ソーシャルエッセイ 荻正道
【昨日・今日・明日】
『米作ドームの勧め』
相変わらずコメの値段が高止まりしている。このままいけば、7月の参院選にも影響しそうな気配である。備蓄米の随意契約方式での放出によって混乱を伴いながらも価格は一時的に落ち着いても、この先、価格上昇圧力は根深く残るだろう。ここはひとつ抜本策を考えたらどうか。突拍子もないと呆れられそうだが、着想のひとつを披瀝してみたい。
すべての物価は、需要と供給が均衡するところで決まる。需要が強すぎて供給が追いつかない状況では価格は上がり続ける。需要は変わらないのに供給が不足する局面でも価格は上がる。しかし、いつまでもその傾向が持続する訳ではない。需要が供給を上回る時には、供給力を強化する動きが出てくる。もっとも、需要過剰が一過性の動きと考えれば、増産投資に慎重になるので供給不足は長引くことになりかねない。今の米価の高騰は、これに近い。そもそも人口が減り続ける国内のコメ需要が増加する理由はないのである。今の需要の増加は、インバウンド(来日観光客)の増加による“一時的な需要増”であって、円安から円高に為替が転ずれば、この“仮需”は消え、コメの需給は安定し、価格は元の水準に戻ると、所管官庁は考えているのだろう。当面は、備蓄米の放出で行き過ぎた米価は沈静化できると計算しているようだが。
むろん、先のことなど誰にも分からない。分からない時には、“リスクヘッジ”の動きが生じる。コメがなくなったら商売が出来なくなる人達(特に外食産業や関連業種の経営者)からすれば死活問題である以上、先回って購入予約に動くことになる。所管官庁は、それを“仮需”と見る。インバウンドが減少し、抑えたコメが余ると市場に安値で放出されることになり、一転して価格は下がる。それこそ所轄官庁の最大リスクであって、そのヘッジは“増産しないこと”に尽きる。“売り惜しみしている人達がいて、流通が目詰まりを起こしているだけのこと”という認識を変えない。そもそも、日本国の農政の基軸は、農家が安定したコメ作りで収入を得られるようにすることで、過剰生産による価格下落の恐れをなくすことが一丁目一番地であった。長く続いた減反政策こそ今も基本方針であり続けているのだ。
背景には、日本のコメ作りの弱さがある。米作国でこれほど生産コストの高い国はない。国際的に競争力ゼロの産業を維持しようとすれば、政府による税金を原資とした補助政策しかない。その政策を堅持することで農家からの票を当て込んで自民党政権が維持されてきたのである。何故、それほど生産コストが高いのかと言えば、これは終戦時のGHQの政策にまで遡ることになる。彼らは、日本の民主化の切り札として、“地主、小作関係の解消”を一気に進めた。“農地解放”である。これによって小作地は小作人のものとされ、狭く分断されたおびただしい水田が生まれてしまったのだ。むろん、それだけが原因ではなく、そもそもこの国の地形が、棚田に典型を見るように細かく分断されがちなのである。歴史的な経緯はともかくとして、このような水田耕作のやり方では、アメリカのカリフォルニアのような大規模なコメ作りの生産性の高さに太刀打ちできる訳もない。
しかし、需給の均衡が極めてとりにくい本質的な原因は、生産のリードタイムの長さにある。需要は猫の目のように変化するものだ。それを鋭くキャッチして生産を調整するのが製造業の経営の要諦である。コメ作りの場合、田植えから始まり収穫期は秋の一度きりである。1年ものリードタイムを持つ製品では需給調整は不可能に近い。半導体なども、3ヶ月近いリードタイムを持つことで、ギャップは拡大し、“シリコンサイクル”と呼ばれる価格上昇と下落の波が循環的に生じる。政府の政策で供給量が抑えられるなら、需要の変化に伴って、“コメ余り”と“コメ不足”のサイクルが繰り返されるのは当然なのである。最先端の製造業なら、市場の最前線の実需を把握し生産にリアルタイムで反映させようとする。極端に言えば“一つ売れたら一つ作る”のだ。そのうえで消費現場の動向に対応できるだけの流通在庫を折り込んで生産量をフレキシブルに計算し維持しようとする。ITが多層的な情報把握を可能にし、AIが緻密で迅速な生産計画を作成するのが“賢いモノづくり”なのだが。
