦い』という傑作がありましたけれど、『ゴッドファーザー』が決定的に違うのは、組織ではなく家族であることです」
渚「そこにこの映画のエキスがある。偉大な親父がいて、跡継ぎの息子が何人かいて・・・それだけでドラマの予感がある(笑)」
安藤「世継ぎ問題はお家騒動の素ですからね。それで滅んだ家が日本にはいくつもある。それはこの内紛に乗じて権力を奪おうとするライバルの家があるわけで・・・」
渚「当時(第二次大戦終戦直後)のニューヨークには、マフィアの家(ファミリー)が5つもあって、“五大ファミリー”と呼ばれていた。その中で最も旧くファミリーの中心にいたのが、コルレオーネ家なんですね。その創業者ともいうべき父親(マーロン・ブランド)も高齢になって、他のファミリーは虎視眈々とその権益を奪おうと狙っている。つまり、縄張り争いがいつ始まってもおかしくない状況」
安藤「この設定自体はよくある話ですよね。日本の任侠映画ってだいたいこのパタンですから・・・(笑)」
渚「そういう凡庸なドラマが、なぜこうも名声が高いのかと言えば、脚本と演出の緻密さです。こういう映画は絶対に早送り視聴をしてもらっては困る。巧妙なドラマ構造を味わえない。もったいないです(笑)」
安藤「たしかに建築的な威容がありますね。特にシンメトリーの設計意図が鮮やかで(笑)」
渚「シンメトリー・・・。そうですね、『ゴッドファーザー』の魅力はその一語が最もふさわしい。対称性の美学ですね。“表と裏”“抗争と和平”、“日の当たる場所と日陰の場所”“聖と俗”・・・。マフィアはアメリカの裏社会そのものですからね、しかし表社会と遮断されている訳ではない。むしろ、表社会の影に張り付くようにマフィアが存在している」
安藤「マーロン・ブランドの娘の結婚式から始まりますが、その盛大なこと!(笑)」
渚「陽光降り注ぐ広大な屋外でのパーティなんですね。その華麗な宴を見守る屋内の闇の中で、マーロン・ブランドは次々と陳情を聞いている。日本でも、“目黒の闇将軍”なんて権力者がいたけれど、似てますね(笑)」
安藤「脚本が巧妙なのは、ここでマフィアとは何かを観客に伝えていることです。葬儀屋の男は、娘を凌辱した男達に復讐してくれと陳情している。それに対し、マーロン・ブランドは“なぜもっと早く俺のところへこなかったのだ?”と言う。男は“警察に頼ってしまいまして”と言いにくそうに言う・・・」
渚「“奴らが本気であんたに同情して動いてくれるはずがないではないか”“俺とあんたとは昔からの知り合いじゃないか。俺に一言言ってくれていたら、今頃は問題は解決していたんだ。この始末は俺がつけてやる”とブランドは請け負います。興味深いのは、そこで報酬をとらないことです。“いつか、あんたにはやってもらうことがある。そのときはよろしくな”とだけ言います」

安藤「やがて、長男(ジェームス・カーン)が待ち伏せの機関銃でハチの巣状態で殺されたとき、ブランドはこの葬儀屋の男に、“あまりに無残な姿だ。あんたの腕で少しは見られる遺体にしてくれよな”と嗚咽をこらえて言いますよね。つまり、マフィアのファミリーとはイタリア系移民の互助組織なんですね。“持ちつ持たれつ”で周囲の蔑視に耐えて生活基盤を築くためのものだった」
渚「マーロン・ブランドが素晴らしい。彼も裸一貫でシチリアから流れてきた移民な訳です。理不尽な周囲の仕打ちに苦しむ仲間のために身体を張って守ってやる。そうこうしていくうちにイタリア系移民達は、彼を“ゴッドファーザー”と呼ぶようになる。とにかく日本の敗戦後の混乱期に“親分さん”が生まれて、闇市なんかの秩序形成の役割を果たしたのと同じです。公の警察組織が不十分で手が回らない状態だったんでしょうね。移民が急増していった20世紀初頭のアメリカ(特にニューヨーク)も同じだったでしょう」
安藤「ブランドが“なぜもっと早く来なかった”と非難するように言うのは、彼自身の国家機関への不信でもある訳ですね・・・」
渚「同時に、警察が頼れる存在になったときには、自分の存在意義がなくなるという危機意識でもある。誰も陳情にこなくなれば、ファミリーの存在意味がなくなり、一族郎党が食っていけなくなるという危機感。『ゴッドファーザー』が優れているのは、単なるギャング映画の枠を超えて、人間のドラマ、家族のドラマになっているからです」
