ソーシャルエッセイ   荻正道

【昨日・今日・明日】

『原点回帰』


参院選が終わった。結果にメディアは大騒ぎするが、冷静に見れば“こんなもんだろうな”程度のこと。注目すべきは選挙の実態が顕著に変わってきたことだ。その変化の本質をこそ見たい。

 東京知事選、衆院選、都議選、参院選と、選挙のたびに“新興政党“が選挙を“ひっかき回す”現象が続いている。今回の参院選の“争点”は、“減税か、給付金か”だったはずだが、いつの間にか、“外国人問題”が急浮上してきた。“日本人ファースト”を唱えた参政党の勢いに与党だけでなく野党各党までが対応せざるを得なかったからだ。思えば、物価上昇で困窮する国民の暮らしを支える緊急対策として、給付金を配るのか、消費税率を下げるのか等が参院選の主要争点になることがオカシイのだ。政権内の閣議でもめるなら話は分かる。どちらの策を用いるにせよ、さっさとやればよかろう。選挙なんかしている余裕などないはずだ。我々は、非常事態に際して迅速に対処する(出来る)政権を選ぶのであって、我々がチェックすべきは、その実行力と方向性である。政権をどこに委ねるかの“政権選択”選挙は衆議院選挙であって、そこで各政党の基本思想として“減税か、給付金か”を問うなら分からないではない。今回の参院選が異様な展開になったのは、前回の衆院選で政権が弱体化したからだ。自民党と公明党が過半の議席を得られず政権を失うのかと思いきや、野党側が“野党政権”を樹立しようとしなかったことが尾を引いているのである。

 奇妙な通常国会だった。少数与党に対して、それぞれの野党が衆院選で公約した政策を実現させるべく、“ディール”に熱中したからだ。「所得税の103万円の壁を壊し178万円にひきあげてもらおう」という政党もあれば、「高校無償化を実現してもらわねば予算案に賛成できませんな」という政党もいた。もろん、裏付けとなる財源が用意できなければ踏み切れる訳はない。「それは政権与党がお考えになれば良いこと」と、公言する野党幹部がいたりして、もはや“たかり”合戦の様相を呈した。そのうちに自民党側もしたたかに、野党各党と個別に“ディール”し、分断を煽った。党利党略が露骨に出たという意味で、2025年通常国会ほど“政治の劣化”を浮き彫りにした例はない。今回の参院選は、そんな現状を有権者がどう評価したかが露骨に出た選挙だった。“党勢拡大の勢いに乗り露骨な“ディール国会”を演じた野党を見て、有権者は、自らの利益が一定程度実現することを知った。参院でも少数与党にしておくのがベストではないか、という計算が生じたのである。減税も歓迎、給付金も歓迎、両方ともなら、なお歓迎。与党多数政権ならそうはいかないが、衆参ともに少数与党状態なら実現性は大いに高まるかもしれない・・・。

 それなら野党のどこを推すべきか。“手取り増”を引き続き叫ぶ国民民主党への好感度は高いままだが、新味に欠けた面はある。ここに“日本人ファースト”を叫んで一部有権者の不満の受け皿を狙おうとした参政党の戦術が功を奏した。生活者の不満は経済領域に限らないことを発見した慧眼は刮目すべきだろう。物価上昇は腹立たしいが、インバウンド目当ての外食産業、宿泊業の“値上げ”は一層腹立たしい。日本国民に手が出なくなったレジャー価格、自分たちの税金で整備されたはずの社会インフラを外国人が好き放題に利用し、日本人は肩身の狭い思いをしているのは許せない。排外主義はいけないと表向きは言いながら、密かに共感していた有権者も多かったのではないか。誰のための政治か、誰を向いて政治をしているのか。これは、北米のラストベルト地帯の“被害感情を持つ白人労働者層”に目を付けたトランプ大統領の政治手法に共通している。いっそ、参政党政権なら、トランプ政権と馬が合い、関税交渉も有利になるのではないか、とまでジョークの一つも言いたくなるが。

