今月の【喜・怒・哀・楽】  曽我なぎさ

“舌先3寸”先の闇


静岡の“名物知事”さんが辞表を出してしまいました。リニア新幹線工事の環境破壊リスクを唱え、JR東海と戦う姿は全国的に注目の的だったけれど、この辞職は、それとは無関係だったようですね。

4月の新入職員の入庁式での訓示内容がケシカランということだとか。で、何を言ったのかしら、と思ったら、どうも“喩え”が悪かったみたい。「あなたがたは、畑を耕している人やモノを作っている人よりもアタマの出来が良いはずです。だからここにおられる訳ですから、そのことを自覚して、その資質に磨きをかけねばいけません・・・」。どうもそういう話をしたみたい。

これが職業蔑視ではないかとイチャモンが付いた。そういう批判があっても不思議はないと思いましたが、驚いたのは、全国紙からテレビのワイドショウ報道番組まで口をそろえての大バッシング。これにはオドロイタ。

一方で批判する意見もあれば他方には擁護的な論説があっても良い。いや、そうでなければ健全とは言えないんです。どうも、日本の国というのは、“一色に染まる”んですね。危険なことだと思います。メディアがこうなると、1億人に“同調圧力”が働いて、異論を許さなくなる。別にこの知事さんに味方する気はありませんが、あえて異論を述べさせていただきましょうか。

まず、この方の訓示の意図を理解しましょうよ。その意図自体が間違いというのと、意図は正しいけれど言語表現上の問題(下手だった)というのか、きっちり分けて考えましょうよ。この人に“畑を耕す”人たちなんかを低く見る価値観、逆に言えば頭を使う人をウエに見る価値観があるのは間違いないと思う。この人、そもそもは大学教授だったんですから・・・。

これって“思想信条の自由”なんですから、批判すべきことじゃありません。大学教授なんて“バカの壁”に囲まれた知的囚人としてバカにする人も大勢いるんですから。私なんかもそっちに近いですけれど、わざわざ口にする必要もないんです。“内心の自由”で良いハナシなんですから。

この人は多分、「“差別”はイケナイが、“区別”は必要だ」と思っていらっしゃるんでしょう。私も否定しません。物事を考えるとき、“分類”という作業は不可欠ですからね。この人は、新人公務員さんを“能力の高い人”として“区別”してるんです。そして当人たちにその“自覚”を求めたんですよ。

「あなた方は選ばれた人たちだから、県民のためにその優れた頭脳をフル回転させることを惜しんではならない」と訴えたかったんです。私も全くその通りだと思う。人は生まれながらに平等の資質を持っている訳じゃないんだから、優秀な人こそ社会全体のために奉仕する精神が必要なんです。これって、身分社会だった中世のヨーロッパで盛んに言われた“ノーブレス・オブリージュ”なんです。高い身分に生まれた以上、私利私欲ではなく気高い使命感を持て、と言いうことです。

どうも、今の日本は“一億総平等”みたいな集団思想があるんですね。小学校や幼稚園の運動会の駆けっこで順位を付けるのは問題なので、手をつなぎあって横一列でゴールインさせるみたいな珍現象が横行してるとか・・・。こんなことをしてたら、優れた指導者なんて現れませんよ。でもまぁ、かの前知事さんにも一言、申し上げておきましょう。どうせなら、「あなたがたは、イヌやサルより優秀なんだから」とでも言えば良かったのにと・・・。もっとも、今度は動物愛護団体から文句が出るかもしれませんけど。


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