ソーシャルエッセイ   荻正道

【昨日・今日・明日】

『ロケットスタート』


アメリカ大統領に就任してからまだ三か月余りなのに、トランプ氏の働きぶりはモーレツだ。これが米国企業トップの働き方だと思えば納得されるが、世界中が振り回されているのも事実。まずは、このエネルギッシュマンの真意を理解することから始めねば。


 なぜこんなモーレツなロケットスタートが切れたかというと、それなりの準備をしてきたからだ。4年前に“屈辱の敗北”を喫してから、どうリベンジするかを考え詰めてきたに違いない。一期目の最大の反省は閣僚人事の失敗だった。閣僚にしてやれば、自分の言うとおりに動くものと考えていた彼は、企業経営と政治運営の違いを思い知らされたに違いない。彼らは“了解”という代わりに、“問題アり”というのだから、仕事が動かない。途中で何人もの閣僚の首を切ることになったが、非効率この上ない組織だった。トランプは二度と同じ失敗は繰り返すまいと肝に銘じていたろう。二期目のスタートにあたって、彼は自分に忠実な閣僚を選ぶことに腐心した。自分の指示を受けたら迅速に動き出す閣僚を揃えた。それは成功したと言えるだろう。見ようによっては“誰もトランプに逆らえない取り巻き内閣”の出現だった。

 “言うことをきく男か、聞かない男か”の峻別は、外交において“言うことを聞く国か、聞かない国か”にそのままに繋がる。最初に集中したのは、ガザとウクライナの戦闘停止だった。自分が動き出せば言うことを聞くに違いないという思い込みは、へし折られた。戦っている当事者には、それぞれの思惑があり、国民の支持が何時離れるかという強迫観念からも自由ではない。トランプは嫌になったのだ。やはり、他国をねじ伏せるのは“経済”に限ると作戦を立て直した。悪名高い世界中を相手にした“相互関税政策”。アメリカからの輸入に関税もしくは障壁(非関税障壁)を設けている国に対し、米国も同じだけの関税をかける。関税フリーなら米国もフリーにするが、高関税なら米国も相応の関税をかける。トランプにすれば、“関税平等主義”といいたいところだろう。

 これに対し、世界中の識者が“大間違い!”と批判を続ける。リカードのような古典経済学の大御所の理論を持ち出し、それぞれの国が比較優位にある物財に生産集中し、それらを交易することで、人類は最も効率的かつ合理的分担で経済活動を行うことになり、人類の進歩に貢献する。今日、コモンセンス(常識)になっているこんな理論もアメリカ大統領は知らないのか、という揶揄を含んだ批判だが、これほど的外れな批判もない。トランプの狙いは、アメリカの富が強力磁石のように他国に吸いつくされる現状にストップをかけることだ。“アメリカは今まで世界からおだてられ、チップや寄付の名目も含めてカネを奪い取られてきた。もうそんな“お人よし”な国ではないぞ。取り返すべきは取り返す。それが米国を再び偉大にする早道なのだ。それが大統領としての俺のミッションなのだ”ということになる。

 トランプのこの言い方には一理はある。“世界のアメリカ頼み”は80年前から始まったのだ。第二次大戦の終了時点で、戦勝国と敗戦国に分かれたが、欧州の戦勝国も国内が戦場になったため、被害が大きく再建には数年を要する事態だった。世界中が“実質的には敗戦国”だった。その中で国内が戦場にならなかったアメリカだけが、実質的に唯一の戦勝国と言えた。戦後経済のロケットスタートをきったのも、当然、アメリカだった。戦後の国際秩序を形成した国連はじめ様々な機関を運営する費用はアメリカが最も多く負担した。他にカネに余裕のある国などなかったからだ。これでは、世界の基軸通貨がドルになっても、誰も文句は言えなかった。石油はじめ重要物資が必要になれば、アメリカはドルを刷るだけで良かった。国際紛争が起これば、米軍が秩序を回復すべく出動し、確かに“何とかなってきた”のが、戦後80年の歴史の現実だった。

 「もうアメリカを頼りにするのは止めてくれ!」と最初に言ったのは、オバマ元大統領だった。「アメリカはもはや世界の保安官ではない」といって、シリア紛争から背を向けたのが始まりだった。このアメリカの豹変ぶりは、野心的な国家指導者達を非常に刺激することになった。オバマの“不介入宣言”によって、世界は保安官のいない状態になったと認識した結果、武力介入が世界のあちこちで起こることになった。ロシアのウクライナ侵攻はその代表事例と言っていい。トランプはその意味では、オバマと同類のアメリカ大統領である。但し、経済人らしく、すべてを金銭に基づいて取引しようとする。“外交”という従来から使われてきた言語を“ディール”という通商言語に置き換えた“功績”は歴史的と言っても良い。これでは世界は、“損得”だけで動いてしまうではないか。理念を語り合い追求するのが外交精神の起点というタテマエを、トランプは赤裸々な自国利益の取引所に変えたと言っても良い。
「日米安保条約はディールとして奇妙だ。我々が日本を防衛しなければならないのなら、日本は我々に対価を支払うべきだ」ということになる。