 自民党がなぜ大きく支持を失ったか。やはり石破首相の言動イメージが大きい。関税交渉でトランプ大統領に振り回された頼りなさは、3年前の参院選のさなかに銃撃された安倍元首相の命日が来ただけに、対比する向きが出た。“アベならトランプともっと上手くやっているのではないか”という思いは有権者に共通するものだったろう。「なめられてたまるか!」などと公衆の面前で強がって見せる石破首相に期待を寄せる国民などいなかった。さらに、決定的だったのは農業従事者が抱く猜疑心だった。小泉農相起用による米価対策は自民にとって数少ない獲得ポイントだったはずだが、“コメ価格はどこまで下がるのか”という不安を募らせ、関税交渉で自動車産業を護るため農業を犠牲にするつもりではないのか、という疑心暗鬼を生んでいた。むろん、“石破という人物は信用できない”という印象が前提になっている。首相就任直後、さっさと持論をひっこめ、改革すると言っていた自民党の伝統的政治手法に乗り換えた“転向ぶり”は鮮烈すぎた。政治とカネの問題を改革すると言いながら、自分でも新入党員に20万円づつバラまいていた事実・・・。これらがプラスに働くはずはない。今回の選挙で“保守王国”といわれた多くの一人区(農家票が相対的に多い)で議席を失ったばかりか、比例で惨敗したのは、そういうことに他ならない。

 懸念すべきは今後の政治運営である。これ以上“ディール国会”が続けば、この国は崩壊に向かうことになりかねない。今こそ議会政治の原点を確認しておく必要がある。今日の政治体制のルーツは明治新政府にある。誤解されがちだが、敗戦によって進駐軍による“指導”がなされた結果ではない。明治維新で徳川幕府から政権を奪った薩長列藩政権は、“万機公論に決する”というタテマエを掲げたが、国会を開いて議員を選挙で選ぶなどということは考えもしなかった。“大久保独裁政権”などといわれた時代を経て、自由民権運動の高まりに抗しきれず、維新から20年以上経ってから、ようやく帝国議会なるものを作った。このとき大衆から選ばれた議員による議場(衆議院)での“行き過ぎ”を恐れた政府は、同時に“貴族院”を設置した。つまり衆院のブレーキ役であり、これが後に“参議院”となったのだ。今も会期の初めに天皇の臨席を仰いで国会開始セレモニーが行われるが、この舞台が参議院であるのは、その名残なのである。アメリカなども二院制(上院と下院)を採用しているが、役割分担も明確にしている。予算は下院が握り、閣僚人事の承認や他国との条約締結の承認は上院マターである。役割が明確であるため、その議席構成も選挙の方法も明確に区別されている。

 下院は人口比例によって決められた議員数だけ各州の選挙区で選ばれるが、上院は各州から2名が選ばれる。州の大小は問われない。すべての州は平等に扱われるべきだからである。日本は、その前提があいまいなため、“1票の格差”のような一面的な論議が選挙の度に蒸し返される。この論理でいけば、合区(島根鳥取選挙区など)が増え、過疎化が進む地方から選ばれる議員はますます少なくなり、過疎問題といった国の将来にとって最重要な議論はほとんどなされなくなるのではないか。このようなことを再確認することから政治改革は始められねばならない、“政治とカネ”の問題など皮相な話であって、“政治献金問題”など、一時期にあれほど問題にされながら、今回の参院選ではほとんど争点にもならなかった。“季節の移ろいのような政治”では、この国が今最も必要としている構造改革など何一つ進まないのではないか。そもそも、衆院は解散があり2年程度で選挙の洗礼を受けねばならないが、参院議員は解散がなく長い任期(6年)が保証されている。それは長期間を要する構造改革問題こそ参院が主導できるようにするためである。現下の問題に対応する衆議院と長期的課題を主導しなければならない参議院で政党の訴えが同じであることが可笑しいのだ。

