Remember
Nice Phrase


『神の見えざる手』


FIFAワールドカップの熱狂の中で、この言葉を聞くと、あのマラドーナの“ゴッドハンド”の伝説を思い出す。

対戦相手はイングランドだったか。ゴール前でのもみあいでイングランド選手が蹴ったボールがマラドーナの手に当たったように見えた。誰もが“ハンド”の判定で、アルゼンチンはペナルィキックの万事窮すになるかと思いきや、審判の死角だったためか、イングランドの猛抗議にもかかわらずゲームはそのまま続行。危機を脱したアルゼンチンはマラドーナのリベンジシュートで勝ちをもぎ取った。

試合後、マラドーナはぬけぬけと言ったものだ。「俺の手は神の手だ。ボールが当たった瞬間、手が消えたんだね。俺も不思議だったよ」と

科学的な判定システムが整備された今なら考えられない出来事だが、アルゼンチンはもとより南米のファンの間では、ワールドカップ史上の“奇跡”として語られ続けられているらしい。

しかし、ここで取り上げる“神の手”は別の手のことだ。経済学の嚆矢とされるアダム・スミスの『国富論』に出てくる有名なフレーズの方である。

交易が広がり売買が日常化していった時代。価格の不当性を疑う声があちこちに聞かれるようになった。スミスは、それにこたえてこの書物を書いたのだ。「価格は誰が決めるのでもない。自然と決まるのだ。ある物品を買いたい人と売りたい人がいる。買いたい人々は少しでも安く買いたいし、売る人々は少しでも高く売りたい。提示された価格に対して、そんなに高いなら買うのはよそうという人々があらわれ、買いたい人は減っていく。そこで売りたい人は価格を低くして買いたい人を繋ぎとめようとする。こうして、価格というのは、両者にとって納得のいくレベルで落ち着くのである」。

これを市場の価格形成力と呼び、“神の見えざる手”という比喩を使ったのだ。“市場”という概念を発明したことと、この比喩を使ったことで、広く商行為への信頼が増していった。資本主義社会はここに本格的に始まり、『国富論』は経済学という学問の扉を開いた。

今から250年前のことである。つまり、建国250年の節目を迎えたアメリカの始まりと同じ時期なのだ。

逆に言えば、アメリカは資本主義と同時に始まったともいえる。だからこそ、アメリかは資本主義の国家であり、自由な事業活動が保証されているからこその“自由の国”なのだ。だれもが売りたい商品を持ち込み、買いたい人は妥当と思える価格で購入する。大陸国家(西欧)にみられたような規制もなければ既得権益者を護る課税もない。そのような“自由”を求め、新規事業の創出機会を見出そうとする人々が、この新大陸に移り住んできたのだ。

アメリカ大統領が盛大な建国祝祭行事を企画するのは結構だが、この建国時の精神を思い起こす機会にもしてもらえればと思う。

根拠不明な輸入関税をかけてみたり、移民の必要以上の規制など、本来の商品市場や労働市場を破壊する政策は、市場機能を衰退させ、そのことによって資本主義そのものを歪めていく。思えば、アダム・スミスの時代には、石炭、石油といった経済活動に不可欠なエネルギー資源は問題視されず、その国際的な偏在が国際紛争を引き起こすなどといった事態の想定はなかった。

また、実態経済が必要とする以上に金融市場が肥大化するという予測もなかった。今では、“強欲”こそが市場を覆っていると言っても良い。北米で開かれている今年のワールドカップ大会では、シートが何千万円もの価格で取引され、ホテルばかりか、会場への交通手段までが便乗値上げを競うように行っているという。かつての大会でも、このような現象はなくもなかったが、今回は露骨すぎる。
アメリカ大統領は、「これこそ“自由”の国なのだ。ワールドカップは勝利者だけではなく、成功者(成金)をも生み出さねばならないのだ。ワールドカップ大会こそは、神の手にゆだねられているのだから」とでも言うのだろうか。

マラドーナの言葉には笑えても、こちらは笑えない。

戻る