安藤「時代が変わっていくことを彼は気付いている訳ですね。後を託す息子たちへの能力の懸念もある。老いて孫と庭遊びをしている最中に脳溢血で倒れて死ぬ場面は素晴らしい。アカデミー主演男優賞をとりましたね・・・。どういう訳か辞退しましたけれど」
渚「いろいろ噂されましたけれど、役者としての役に対する責任なんですよ。マフィアの親分が賞をもらって喜ぶような国ではイカンという・・・(笑)」
安藤「冒頭の結婚式で夫婦になった二人のその後が、映画の展開に大きな意味を持ちますね。絢爛豪華な結婚披露パーティとは逆に、夫になった男はうだつが上がらず、女房へのドメスティック・バイオレンスは日常化している。それを知った長男は妹を護るために、その夫をボコボコにする・・・」
渚「この長男は激情タイプなんですね。ブランドが跡を継がせるのを懸念するのはそこなんです。そういう一家の構造的問題を、ライバルのファミリーが利用しようとする。ドラマの展開として実に無理がない」
安藤「結局、ブランドは跡継ぎを三男のマイケル(アル・パチーノ)に決める。頭脳がきれて堅気の弁護士にするつもりが、ファミリーの後事を託すしかなくなる訳で・・・」
渚「この三男のキャラの設定が『ゴッドファーザー』の最大の成功要因でしょう。兄と違って冷静沈着、冷酷なほど。これからの時代のマフィアのリーダーにふさわしい。この人物の登場によって、ドラマは大きく展開し、ライバルのファミリーたちの陰謀を打ち砕き、一族を護れるかどうかが観客の関心事になります。この展開にも全く無理がない」
安藤「先ほどシンメトリーという指摘がありましたが、このマイケルが他のファミリーのボスを射殺し、高跳びしますね。そこが一族の祖国ともいうべきシチリア島です。ギャング映画に似つかわしくない美しくのどかなシーンが展開し、ここで見染めた娘を妻にするのね。この平和なシークエンスをはさんでドラマは前半と後半にきっちり分けられます」
渚「後半はもう全面戦争です。三男のマイケルが本当に資質を見せるのは、ここからですね」
安藤「どうせ戦争になるんだったら、先に相手を殺した方が勝つという割切りで、あっという間にライバルのファミリーのボス達を始末していく」
渚「大きな罠を仕掛けるわけですね。シチリアで結婚した新妻が、ライバルファミリーの放った刺客の手にかかって彼の代わりに殺されてしまう。その復讐心もあるわけです。ですから、その非常な手口にも説得力があります」
安藤「ニューヨークに戻った彼は、それまで付き合ってきたガールフレンドと結婚する。どこまで愛情があったのか疑問だわね。多分、独身ではファミリーのボスは勤まらないという打算でしょうけれど、よりによって生まれた子供の洗礼式の場を罠にするんですね。ライバルファミリーたちもこういう祝い事には抗争中断して駆けつける、そこを一網打尽に・・・」

渚「凄惨な場面ですね。しかも、洗礼の荘厳な場面とモンタージュして描かれる。これは演出のシンメトリーですよ。もともと“ゴッドファーザー”というのは、洗礼式に選定される代父母のこと。昔の日本流に言えば烏帽子親、今なら名付け親といったところでしょうか。洗礼を受けた子の生涯の後見役になるわけです。そういう意味のある洗礼式を背景にしての殺害ですからね、非常に意味深というか、冒涜的にもとられかねない場面です。私は、この非情さは、彼の戦争体験から来ているのではないかと思うんですね。映画の中では一切説明されませんが、勲章を授与されるほどの軍功をあげているとすれば、彼の理性や人間性は既に戦場で歪められ失われているのでは、と思う・・・」
安藤「打算で結婚して、妻には“女は仕事に口をはさむな!”の一点張り。“表の男と裏の女”というシンメトリー構図かもしれないけれど、女性観客には素直に受け入れられないわ(笑)」
渚「それでも人気が高いのは、ニーノ・ロータのテーマ音楽でしょうね。おおよそマフィア映画にはふさわしくない叙情性あふれる旋律。これほどアンバランスな映画音楽は映画史上稀かもしれない。しかし、それが良いんですよ。人間にはいろんな面がある。マフィアのボスだって四六時中、人殺しをしている訳じゃない。家族のことを考え、子供や孫に心を許す時もある訳です。人間とはそういう矛盾に満ちたものです。シンメトリーとは矛盾の均衡であり、その際どい均衡の上に人間は生きている訳で、そこをきっちり描いたからこそ、『ゴッドファーザー』は傑作なのです」