ソーシャルエッセイ   荻正道

【昨日・今日・明日】

『選挙イアー異聞』


選挙イアーと言われた今年(2024年)も終わる。多くの国で様々な選挙があった。全体的に与党政権に逆風が吹いた印象がある。物価高騰、環境破壊による異常気象、先行き不安・・・これらが世界的に共有されていた結果だろうが、集団ヒステリー的傾向がなきにしもあらず、今後の方向性が見えた訳でもない。アメリカの大統領選挙に焦点をあて選挙イアーを総括をしてみよう。


 選挙を考えることは、民主主義を考えること。“国民主権主義(民主主義)”の政治体制を採る限り、政治指導者は国民によって選ばれねばならない。そのための手法が選挙である。これをいかに公正厳密に実施するかという運営上のテクニカルな課題はそれだけで“選挙学”と呼ぶに値する。これが安定していないと負けた候補者が「この選挙はインチキだ。俺の票は盗まれたんだ!」と言い出しかねない。そして一部の国民が疑念を持ったなら、選挙の結果選ばれた政権は常に懐疑の目を向けられ続ける。与党過半割れとなった日本の衆院選の本質もそれである。一見、厳正に行われているかに見える選挙に、政治家と地域(選挙区)の日常的密着があればこその“政治とカネ”問題であることを多くの国民が見抜いたのである。驚くべきは、長く政権を担ってきた自民党の幹部層に全くその自覚がなかったことだ。彼らは日本の選挙風土を所与のものと理解し思考停止に陥っていた。終盤に露見した“非公認議員への2000万円送金”は、そのことを顕著に示したものである。

 このような後進国で起こりがちな低レベルの選挙現象を問題にしようとは思わない。最先端を行く先進大国であり民主主義の模範国ともされがちなアメリカの大統領選挙が、いかに理想から程遠いものになったかを考えたいのだ。二大政党が競い合うこの国で行われる4年に一度の大統領選こそは、世界のお手本でなければなるまい。現に、それだけの時間を使い、両政党とも予備選を重ねて最終候補者を選ぶ。選ばれたもの同士の一騎打ちは、MLBのワールドシリーズのような期待と熱狂を呼び、それぞれの支持者たちも声を上げ、富裕層は大金を投じて“推し”活動を展開する。日本と違い、それは合法な支援活動であり堂々と内容が公開されている以上、後指をさされることはない。そのカネのほとんどはメディアに広告費として投じられ、両候補の政策を人々に知らしめることに使われる。かくて有権者たちは候補者の思想、哲学、政策の方向性を吟味して投票を行う。「どちらも立派で最期まで悩まされる」というのが理想の選挙というものだろう。

 しかるに今回の大統領選は何だろう!。 “人格を疑われる男と能力を疑われる女”との一騎打ちというあきれるような選挙だった。有権者たちは、“どちらがマシなのか?”で最期まで悩まされたのであった。稀に見る大接戦のはずが、結果は圧倒的に“人格を疑われる”候補者が票を勝ちとった。この最期の寄り切りのパワーをもたらしたものは、何だったのか。手続き的には今回の大統領選は“無効とされてもおかしく無い面があった。民主党代表候補に選ばれていたバイデン現大統領が、共和党のトランプ候補とのテレビ討論で高齢によると思われる認知症的兆候を露呈したということがすべての発端だった。しかし、明らかな病理的な症状を見せた訳ではない。「ちよっと風邪気味でな、調子が出なかっただけさ」と当人も言い、試聴した国民の多くもその程度の受け取り方だった。

 焦ったのは政党である。民主党内から「あの爺さんではトランプに勝てない」という“バイデン降ろし”の声が出て、あっという間に拡がり、大口献金者からは「バイデンが候補なら、これ以上カネは出せぬ」という声まで上がった。最期のとどめを指したのは、バイデンの長年の盟友とも言うべきペロシ院内総務(当時)。バイデンが大きく傷ついたことは想像に難くない。日本の自民党でさえ、選挙直前であんな露骨な現職総理降ろしはしない。一方で擁護する議員も必ず存在するからである。しかし、アメリカ民主党内には、“トランプの復讐”への恐怖が強すぎた。トランプに勝った前回選挙にはそれなりの後ろめたさがあったのである。まさか、“票を盗んだ”とは言えないにせよ、当時猛威を振るった新型コロナを口実に郵便投票を推奨する選挙作戦をとったことには“どさくさ紛れ”の印象が付きまとった。勝ち取ったバイデン政権のその後の4年間は、多くの民主党員にも不満を感じさせるものだった。(アフガン撤退の混乱ぶり、ウクライナ支援の曖昧さ、イスラエルの過激な報復姿勢を変えられなかった影響力の低下。これらの外交的頼りなさに加え、国内での物価上昇や移民問題への対応の遅さ等、これでは前回選挙で民主党候補に投票した有権者も失望と後悔をしているに違いないという不安!)。

