今月の【喜・怒・哀・楽】 曽我なぎさ
ああ日章丸
ホルムズ海峡の実質的な封鎖が続いていて、これからの世界経済の見通しが全く分からなくなってしまいました。
湾内に閉じこめられて出るに出られないタンカーも多くいます。食料品等は補給されているようなので直ぐに命に係わる事態ではないようですが、乗員やそれぞれの故国におられる家族の気持ちを考えると暗い気持ちになってしまいます。
そんな状況下で、日本の出光丸(出光興産の大型石油タンカー)が海峡の通過を黙認され、無事に日本に戻ってきました。なぜ出光丸だけが・・・という思いは、政治的な疑念や妬みをこめて世界中の人々が感じたことでしょう。イランに味方する国とそうでない国とで対応を分ける分断政策だとか、“特別通行料”の支払いに応じたからだとか・・・。
でも、私はもっとシンプルなことだったと思うのです。1953年に起こった伝説の“日章丸”事件。イランの人達のなかで、この出来事は今も語り継がれているんだと思う。日本のイデミツだけは別だという・・・。(その後、ENEOSのタンカー一隻も通行を黙認されましたが、これもイデミツの敷衍と考えていいと思います)。
戦後、イランは英国からの独立を強く希求していました。英国も妥協を重ねてきたけれど石油権益だけは譲れない。そこでイランが英国の権益外で自ら石油を売ることを許さなかった。第二次大戦で疲弊したと言えども戦勝国でしたからね。“イランから石油を買うなよ”という無言の恫喝は世界中にそれなりの効力をもっていたのでしょう。イランは孤立してしまった。そこに日本の出光興産のタンカー“日章丸”がやってきて石油を買ってくれた。イランの人達にとって、このときマストに高く掲げられた日の丸の印象は強く印象付けられたのです。
あれから70年以上経つのに、イランの人達の多くは、子や孫に語り継いできたんでしょうね。恩義のある日本のイデミツは別なのだという、単純素朴にそれだけのことだったと思うのです。
昭和28年の出来事ですからね、私もこの出来事は知らなかったのです。でも何年か前に、『海賊と呼ばれた男』という映画が公開されて、この事件を知ったのです。タンカーの派遣を決断した出光興産の創業者、出光佐三を岡田准一さんが演じてました。なんてかっこ良いんだろうと思いましたね。
あの映画によれば、英国の軍艦が日章丸を追跡して拿捕の構えを見せるサスペンスフルな場面がありましたが、結局、英国海軍も、それ以上のことは出来なかった。
一千万人といえども我行かん。そういう気骨の国なんですニッポンは。それは明治時代の日露戦争の受け止め方にも見られたようです。ロシアの南下政策に苦しめられていたトルコにとって、東洋の小国が大国に挑んで勝った事実ほど勇気づけられる事件はなかったのでしょう。そんなこんなで、総じてアラブ諸国は日本に対して好意的なんですね。もっとも、あの戦争で莫大な戦費を賄うために発行した外債の多くを引き受けてくれたのはユダヤの商人たちだった。当時はイスラエルという国はまだなかったですからね。パレスチナ問題もなければ、イランはじめアラブ諸国のイスラエルへの敵対感情もなかった。
今思うのは、日本はアメリカに敗戦したことで、実質的な従属国になりアメリカの意向に反する行動はおろか発言一つ出来ない国、と世界中から見られていることです。
もっといえば、“アメリカの子分”ですから、そのアメリカと戦っているイランにとっては、日本もまた“敵側の国”のはずなんです。
それでも、出光丸を通してくれた。このことを日本は深く考えなきゃいけないと思う。どっちの味方をする、ということではありません。両方に正論を言える国であってほしいのです。紛争の仲裁国になれるだけの本当のチカラをつけたい。“海賊”と呼ばれても義を貫く・・・本来の日本はそういう国だったはずですし、今でも“武士道”という言葉とともに、そういう目で日本を見てくれている国があるということを思い起こすべきなのでは、と。