 問題解決の手法として、長期的課題と短期的課題を切り分けることは基本である。企業経営の場合、一定以上の規模になれば分権型経営組織が採用され、大きく権限移譲することで迅速な対応を可能にしようとする。国家運営も、そうであらねばならない。中枢部署では長期的戦略課題だけに集中し、暮らしに密着した日常的課題は地方自治体に財源も権限も移譲するべきだろうが、改革の第一ステップとして、国政における“長短分離”を具体的に考える必要がある。衆院では短期的な問題に集中し、参議院では長期的な問題を担当するようにしてはどうか。衆院が短期課題の対処にとまどう内閣に対して不信任案を出し、内閣も常に解散総選挙の機会を狙う現状も、短期課題を専門にする衆議院ならばこそ、民意を確認する意味でも全く無意味なこととは言えまい。しかし、参議院の議員は6年間の任期を与えられているのだ。解散総選挙などはない。長期的な課題を審議するにはそれだけの任期を安定して与えることが適切だからだろう。長短の審議課題を明確に区分した二院制なら、党利党略に選挙が利用されることは少なくなると期待したいのだが。

 重要なことは、政党の組織もこれに対応しなければならないことだ。自民党などは両院議員総会などを重要局面で開催するが、衆院部会と参院部会に分けて、短期的課題と長期的課題を分担し専門的に掘り下げていく力を一層磨かねばならない。そして最終的に党の最高意思決定機関である総務会に上げられたとき、長短政策に矛盾がないかが確認されねばならない。今回の参院選で重要争点になった物価高対策は短期課題として衆院部会で専門的に論議しても、財政課題が参院部会で論議されていることが必要だ。このことは、重要長期課題である社会保障制度の持続可能性や少子化問題などとの整合論議が日常的になることを意味する。「給付金を配るのは若い世代の暮らし向きに余裕を与え、結婚や育児に積極的になるはず」と言えば、「それが国の将来の財政状態を不安にするなら、やはり子供を持つことに慎重になる。給付金を打ち出すなら、その財源を明快にする必要がある」といった意見が交わされていなければならない。党総裁の存在意味は、自らの政策ライフワークを党内に訴え、論議の優先度を高めることだ。かつての小泉元首相の郵政民営化のように・・・。今回の自民惨敗の要因の一つには、石破総裁のライフワークとは何なのかが、まるで見えないこともあったのではないか

 むろん、自民党だけの問題ではない。今回の参院選で議席を増やした参政党も国民民主党にも、長短両面の政策検討能力が求められる。手取りを増やすことと将来の財政政策をどう整合させるのかが党内で一層真剣に掘り下げられねばならない。日本人ファーストといった参政党は、将来の日本の雇用者構造がどうなるのか、そのための布石として、外国人との共生ヴィジョンが党内で練られていなければならない。すべての政党が短期課題と長期課題を的確に切り分け議論を深めていくなら、今回の参院選のような“衆院選か参院選か区別のつかない”政策スローガンが溢れかえることはなかったろう。国民民主党の玉木代表は“政党の要件(体制、資金運営等)を法規定すべき”と主張するが、ひとつの見識だろう。今のように、政党と名乗ればどんな内容のものでも政党として通用するのでは、選挙のたびに“新党”が登場し選挙をひっかきまわすことになる。“名ばかり支部”を作って政策活動費を配る行為など、明快に禁止すれば、今回の参院選で影をひそめてしまった“政治とカネ”問題の有力な解決策になったろう。惜しむらくは、そのような“抜本策”を口にできる政治家が、“手取りを増やす夏”などと叫ばざるを得ない選挙(政治)風土にあるのだ。今回の参院選は、有権者もメディアも政治の仕組みに対して、原点に戻って考える契機にすべきだろう。自民党内のゴタゴタ(石破おろし)だけが、話題の中心になるようでは、日本の明日に繋がるまい・・・。       



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