ソーシャルエッセイ   荻正道

【昨日・今日・明日】

『四年に一度、世界の歯車が狂う』


一年が365日で納まらない年が4年に1度訪れる。こういう年には必ず何かが起こる。何故か。アメリカの大統領選挙が、この“納まらない年”に行われるからだ。アメリカの政治指導者を選ぶ選挙は、誰が選ばれるという以上に、それ自体が世界の波乱要因になる。世界中が自国への影響、損得を計算して動くからだが、今年の動きはただ事ではない。


 アメリカの大統領選挙は、毎回11月第二週の火曜日に行われる。これにも歴史的な背景がある。農業国であったかつてのアメリカにとって収穫期の多忙が終わる季節でなければ困る、ということ。さらに熱心なキリスト教信者の多いお国柄であるから、安息日には投票のような“生臭い世俗的行為”はふさわしくないと考えられた。なら、月曜日にすれば、と考えるのは狭い国土に住む人たちが考えること。当時、投票所は多く設営できる余裕はなく、投票者は馬車で1日がかりで投票所に向かうことも少なくなかったという。月曜日が投票日では日曜日から動き出さねばならない。安息日の禁忌を犯すことになる。だから“月曜の翌日”、つまり火曜日にしたのだという。
“首相の特権”でいつ解散総選挙が行われるか分からない日本では、暦上の縁起が問題にされるようだが、曜日は日曜日に決まっている。つまり、国政選挙もまた“お国柄”を色濃く反映するものなのだ。

 アメリカの大統領選挙はなかでもユニークと言っていい。特にその“長さ”である。背景には、“二大政党制”がある。まず、それぞれの政党の候補者の選定に時間がかかる。“合衆国”という国家形態が輪をかける。ひとつひとつの州ごとに予備選挙をやり、勝てなかった候補がリタイアしていく。そして夏の党大会で正式に大統領候補をたて、敵対政党の候補との決選投票に向かう。それまでの期間が両候補者の選挙運動であり、幾度かテレビ放映される討論会が開催され、メディアの論評もかまびすしくなる。むろん、本番の選挙も州単位で勝利者が決まっていく。時差のある広大な国土で次々と州単位で勝者が決まり、各州の人口により割り当てられた選挙人数がカウントされ、大統領選は最高潮を迎える。まことに“イヴェント的”であり、MLBのプレーオフを思わせるものがある。まさしく“国民すべてを巻き込む国家行事”として、高い投票率が維持されているのも頷けるのだが。

 時間をかけすぎるという批判もあるが、このような長丁場を勝ち抜くことで、候補者も成長し大統領にふさわしい資質を養っていけるという長所もしばしば指摘される。このような熱狂が国内にとどまるなら、“世界の歯車が狂う”等と言い出さずに済むのだが、世界一の超大国となると、その結果は各国に大きな影響を与える。ひとつにはアメリカ大統領の権限の強さという制度的な特徴がある。大統領制を採用する国でも、“首相”が置かれるのが普通だが、アメリカに首相はいない。では、大統領への権限集中のリスクをどうヘッジするかとなると、議会に相応の権限を与えている。まず最重要政策である国家予算の決定権は下院にある。だからこそ下院議長は重責であり、副大統領についで緊急事態での大統領業務の代行権を持つのだ。だからこそ、これを敵対政党に奪われた大統領はレイムダック化する。今のバイデン大統領がまさしくそれである。

 上院には、大統領が推す行政高官の人事に対する承認権を与えている。つまりアメリカでは、“カネと人事”という政治の二大ファクターの決定権を議会に与えることで、大統領の強権をけん制する仕組みを整えているのだ。これがアメリカの政治を読みにくいものにしている。しかし、大統領選に勝った側の政党が与党になるのが普通なので、時として“ねじれ”が生じる中間選挙までの2年間の大統領の権限はオールマイティと言ってもいいだろう。だからこそ、どの国も誰が次期大統領になるのかに関心を強め、“傾向と対策”を官僚に指示したりするのだ。特に“自国に対して好意的か敵対的か”から始まり、経済政策のあり様に特に警戒が集中する。過剰な期待や、はたまた異常な警戒感が各国首脳の脳裏に変調を与え、かくて世界の歯車が狂いだすことになる。

 今年は特に異常である。ひとつには自国も巻き込まれかねない“戦争の脅威”が現実のものになっていることだ。ロシアのウクライナ侵攻と“パレスチナ問題”の再燃拡大の懸念。今一つは、共和党側の大統領候補が前大統領のトランプ氏に決定したことでアメリカ国内の分断が強まり“一本化できない超大国”になる可能性が増したことである。この人物の際立った特徴は、“自国の損得”を基準に“敵か味方か”を峻別する性格が顕著で、“政治的配慮”といった能力が欠如していることである。政治手法は“取引”であり、まず極端な要求を相手に突きつけ、そこから自国優位の落としどころへ持っていく。そこには“論議と調整”といった面倒なことは入り込む隙さえないと言っていい。ウクライナ侵攻に対しても、一方的な武器支援など損にしかならないという認識が起点になるだろう。代わりに何をウクライナはしてくれるのかこそが関心事となる。これはロシアに対しても同様だろう。「私が大統領になれば、ウクライナ戦争は数週間で終わる」と豪語する裏には、見返りへの単純計算による即断があるということだ。イスラエルやパレスチナに対しても、その姿勢は本質的には変るまい。

