ソーシャルエッセイ 荻正道
【昨日・今日・明日】
『国家は一日にして成らず』
イスラエルのガザ地区への攻撃が始まって、人道的観点からの批判が目立つが、問題の根源は“パレスチナ問題”。この問題を考えれば考えるほど、“国家とは何か”という難題に向き合わねばならなくなる。歴史的経緯を踏まえ国際社会は何をすべきかを考えるべきなのだが。
“失われた30年”は日本だけの問題ではない。まさしくパレスチナ問題こそ国際的不作為の代表事例である。あの“オスロ合意”が1993年だったことを思えば、ハマスが火をつけた今日の騒乱は、この30年は何だったのかという虚しさを覚えさせる。あの合意は、パレスチナ問題を恒久的解決に向かわせる方向性を両者(イスラエルとパレスチナ)が共有したことに大きな意味があった。パレスチナを“国家”にし、イスラエルとの“二国家並存”の秩序を形成しようとするものだ。国家間紛争は、経済的利害衝突と並んで、領土問題(領土拡大のための侵攻)が原因になることが多い。前者には“通商交渉”による解決法があるが、領土は難しい。そもそも、国家があってこその国土であり、国家ではないパレスチナには国土を主張する法的根拠がないのである。だからこそ、パレスチナを国家にし、国際法を踏まえた外交関係を構築することが安定化への第一歩と考えられたのであり、その方向性は正しいだろう。
しかし、国家とは住民(国民)の総意があってこそ作られるものだ。住民に国家を求めるニーズがなければ話にならない。パレスチナに住む人たちには、“パレスチナ国”を求める熱量が高くはなかった。現在、“パレスチナ自治政府”なるものが国際的に認められているとはいえ、国家として承認されている訳ではなく、そもそも住民たちがすべて信任している訳でもない。国家形成への強い世論があったなら、失われた30年にはならなかったかもしれない。人々は放牧で糧を得、大きな家族ともいうべき部族を社会の基本単位とし、そこで助け合い、掟(法や規範)によって秩序を維持してきたのだ。そこに“国家”なる上部機関など必要とする発想はなかった。パレスチだけではない。ほんの150年あまり前の世界には、そのような部族社会段階の“プレ国家”が数多くあったのである。急速に国家が生まれていったのは、先進工業諸国による資源や市場確保を目的とした地球規模の植民地化競争があったからだ。一部の国々による“傀儡国家づくり”によって、多くの部族社会は、国家に(少なくとも外形的には)進化した。
実質的に消滅した部族社会も少なくない。アメリカの“アーリー・アメリカン”(いわゆるインディアン)の歴史を思い起こせば分かりやすい。入植した白人たち(現在のアメリカ人の祖先)は、彼らに国家を作らせ共存する方向ではなく隔離(実質的には追放)する方針をとった。一方的に、価値の低い土地を居住区に指定し、そこに閉じ込める方策を推進した。アーリーアメリカンが多くの部族に分かれており連帯してレジスタンス闘争を行う条件を欠いていたことも彼らが“追放”される要因となった。例えば、シャイアン族とアパッチ族では気質やカルチャーにおいても違いが大きすぎたのだ。かくて、アメリカ政府がフロンティア終結宣言を出した1890年には、先住民は特定地区に隔離され、白人アメリカンが国土を支配し統治することになった。今日のアメリカ合衆国である。
似たような話は日本にもある。明治新政府のもとで行われた北海道開拓において、先住民(アイヌ民族)との共存思想は希薄だった。アイヌの人たちに“国家”を持たせるには、彼らはあまりに少数であり居住地も散在しすぎていた。新政府の屯田兵政策の前に目立った反攻をすることはなかった。その後、列強の一角になった日本は、この成功体験を踏まえ、昭和恐慌の打開策として清朝末期から放任状態にあった満州地区を、実質支配者だった地方軍閥の首長の暗殺により満州国という傀儡国家を作った。居住者の意向など斟酌する姿勢は皆無と言って良かった。その後、満州国は日本の敗戦によって消滅したが、今日存在する国家のなかには、宗主国が存続するために、彼らによって作られた国家形態が今なお存続しているケースも少なくない。今日、“途上国”と呼ばれる国々の多くは、先進諸国のエゴ(独断的国益)による国家形成過程を経験している。彼らの欧米諸国への不信感は根深い。もっとも、先進諸国のかようなエゴがなければ、今も、“国家以前の状態”の国々が地球上に多く存在していたろうが。