 バイデンは自ら候補を降りるしかなかった。党大会で正式に選ばれた最終候補者が投票日の4ヶ月前に降りたのだから、本当なら予備選挙をやりなおし、もう一度党大会を開催して候補者を選び直さねばならなかった。しかし、時間的に不可能だった。結果はネット上で予備選挙も党大会も実施し、“正式に”候補者を選びなおすという“限りなくバーチャルな手続き”となった。確かに現職大統領の非常時には、副大統領が大統領に代わる憲法規定がある以上、党内の候補者選定においてもこれを援用することは許容範囲という見方もある。問題は、副大統領だったハリスにあった。彼女は“女性や有色系に寄り添う”バイデン政権の“シンボル”として副大統領に選ばれたのである。(これも民主党内での後ろめたさの一つであったかもしれない)。能力が二の次の人事であったことは、副大統領として移民問題を担当しながら全く仕事をしなかった(出来なかった)ことで多くの国民にも見抜かれていたのだ。実績もなく能力も疑われる副大統領が、時間がないという事情で無理やり、トランプの対抗馬として祭り上げられたのである。

 とにかく民主党は必死だった。清新の気風や若さといったイメージでハリスを大々的に売り出した。一時的に支持率はトランプを圧倒し、ひょっとしたら本選で勝てるという期待が陣営内で強まった。呆れたのはトランプ陣営だったろう。ワールドシリーズなら、突然、相手チームから見たこともない新人投手がマウンドに上がったようなものだ。「あんな投手、いたっけ?。正式に出場登録していない選手が出場できる訳ないだろ!」といったものだろう。トランプも「ハリスは民主党内で予備選を経ていないインチキ候補だ。大統領選に出馬する資格はない。今度の大統領選挙は投票するまでもなく俺様の勝ちだ!」と喚きたてたが、メディアも世論も一切無視した。これがもし立場が逆で、トランプ側に生じた事情なら、そのバッシングは凄まじかったことだろうが。

 ハリスのメッキは直ぐに剥がれた。集会でプロンプターが壊れてしまい、彼女は呆然としてプロンプターの最期の表示言葉を何度も繰り返す有様だった。全く機転が効かないことは無能力の証左だという見方が拡がった。演説原稿を自分のものにしていたら、たとえスピーチライターが準備したものだったにせよ、ここまで醜態を曝さずに済んだろう。こういう不意を突かれた瞬間にこそ、候補者の器量が現れてしまうものだ。逆にトランプの方はスナイパーに狙われ負傷しながらも、コブシを振り上げて支持者に団結を呼びかける勇姿を見せた。主義主張を別にすれば、アメリカの大統領にふさわしいのはどちらかは明らかだったろう。一時はトランプを突き放した支持率は急速に低下し、トランプに再び抜かれるまでになった。焦った民主陣営は、レディ・ガガら華やかな女性タレントを集会に動員し盛り上げを図った。しかしこれは逆効果だった。“高学歴&高収入のオンナが巨額のギャラを稼ぐ芸能人に囲まれて好い気になっている”姿は、物価高に苦しむ国民には反感を与えるものでしかなかった。日本の衆院選の“2000万円振込事件”のような致命傷になったのである。

 そもそも現政権の副大統領候補者が大統領選で勝つことは、よほど政権が高支持率を維持している時に限られる。しかし、そんな政権は稀なのだ。いくつかの失政があり不人気政策があるのが常態である。国民はそれを冷静に評価したうえで、政権を継続させる忍耐か、政権交代させる勇気かを選ぶ(選ばされる)のである。
日本では次期総理を狙う政治家は入閣要請を固辞し、やがてくる総選挙に際して現政権の“修正すべき”政策や方向性を、自分ならこう正したいと訴えて選挙を戦うものだ。ハリスには副大統領として、そのような問題意識すら持たなかったのではないか。特にウクライナ支援に続きバイデン政権の致命傷になったイスラエルへの支援については、ハリスは副大統領として、建設的な助言をバイデンにする姿を(たとえヤラセにせよ)打ち出していれば、戦争に反対する若い世代の支持を保ち得たかもしれないのだが、ハリスは、何の主体的な発信もせず(出来ず)、ただ、ごまかしの笑顔をふりまくしかなかった。

 しかし、アメリカのメディアは最期まで“史上まれな大接戦”と報じ続けた。もともとアメリカの主要メディアは、はじめから共和支持か民主支持かのスタンスを明らかにし、それぞれの政党の支持者を主要読者にしている。そして、著名メディアは民主寄りなのである。“史上まれにみる大接戦”と報じ続けたのは彼らである。その報道をそのまま鵜呑みにして報道した日本の主要メディアの罪は重い。ここには、国政選挙ごとに世論調査を何度も実施し情勢報道する日本の政治文化の後進性がある。重要なのは政党のありかただ。各政党がどれだけ国のリーダーにふさわしい政治家を育て候補者として出してきたかをしっかりと精査することだ。政権を維持したいという党利党略だけで候補者をセットしてもらったら困る。今回は民主党の混乱ぶりが目立ったが、共和党も共和党である。“人格の疑われる”政治家に依存し、その行き過ぎた態度ひとつを正せないような政党なら、その真の責務を果たしているとは言えないだろう。民主主義をよりよくする為には、信頼に足る政党が育たねばならない。アメリカの二大政党も“政党改革”の時を迎えている。アメリカの大統領選はじめ、世界の選挙イアーが残した最も重大な教訓はそこにあると言いたい。   (敬称略)  


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