 北朝鮮などはトランプ氏には懲りているだろう。ぬか喜びさせられて結局は何も与えようとしなかった前大統領と交渉するには、氏が喜ぶものを持たねばならないことに気づいたろうし、それを持つことは不可能に近いという認識も持っただろうから。むしろ、中国のほうが期待は強いかもしれない。バイデン大統領のように、鼻から中国の国家体制を認めようとしない“民主主義原理主義者”よりは、取引をしようとするトランプ氏のほうが国益にかなう機会が見いだせると見ても不思議ではない。北朝鮮と違い氏の欲しがるものを幾つも持っていることもある。では、日本はどうなのだと言いたくなるが、ある意味で日本ほど、どちらでも“変らない”国はあるまい。戦争に敗れて以来、実質的に日本はアメリカに追従する以外に生き残る道はないのだから。しかし、政治はともかくとして経済に関してなら影響は極めて大きい。アメリカ第一は通商政策に顕著に出る。世界の歯車が狂いだす前に、まずアメリカ国内の歯車が狂いだすと言ったほうが良いかもしれない。

 典型は2008年だった。この大統領選の年に経済界で異変が起こった。住宅ローンを束ねて組成したサブプライムローンに対して疑惑が生じた。これを扱った金融機関は身動きが取れなくなり、フレディマックのような日本でいえば住宅金融公庫にあたる中枢が破綻の危機に追い込まれた。関連債権を抱えていたリーマン・ブラザースは政府からの支援なしでは倒産する事態となった。同社をが倒産すれば、システマテックに金融不安が拡がることは充分に予測できた。しかし、この時、ポールソン財務長官(当時)は支援に動かなかった。“民間企業救済の公金投入”は世論の反発が強く、秋の大統領選挙への影響を恐れたのである。これがあの“リーマン・ショック”の内情だった。大統領選への思惑が文字通り世界の金融市場の歯車を破壊させたのだ。時のブッシュ(ジュニア)大統領も任期満了まで1年をきっており強い指導力を発揮できなかった。思えば、この大統領に二期にわたって政権を保持させたのは、“タイミングの幸運”だった。あの2001年の9・11テロはこの大統領の就任一年目だった。あの事件が半年前に、つまり大統領選挙の前に発生していたらどうだったろうか。就任して半年、支持率がいっこうに上がらない新大統領はあの事件に対する報復の陣頭に立ったことで驚異的な支持率回復を果たしたのである。

 父親のブッシュ元大統領の方は不運だった。イラクのクエート侵攻に対して果敢に湾岸戦争を指揮し短期間で勝利したにもかかわらず、国内景気は混乱した。FRBのグリーンスパン議長(当時)は戦争景気による悪性インフレの芽を摘むため引き締めに動いた。これが景気を冷やし、大統領選で敗北する不運に繋がった。大統領選でのテレビ討論で民主党候補のクリントン氏に、“問題は経済なんだよ、この阿呆が”と揶揄されたことは有名である。今のバイデン大統領も不運な大統領だろう。もし、ウクライナへのロシア軍の侵攻が起こらず、中途半端な武器供与という煮え切らない対応で不評を浴びることなく、イスラエルのガザ反攻では支持を明確に表明したものの、非人道性を非難する世論に配慮せざるを得なくなりイスラエル批判の立場に追い込まれた。“同じ侵攻なのにロシアを批判しながらイスラエルなら目をつぶるのか”という特に若い世代からの批判はイタイ。しかし、この“敵失”でも、トランプ前大統領は楽観していない。想像以上に国内景気が良好だからである。投票行動を左右する根本に景気の良し悪しがあるとみる氏は、FRBのパウエル議長が“景気下降への予防措置”として緩和(利下げ)に踏み切ることを警戒している。“高金利状態を続けることで秋に景気が下降すれば11月の大統領選挙のダメ押しになると見ているのだろう。

 「私が大統領になれば、パウエル氏のFRB議長再任はない」とトランプ前大統領は公言する。氏一流の“恫喝”と見ていい。金融緩和は大統領選が済んでからで良いぞ、というメッセージなのだ。研究者であるパウエル氏にそんん“取引”が通じるかどうかは分からないが、意外に今の高金利レベルが続きトランプ新大統領が誕生したとすれば、新大統領はパウエル氏の手腕を持ち上げ再任に動くのではないか。日本への影響という意味では、トランプ氏のこのような功利主義的な“手のひら返し”が最も危険なのだ。日本の防衛費の増額や、米軍駐留経費への支援金増額を要求してくると見る向きが多いが、最も織り込まねばならないのは、FRBへの圧力である。景気浮揚のために金融緩和を迫るのは間違いない。その結果、日米金利差は縮小方向に向かうだろう。これは異常レベルにある円安の“円高”への急激な巻き戻しに繋がる。株高やインバウンドの急増といった現在の景気を支える屋台骨が傾くということだ。そのことに対する備えこそ、我国が今最も必要とすることではないのか。変調が不可避である以上、経済の歯車の補強こそ喫緊の問題だと心得たい。


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