半導体の場合は、ベースとなるシリコンウエハの生成に化学的な所要時間があるため短縮化に限界があるが、コメ作りの場合は、自然環境(気温、降雨量等)こそが制約要素である。これがあるために、作柄は毎年変わらざるを得ない。これを人工的に調整、管理出来れば生産の平準化に繋がる。果樹や野菜栽培などで一般化している温室の発想を米作にも応用出来ないものか。日照も気温も土壌も人工的なものに置き換えれば自然に振り回されず工場並みの“計画生産”が可能になるはずだ。むろん、温室では小さすぎ、テントでは気密性が脆弱だ。広域に農地をドームに収納すればどうか。ドーム内では気温が米作に最適な状態に管理され、雨もまた最適量が人工的に降らされる。土壌の養分も肥料が理想的にまかれ、むろん、台風等の自然災害のリスクもなくなる。このようなコメ作りが可能になるとすれば、リードタイムをどこまでも短縮化できる。田植えの時期は6月に限らず、稲刈りは秋に限ることもなくなるからだ。2月田植えのドームもあれば、9月田植えのドームもあるという具合だ。年に6回に区分すれば、リードタイムは二か月。むろん、田植え時期が毎月異なるドームが12個並んでもよい。それならリードタイムは30日になる計算だ。
大量購入者(外食産業やスーパー等の大規模小売企業)にしても、1~2ヶ月間の必要量を予測してオーダーでき、誤差分は次の1~2ヶ月分で調整出来ることになり、過剰な受発注は生じなくなるだろう。むろん、JAを中心とした一方向的かつ複雑多層な流通経路も集約され、コメの流通コストは他の多くの製品並みに圧縮され、消費者は安いコメを“いつでも安心して味わえるようになる”。そんな夢のような話をしても仕方ないとは言わせない。これらを実現する技術は、いずれも既にある。AI等に比べれば、“ローテック”の部類に属するものなのだ。すぐにも導入できるもので、それらの技術のコラボレーションは、実際に運用されればされるほど精緻に洗練されていくに違いない。そうなれば、あれほど高いとされる日本のコメ生産コストは飛躍的に改善され、国際競争力を持つようになる。むろん、米作環境が完全にデータ化されれば品種改良そのものが効率化でき、日本ならではの美味なコメは世界中から求められ、重要な輸出産業になっていくことだろう。
この“コメ作りドーム”で働く人の仕事の中身も一新される。田植えや稲刈りといった重労働は機械システムに任せればいい。このレベルのロボテクス化なども、既に“ローテック”の部類である。ドームワーカーの主たる仕事は、ドーム内の環境維持管理であり品質管理が主となる。むろん、全国から(場合によっては海外からも)の注文の受付をベースにした生産計画の作成は重要な仕事になるだろう。むろん、品種改良等の研究開発業務も必要になる。総じて、農業労働は最先端の知的職種になる。一日の労働時間は他業種に劣らず短縮化され、休日も遜色なくとれる。こうなれば、米作ドーム地帯では、自然豊かな環境で子供を育てたいと願う人達をひきつけ、故郷にとどまり所帯を持ちたいと考える地元の人達も増えるだろう。つまり、今過疎化で悩む地方の風景は一変することになる。人が増えれば、様々な産業も芽生えるに違いない。都市圏への一極集中の弊害も解消していくに違いないのだ。
技術的には可能でも“絵に描いた餅”だと言われる向きも多かろう。ドーム化などと言ってみたところで、本質的には“農地の大規模集約化”であり、今までさんざんやろうとして出来なかったものが急に出来るはずはない、と言われるに違いない。“お百姓は自分の田畑を手放すことはしない。先祖からの田畑を自分の代で手放すなど禁忌と考えているからだ”と言われる向きもあろう。しかし、ここが政治の出番なのだ。“土地を政府に売却する”だけでなく、様々なメニューを用意したい。“政府や自治体に長期貸与”とし、毎年魅力的なレンタル料を受け取れるようにしても良い。農業従事者の平均年齢は年々高齢化している。サラリーマンに定年があるように、きつい肉体労働から開放されたゆとりある老後が提供されるとあれば、政府の提案を歓迎する人も少なくないのではないか。大切なことは“新たなビジョン”を提供することだ。明日に夢が感じられれば、農家の子供達も農業に対する見方を変え、ドームで働こうとする人も出てくるだろう。最先端のハイテク環境での仕事は、従事する人達のキャリア形成にも資することになるのだから。
ドーム化など巨額の資金がかかる。そんな投資をする企業があるか、と言われるだろうが、これこそ政府の出番なのだ。“官営米作”に踏み切れば良い。今までの農政にかけてきた、あるいは将来かかる税金の額を思えばしれている。しかもこれは、使い捨ての税金にはならない。将来、利潤を生む楽しみがある。かつて明治新政府が製糸産業を起こすため官営富岡製糸場を作ったようにすれば良い。それが呼び水となって各地に民営製糸場が生まれていったではないか。あるいは、国民から出資者を募る方法もある。田畑を提供してくれた農業従事者も出資者になるかもしれない。そして毎年配当を受け取ってもらえるなら、消費に回る部分もあり経済を成長させる動力にもなろう。思えば、この国は戦後“民営化”一辺倒の歴史を刻んできた。しかし、真の新規事業は国家が主導しなければ芽吹かない。再びそういう時代が来たと考えるべきだろう。関西万博に、そんな“米作ドーム”のパビリオンのひとつでも出展されても良かったのだ、と思うのだが。