パレスチナは、かような近代史の中でも特殊な歴史を持っている。エジプトやアラビア半島の強力な部族国家とオスマントルコ帝国に挟まれた辺境に立地し、ここに居住する弱小部族には列強諸国の目は向かなかった。ここに目を付けたのはユダヤ人だった。彼らは、古代において国家を喪失し民族離散(ディアスポラ)状態になりながらも、ユダヤ人としてのアイデンティティを喪失することはなかった。それ自体が奇跡的だが、ユダヤ教という宗教が果たした役割が決定的に大きかったとされる。彼らは世界を流浪し商業の才覚によって個々に多くの成功者を生んできた。やがて彼らの中に、ユダヤ人も国家を持つ必要があるという考えが生まれた(シオニズム)。その論拠は、今後は工業化が進展し、商業活動だけでは将来はなく、定住国家を建設し社会インフラを充実させ自前の産業を育て、社会福祉制度の充実を通じて幸福を追求すべしというヴィジョンである。主体的な国家建設の内部世論を形成したことが他の民族との決定的な差異と言えるだろう。そして、その理想の候補地は彼らのアイデンティティであるユダヤ教のルーツ、エルサレムを含む地域であることは当然であったろう。
シオニズムに対して、国際社会は決して協力的ではなかった。夢想のごときもの、という捉え方が一般的だったとされる。これが一転したのは、第二次大戦時に生じたナチスドイツによるホロコーストの歴史的大惨事だった。ユダヤ民族を消失させる(ジェノサイド)という狂信的独裁者の妄念とはいえ、かような大規模な暴挙が政権関係者だけで出来るはずもない。ここには西欧社会に浸透していた“ユダヤ嫌い”の心情が協力的に作用したのである。ユダヤ人が嫌われてきた要因は彼らの際立った才覚(主として商才や知力)への警戒と嫌悪だったろう。これは、シェイクスピアの『ベニスの商人』を観るだけで十分に理解できる。戦後、シオニズムが急速に国際的支持や支援を得ていった背景には、贖罪の意識や同情があったと言わざるを得ない。パレスチナにユダヤ人の国家を建設させるという動きは具体化し、米英を中心に国連での決議を得た。しかしながら、自分たちの居住地であると認識していたパレスチナ地方に住む人達には、降って沸いたような災難だったに違いない。
当時の国際世論は、“パレスチナ地域はどの国のものでもない空地”という認識が圧倒的多数だった。国家があってこそ国土が認められるのだから無理もなかったろうが。しかしそれは、先進諸国の考え方であって、古代からこの地で生活してきた人達にすれば、“先祖伝来の自分たちの土地”に違いなかった。今から思えば、この時、国際社会がパレスチナ側の事情に思いを寄せ、客観的に課題を認識し事前調整に動かなかったのが悔やまれる。国連を中心に、“割譲”を円滑に進める方策(当然、パレスチナ居住民側への納得のいく対価の提示)や、将来予想される両者間のトラブル発生時の対処ルール等について、イスラエルにも約定させるべきであった。もし、多少なりとも、そのような慎重な配慮を伴ってのイスラエル建国であったなら、今日のような悲惨な事態は回避できたろう。
イスラエル建国直後から、パレスチナ部族民達は武器を取って、この“侵入者”への排撃行動に出た。これが以降、4度に及ぶ中東戦争の始まりである。イスラエル国民の心情としては、この反撃は“ホロコーストの延長”として受け取られ極めて強い危機感を醸成した。この時から、イスラエルは“周辺の敵対民族からの防衛”を国是とするようになる。ユダヤ人居住者の多かったアメリカは積極的にイスラエルの防衛装備に協力し、非公式ではあるにせよ、“核保有国”にまでしてしまったのである。国家を持たないパレスチナ居住民にイスラエルに勝つことなど不可能だった。連戦連勝のイスラエルは戦勝の度に領土に組み入れた地域(典型はヨルダン川西岸)を、世界から集まってくるユダヤ人の入植地として活用した。
パレスチナ側の抵抗手段としては、もはやテロしかなかった。ユダヤ人は国家を作り、パレスチナ人はテロ組織を作ったのだ。今回の騒乱の中心となったハマスもその一つである。事態を複雑にしているのは、このような非国家組織に支援をする国家が後ろ盾として存在するようになったことだ。イランが代表とされるが、それだけにはとどまらない。“敵の敵は味方”という論理で、“アメリカに敵対する国々”が陰の支援に回っている。表面化すれば、いつ第三次世界大戦が起こっても不思議でないほどの規模だ。今、国際社会がやらねばならぬことは、パレスチナを国家にして国連加盟させるような“手っ取り早い”策ではない。今回もそうだったように、イスラエルやアメリカが賛同することなどあり得ないし、そもそも国家統治の内実のない状態で国家扱いしたところで真の解決になるとも思えない。国家形成の担い手を作ることこそが最重要なのではないか。中立的先進諸国に子供たちを留学させ、“国家の役割”を学ばせ、将来の建国の主体者を育成することだ。それがなければ、パレスチナの子供たちが学ぶのは、イスラエルやアメリカへの報復感情だけである。復讐の連鎖は“失われた30年”どころか、半永久的に“中東の火薬庫”を存続し続けることになる。人間の幸福を求める知恵を養うのが教育だとすれば、オスロ合意の後、かような取り組みがあってしかるべきであった。今からでも遅くはない。日本もアメリカの言うままにならず、中立的立場で貢献すべきことは山ほどあるに違いない。