Remember
Nice Phrase


『Tomorrow is
Another Day』


世界の映画史上で最も有名なセリフ。南北戦争で廃墟になった農園にたたずみ、ヒロインのスカーレット・オハラが独白する。

“こんなひどい生活は今日までだ。明日からは別の暮らしが始まる。それは素晴らしく美しく豊かなものであるはずだ。そうでなきゃいけない。いや、そうして見せる!” そんなヒロインの胸の内を一言で表現した見事さ。“明日”という言葉が、これほど切なく力強く発せられたことはなかったかもしれない。

英語で語られたこの名セリフを日本語に置き換えるのに、多くの訳者は苦労したようである。これほどの“決めセリフ”を野暮な日本語に置き換えてドラマの感興をそぎたくないとは誰しも思うところ。

テレビで放映されるたびに字幕スーパーは変えられてきたが、決定的なものはない気がする。なかには「明日は明日の風が吹く」というのがあったが、これでは投げ槍的でヒロインの決意や覚悟が伝わらない。いっそ何も字幕にする必要はないのかもしれない。ツモロー イズ アナザーデイと口にするビビアン・リーの肉声に全神経を集中させた方が伝わるべきものが伝わる気がする

ところで、誰にも、ツモロー イズ アナザーデイと奥歯をかみしめるようにして口にすることがあるだろう。

アスリートの世界では、それが日常であり、それが観るものに共感や教訓をあたえてくれるものだ。今年はプロ野球にそれを特に感じる。特に読売ジャイアンツ。連敗が続くとき、阿部監督はツモロー イズ アナザーデイと呟いているのではないかな・・・。

野球のような集団競技では、勝利チームにも、個人プレイにおいて敗北感を抱いている選手もあれば、敗北チームにおいても、達成感を感じている“勝者”もいる。それが複雑な後味を観客に残すのだが、個人技においてはそれはない。100%の勝者と100%の敗者が残る。

典型は大相撲だろう。年6場所、一場所15日間に勝ち越しと負け越しを賭ける力士の心境は日々、様々な陰翳に揺れているに違いない。特に連敗した後には、明日こそ勝たねばならないという思いが、焦りになり、さらに黒星を重ねることにもなりかねない。このような“ドツボにはまる”状態は、どんな名力士も経験してきたはずだ。

だから彼らは決まり文句のように言う。「雑念に囚われず、目の前の一番一番に集中するだけです」
しかしながら、言葉とは裏腹に、心は乱れ、ついつい“星勘定”に頭が動いてしまう。この傾向は、上位力士のほうに強いというのも興味深い。“失うものを持つ”者のほうが平常心を乱しやすくなる。外見上からは想像できないが、横綱、豊昇龍も例外ではない。多彩な技を持つだけに、負けると明日の取り口を考えてしまうのも取りこぼしに繋がるのかもしれない。先場所(名古屋場所)もそうだった。二日目に若元春に敗れたのも、立ち合いの張り手のような小細工に走るからである。その後、負けを重ね、ついに休場してしまった。

連敗を止めたとき、連勝への道が開けることも少なくない。その転換点をつくるものは何だろうか。やはり精神力、泥臭く言うなら“根性”だろう。ツモロー イズ アナザーデイと言ったとき、スカーレット・オハラは内心、こう叫んでいたのではないか。“明日から私は生まれ変わるんだ。別の女になるのだ!”と。それなら、字幕も「明日から私は変わらなきゃいけない。変われるわ、私なら!」とでもすべきだろうか。日本人観客は、目で文章を読みながら、耳では、ツモロー イズ アナザーデイというスカーレットの呻くような肉声を聞くことになるだろう。そして、ここ一番、踏みとどまるときの人間のリアルな姿を目撃するのだ。そして、苦境にある人たちは、このヒロインに負けずに、なりふり構わずやりなおすことを教えられることだろう。

“ツモロー イズ アナザーデイ”は、そんな覚悟を秘めた命の言葉である。

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