 こういう対等(対価)主義のディールがトランプ思考の一丁目一番地である。今回の“相互関税”政策は、そのように見て初めて本質が見えてくる。もっとも、彼がなぜこうまで急ぐのかは、政治家としての彼の置かれている立場であり、それに対する計算である。彼の当面の目標は、年内で終わる減税政策を、来年から“恒久減税”化して高らかにうちだすこと。これは大統領選挙時の公約であり、来年秋に予定される中間選挙を制する決定的条件だからだ。ただ、恒久減税となると、税収減を埋める構造的措置が求められる。トランプにとっては、カネをいかに始末するかが最優先事項なのだ。企業経営で言えば、大リストラを断行して歳費を圧縮しなければならない。イーロン・マスクを“抜擢”して強烈な政府行政組織の大リストラを進め、WHOはじめ国際機関から脱退を表明したのも、負担金をセーブしたいからであり、特段の他意はない。

 決定的な対策が今回の相互関税である。非常に粗雑、粗暴に見えながら、よく見ると巧妙に練られた面があることが分かる。まず、他国からの輸入品に課けられた関税は輸入業者によって国庫に納められるのだ。相手国と同じ関税をかけるだけで国庫への収入はバカにならないものになる。恒久減税のリソースの一端にはなるとの計算だろう。輸入業者は課けられた税を取り戻すべく、販売業者への卸価格を引き上げることになる。世界中から物品を輸入している米国では、物価が軒並みに上がることが懸念される。これをもってエコノミストは、消費行動が抑制され不景気になること必至という。しかし、この懸念は図式的に過ぎる。実体経済では、少々、価格があがろうと必須の消費財においては消費量が落ちることはない。嗜好品などは、富裕層にとっては、価格上昇がそのまま消費抑制につながるとは限らないのだ。

 今回の相互関税政策が巧妙なのはここである。基礎部分(10%)と個別税率を分けて構成していることだ。基礎部分については、下げるつもりなどトランプにはない。10%なら価格転嫁だけに依らずとも経営工夫で吸収できる余地がある。価格転嫁が生じても、消費者の立場なら、“消費税が多少上がった”ぐらいの感覚で乗り切れる可能性がある。むろん不満はあろうが、ここに恒久減税が打ち出されれば、そんなものは吹き飛ぶだろう。問題は個別税率部分である。極めて大きな税率が提示されているが、これに驚いてはならない。これこそ“トランプ流ディール”への誘導なのだ。したがって、いつから、どのような内容で開始するのかは全く流動的である。恐らくトランプにも分からないだろう。つまり相手国から何を引き出したいのか。国内の有権者受けするものが最善だろうが、トランプに明快な要求があるとも思えない。ただ、米国への投資がウエルカムなのは間違いない。重大なことは、黙っていても投資資金が集まる平常投資などではなく、政治的な働きかけ(圧力)がないと投資されない領域へカネを出させることだ。それは何か。

 中間選挙を勝つためには、恒久減税と並んで、もうひとつの柱が無視できない。エネルギー価格である。クルマ社会のアメリカでの“決定的物価”はガソリン価格だ。これを下げなければ有権者の不満は抑えられない。ウクライナ戦争の終結に熱心なのは、エネルギー交易が平時に戻ることを期待してのことだろう。国内のシェールオイルを“掘って掘って掘りまくれ!”とも言うが、思ったように進まない。企業にすれば設備投資しても、トランプ政権はあと3年半で終わりなのだ。その後、地球環境保護を強調し化石燃料を敵視する政権が出来る懸念がある以上、アメリカ国内の投資家は動かない。ここは外国資本の投入で“掘りまくってもらおう”となる。アラスカのLNG開発も事情は同じだろう。これに対する各国の態度によって、“特別協力国”“協力国”“非協力国”といったランク分けがなされるのではないか。今後、外交上の局面において、このランクが重要な意味を持つかもしれない。少なくとも日本も、“同盟国”といった従来認識で安心するのは止めたほうが良い。アメリカという巨大市場を国益に繋げるには、相応のコストを覚悟しなければならない。“外国市場を成長の牽引車にするコストとリスク”を無視できない時代が来たのだ。エネルギー政策の方向性、各種規制や農政の方向転換を含め、国家としての総合点検の機会が来たのだ。総合的な青写真抜きでトランプ流のディールに乗ることは危険なのである。   (敬称略)    


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