今月の【喜・怒・哀・楽】  曽我なぎさ

おくゆかし


新年を迎えて、各界の新年恒例行事の報道を観て感じた違和感について・・・。

高市首相が伊勢神宮に参拝しました。そのとき、胸に故安倍晋三元首相の遺影を掲げていたのです。亡くなった直後なら理解できないでもありません。でも、数年も経過し、1月に加害者への判決がおりる予定のタイミングで、なぜこんなことをするのか分かりません。

そもそも首相の新年の伊勢神宮参拝は、国家の最高指導者として国家国民の一年の安寧と幸福を祈願するものです。国民の代表の立場であって特定の党派や政治信条の代表者として参拝するのではないんです。

そりゃ、故安倍首相の政治を支持し尊敬する人もおられるでしょうし、そういう人達にとっては、高市首相のふるまいは好意的に評価できるかもしれません。でも、反対の立場の人達だって少なくないんですよ!。
そんな人たちにとっては不快な光景に見えたに違いないんです。

国民を代表しての伊勢神宮参拝が国民の分断の契機になるようなことをしてどうするんですか!。

参拝後の記者会見で安倍首相の遺影持参の意図を聞かれた高市首相は、「安倍さんをもう一度、伊勢神宮に連れてきてあげたかったの」と答えました。あまりに幼稚過ぎません?。

個人としての心情は自由ですよ。でも、場をわきまえることも出来ないんですか、と問いたくもなります。こういう軽率さは、“公私混同”につながっていくのではないか、と心配するんです。

一国の指導者は、個人的な心情を殺して表からは窺えないようにすべき忍従の時も場所もあるんですよ。そこを推し測ろうとするのを“おくゆかし”というんですね。人をして“心の奥にまで行きたい”という気持ちを起こさせる態度のことなんです。

昨年秋の首相就任以来、首相の人気は高いようです。その要因として“飾らない人柄”とか“率直な物言い”なんて言われますが、これって両刃の刃ですよ。単に性格の問題と片づけるわけにはイキマセン・・・。そもそも奥ゆかしさは保守の立場の価値観や生き方の美学とされるものではなかったのですか。今日の日本の政治家のなかでも最も保守の立場に立つ人が、天真爛漫な言動を見せる・・・そのギャップが人気の素なのかもしれませんが、いつまでも好意的に受け取られるとは限りませんよ・・・。

首相はすでに昨年の臨時国会の答弁で大失敗しているではありませんか。“台湾有事が生じアメリカ軍が行動を起こすような場合は、どうみても我国にとっての存立危機事態と考えられます”。
これを聞いた中国政府が感情的ともいえる反発をし、日中間の経済活動に様々な影響が拡がっているのです。こういう微妙な問題は、首相として“おくゆかしい”答弁をすべきなんです。

新年早々、首相は衆議院の解散に打って出ました。「私が日本国首相にふさわしいかどうか、国民の皆様の信を問いたい。信なくば立たずですから」。これって本気ですか、と言いたい。安倍元首相の遺影を抱いて伊勢神宮に参拝した時、胸中にその決断があったのかどうか・・・。もしあったのなら、“おくゆかし”い一面もあるのでしょうが、とてもそうは思えません。解散総選挙は通常国会直前になっての“ひらめき”だったに違いありません。自民党内の幹事長や副総裁にすらも根回しがなかったと言われますが、この人の性格ならあり得る話でしょう。これでは、周囲が忖度する猶予もありませんよね。わが国初の女性首相が、こういう破天荒な人柄であったことが、吉と出るか凶と出るか、今回の年初解散を“おみくじ解散”とでも名付けたくなってしまいました。


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