今月の【喜・怒・哀・楽】  曽我なぎさ

ゲン担ぎ


人生には運・不運はつきもの。スポーツ競技ともなると、それを凝縮して見せてくれるところがあります。

相撲などもそうですね。先々場所で12勝3敗で優勝して横綱に昇進した豊昇龍なんて関取は強運力士と言っていいでしょうね。もっとも、昇進後の初場所となった先場所(春場所)の成績はあまりにもふがいない結果でした。10日目までに5敗してしまい、翌11日目から休場。結果、5勝5敗5休(きれいな“5並び”なんて言ってられませんよ)。

どっか痛かったらしいけれど、休む前の成績が問題なんです。全勝や1敗なら、新横綱の悔しさが偲ばれます、なんて皆言うんでしょうが、5敗目を喫して、「明日から休む」と言われたんでは、成績不振で残り五日間の相撲に自信が持てなかったからじゃないの、と疑われてしまいます。たしかに残り5番全部勝っても10勝どまり。横綱としての最低ラインは二桁ですからね、一つ落としても二桁いかない。一つでも落としたら、9勝、二つ落としたら8勝でぎりぎり勝ち越し・・・。ひょっとしたら三つ負けるかもしれない。そうなると新横綱として負け越しですからね。かっこつきません。ま、休むとしたらここがベストタイモングと考えたんじゃないのかしら。

場所前には良いこと言ってたんですよね。「横綱として15日間土俵を勤めることが最低限の責任だと思います。何があっても休むなんてことはしません」。言うこととやることがあまりにも違いすぎます。“政治家みたいな横綱“というのは困ります。

それにひきかえ、まことに立派だったのは高安関(前頭4枚目)。12勝3敗ですから実質的に優勝者だったと言っても良い。とにかくこの人、プレッシャーに弱くて、優勝寸前まで行きながら賜杯を逃すということが続いてきました。せめて一度は優勝させてやりたい、というのは、この人のファンだけでなく相撲好きに共通した思いでしょう。

「今場所は違う。全く固くなっていない。取り口も堂々としている。いよいよ悲願の初優勝だろう」と見られていました。でもね、同じ12勝3敗の大の里(大関)との優勝決定戦で負けてしまい、またしても優勝を逃してしまいました。こういうのって、これで9回目なんだそうです。

大の里に対して気持ちで負けていた訳じゃなかった。本割(10日目)では、あの重たい大の里を一気に土俵の外へ寄り切ったんですから。平常心で取れれば負ける相手じゃない、というぐらいの気持ちは高安にはあったと思うのです。

しかし、決定戦の大の里は違った。本割では激しく当たられて思わず退いてしまったのが、全くひかなかった。力と力のせめぎあいの結果、苦しい投げに出て体を崩してしまった高安の無念の表情・・・。「自分は優勝できない星の下に生まれたのか」なんて一瞬考えたようにも見えて、見てる方も哀しかったデス。

“心・技・体”と言われるのが関取の実力要素。高安の場合は“心”にまだ改善の余地があるということでしょうね。“平常心“、“忍耐心”、“向上心”・・・いろいろあるのでしょうが、高安の場合は、ちょっと俗っぽい言い方になるけれど“勝負根性”かな。

とにかく勝つためには何でもやるぐらいの執着が欲しい。その点では、冒頭に触れたほ豊昇龍の方が上かな。それがこの新横綱の強運にも繋がっているような気がする。

勝負師というのは、バクチと同じですから、げんを担ぐ人が多いですよ。ですからどうでしょう。高安関もゲン担ぎのつもりで、四股名をかえてみてはと思うのです。今の四股名はちょっと良くない。“高安”の“安”は“安定”とか“安泰”といった意味でしょうが、“高”の字と組み合わせると、“お米が高くなった、安くなった”のような“安価”な意味が連想されてしまうんです。そうなると、正反対の意味の漢字を結合する訳で、しっくりこないというか、脆さを内包してしまう。ここはどうでしょう。“安”の一字を“保”に変えてみませんか。“高保(たかやす)”とすれば安定感が出てきます。高安関とすれば、“四股名親”への遠慮があって言い出しにくいんでしょうけれど、そういう生真面目さを振りほどく意味でも、やってみて損はないと思うんだけれど・・・。

5月場所を目前にした私の勝手な妄想です。お許しくださいませ。


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