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『天・地・人』


正しくは、“天のとき・地の利・人の和”である。我国では、戦国時代の名将、上杉謙信が座右の銘にしていたとされるが、元は古代中国の戦国期の兵法から由来したものらしい。

“勝負は時の運”というが、当事者の奮闘努力だけではどうにもならないところがある。戦いに勝つには、三つの要件が揃わねばならない。三つの中で、“地の利”が一番理解しやすい。敵よりも有利な場所に自陣を置くこと。具体的には、敵よりも高くに位置し相手の動きが一望できる場所、すなわち広く眺望の利くことが“地の利”だった。

“天の時”とは、天候のことだったらしい。上杉謙信は有名な川中島の戦いで一面に広がる霧を利用して自陣の動きを信玄軍から隠し連続奇襲戦法(車がかりの陣)を成功させた。“もしあの時、霧がでなかったら勝てなかったかもれないというなら、謙信は“天のとき”を得たことになる。勝てるという直感が自陣に拡がれば、兵の気持ちはひとつになる。“人の和”はついてくるのだ。

この教えは、今日なら外交交渉に活かせるかもしれない。ここでは、基本の前提が“地の利”になりがちだ。地政学上の有利不利である。欧州の歴史でいえば、独仏間の地に眠る石炭資源が周辺国まで巻き込んでの諍いの要因になってきた。第二次大戦で疲弊した欧州主要国が石炭共同体のかたちで今日のEUの原型づくりに踏み出したのは“地の利”の“分配”が目的だった。むろん、それが実現したのは、“天のとき”の作用である。社会主義陣営と自由主義陣営に分断された冷戦時代の到来が大きい。“熱戦”のリスクが遠ざかれば、各国は国益を冷静に計算出来る。何よりも平和を希求する点で政治家も国民も気持ちを一にする。“人の和”がついてきたのだ。

やがてこれは20世紀最大の“ディール”を実現させることになる。EU加盟国の中で共通通貨を持とうとする驚くべき発想が生まれた。主導したのはフランスのミッテラン大統領(当時)。この人は西欧諸国を自由経済圏とする政治同盟だけでは決定打に欠けると考えた。実質的に世界の基軸通貨になっていたアメリカ・ドルに対峙しうる欧州共通の通貨によって前代未聞の国家間結束を作りたかったのだ。さすがにここまで踏み込むのは大きなチャレンジだった。最大の反対国は西ドイツ(当時)。この国の通貨、西ドイツマルクは世界屈指の強い通貨だったからだ。これを放棄して“ユーロ”のような得体のしれない通貨を導入するのは自国の優位性の放棄に繋がる。

ミッテランの奥の手は“ドイツの統一”を担保するということだった。第一次、第二次の二つの世界大戦を引き起こしたドイツを当時の西欧諸国は信用しなかった。東西に分裂したままにしておく方が安全、というのが共通した本音だった。当時の大国、フランスしかそれを覆す力を持たなかった。ミッテランは西ドイツのコール首相(当時)に囁いた。「マルクを放棄する覚悟があるなら、フランスが先頭にたって各国に働きかけドイツを再統一させてやろう」と。

時代は既にベルリンの壁を崩壊させている。まさしく“天のとき”だった。当時の東西ドイツ国民にとって統一国家再興は民族的悲願だった。“人の和”はドイツ両国内で生じ、ドイツという西欧の中心部を占める“地の利”も作用して統一は実現した。

今日話題になっているウクライナ問題も、“天・地・人”の原則を適用すれば何か示唆が得られるかもしれない。この問題の核心は、ウクライナの黒海沿岸部はロシアにとって“地の利”そのものだということ。海への出口を求めて多くの戦火をあげたロシアの“南下政策”は今も生きているのだ。それをどう担保してやるかが戦争終結の鍵なのである。不動産ビジネス王のトランプ氏は、流石にこの“地の利”への嗅覚は鋭どかった。ロシアが侵攻し実効支配している沿岸地帯をどうするのか。緩衝地帯をどう作るのかという発想では、交渉は膠着するだけだ。思い切って、“南ウクライナ”という国を作るという発想を持ち出せばどうなるか。この“独立国”は“西欧とロシアとの友好国”でなければならない。

そもそも今日の事態は20年以上に及ぶ“旧ソ連圏からの離脱”というウクライナ国民の“人の和”が生み出したものだ。それが過激な軍事行動を両国にもたらした。今は“復興”こそを“人の輪”の中心に添えねばならない。まず、ロシアは連れ去ったとされる人々を郷土に帰し“南ウクライナの国民”としなければならない。そのうえで大々的な国土の復興プロジェクトを立ち上げ、その資金は“南ウクライナ国債”で賄う。

常識的には引き受け手のないその国債を購入させるのはロシアに対してでなければならない。むろん、そのためのインセンティブは経済制裁解除となる。こうすれば、南ウクライナ政府も、当面はロシアを“復興資金の最大提供国”として認めるしかなく強引な西欧同化主義はとれない。ロシアもまた国債を紙くずにしないためには協力するしかなくなる。時を経て復興がなったとき、南北ウクライナを統一させようとする両国民のマインド、すなわち“人の和”が醸成されるかどうか。それこそ、“天のとき”次第だろう。この時点では今の紛争当事者たちのほとんどが政治的権力を持たなくなっているはずだ。黒海沿岸を持つウクライナ両国の“地の利”が注目され、再統一が周辺各国にとっても国益として評価されるとき、新たな国際世論、すなわち“人の和”が生まれてくる。むろん、時間はかかり、諸条件の醸成を待たねば解決しない。トランプ大統領のように自己の腕力でことが早急に成ると考えるのは、歴史を知らない人の幻想に過ぎまい。“天・地・人”という言葉は、そのことを教えてくれているのだが。

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