この人にエールを!

藤垣裕子 氏
ついに東京大学で日本初の女性総長が誕生する。
日本の国立大学の地盤沈下が叫ばれて久しい。“学問の府”という大儀によって政府に保護されてきた特権的立場が剝がされてしまったのは、2004年の国立大学の法人化。それからは“自立の経営力”が求められるようになった。
当然、経営は苦しくなる。研究者達の処遇も影響を受けざるを得まい。そんな中で頻発したのが金銭的不祥事。医学部教員を巻き込んだ収賄事件。
維新以来、日本のエリート(イスタブリッシュメント)養成機関であった東大への信頼は失われた。戦後長く続いた“東大ブランド”も相当怪しくなってしまった。こういう局面では“刷新”が叫ばれる。今回の総長選出にはそんな危機感が反映していると見て良いだろう。
もっとも選出経緯を見てみると複雑な気持ちにならないこともない。東大の総長選出の仕組みは二段階になっている。まず、教職員らによる“意向投票”が行われる。その結果を参照しつつ、“学長選考・観察会議”が決める。
この機関は、学内外の委員によって構成される第三者機関的なものだ。身内の意見を参考にしつつ、身内だけの閉鎖的な選考の弊害を避けるためにかような最終決定機関が設置されたのだろう。このような機関は運営が難しい。ほとんど“意向投票”の結果を追認する、下手をすると形だけの機関になりがちだからだ。逆に“意向投票”はあくまで参考意見にし、最終決定機関として主体的客観的に決定する強権型の機関にもなる。
どうも今回は後者のようである。藤垣裕子氏は“意向投票”では二位だった。それも一位の候補者は1107票。藤垣氏はその半数の553票。
これほど明確な差がついたなら、これをくつがえして二位の候補者を選ぶというのは、よほど“学長選考・観察会議”に明解な選出理由がなければならない。少なくとも学内の当事者はおろか世間にも説明する責任がある。
しかし、どうも今のところはっきり示されているとは思えない。
“学長選考・観察会議”も相当勇気がいったことだろうとも思うが、議長は元NHKニュースキャスターの国谷裕子氏だった。
「科学技術を社会に伝えるコミュニケーション力を生かし、学術への信頼を回復する強い意志と能力を備えている」と選出理由を語ったが、極めてジャーナリスト的な印象評価にも聞こえる。無意識的にニュースヴァリューのあるネタを選ぶ職業本能が作用したなどとまではいうまいが、これで東大内部は納得するのだろうか。案の定、文部科学省までが、選考プロセスの検証を文書で求めたという。何やら波乱含みの展開になりそうだ。
結果がひっくり返ることはあるまいが、“学長選考・観察会議”の仕組みに多少の修正は余儀なくされるかもしれない。その人選も当然検討の対象になるだろう。フリーランスで仕事している人には、“組織の中で仕事をする難しさ”に鈍感な傾向がある。実効性を高めるには、組織運営の経験も問われねばなるまい。
新総長への反発は表沙汰にはならずとも相当根強いものが残るはずだ。あえて、高市早苗首相のケースと比較しておこう。自民党の総裁選挙の場合、党員主体の一次投票と国会議員が主となる二次投票の“合計”で結果を出す。二位の高市氏が総裁に選出されたのは明解な多数票を獲得したためだ。数字ほど説得力のあるものはない。しかし、それでも新首相は反対派の議員の積極支持は得られなかった。だからこそ今年の新年早々に解散総選挙に打って出たのだ。これは賭けだった。この圧勝あっての今の政権なのである。
藤垣氏にはそのような機会はない。任期は来年4月から2033年3月末までの5年間。おそらくこの間、AIはじめ技術進化は凄まじいものがあるだろう。そこでは“研究深化と社会進化”が必ずしもマッチしない事態も生じるはずだ。そんな環境で、日本の知の頂点組織の運営を担うことは相当に厳しいに違いない。本当にこの人に、その資質があるのか、世間の注目はかつてなく大きい。
国立大学の主導的立場にある東大を、時代にアジャストした組織に改革するには何よりもヴィジョンを明解にすることだ。それは維新以来の日本の負のカルチャーを内部から破壊することでもある。それに成功しなければ日本の大学は変われないとまで言っても過言ではない。自らのミッションに殉じる覚悟で“働いて働いて働いて・・・”欲しいものである。
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