ソーシャルエッセイ 荻正道
【昨日・今日・明日】
『やってみなはれ』
久しぶりに大企業の有名経営者の仰天不祥事かと思いきや、驚くべきは当該企業の対応ぶりだった。
サントリーHDの新浪剛志会長は、経済同友会の代表幹事であり、政府の経済財政諮問会議の委員でもあった。その意味でも現在の日本の指導的人物の一人。そんな人物を“犯罪容疑”も不明確な時点で“葬りさる”国や社会というのは異常すぎないか。まずは、新浪氏が何をしたのかを、現時点で明らかにされているレベルで確認しておくなら、以下のようである。
新浪氏は最前線に立って組織を率いるタイプだった。目標が国際企業になることであった以上、寸暇を惜しんで海外を飛び回ることは日常的だったはず。常に精悍な表情を保つ同氏も、相当に浸かれていたはずである。「時差ぼけが辛い」というのは本音として実によく理解できる。アメリカ(恐らくニューヨーク)の整体師(新浪氏は“友人”と言う)の勧めで同地で販売されていた“サプリメント”を買って使ったのが、そもそもの事件の発端。ここまでなら“よくあること”で済まされたはずだ。ただ、いささか話がやっかいなのは、その“友人”に当該サプリを日本に送らせ、持って帰らせ、その“友人”の弟が新浪氏の自宅に郵送したという。当局が捜査していたのは、この弟の方で、新浪氏への郵送の事実が発覚したため、新浪氏宅への家宅捜索になり、騒ぎが一挙に大きくなった。
警察は当該サプリが大麻成分を含んでいることから、新浪氏に“違法薬物輸入”の容疑をかけ、同氏の自宅に捜索に入ったのだが、特段何も怪しい物品は発見されず、新浪氏自身の体内からも違法な薬物は検出されなかった。この時点で新浪氏は会社にこの事案を一報したという。同氏にすれば、“何かの間違い”であり、“一応、会社にも一報しておこう”程度の認識だった。ところが連絡を受けた社内は大騒動になった。新浪氏不在の緊急取締役会を招集し、全会一致で同氏の解任を決議してしまったという。即刻この措置は公表され、メディアは報じた。世間は新浪氏に対して“何か公表されていない見過ごせないレベルの不祥事があったのだろう”という印象を持った。新浪氏の言う経緯だけなら、これほどの処分を会社が行うはずはないという印象を持ったのである。会社の言い分は、「今後の捜査でシロになったにせよ、こういう騒ぎを起こしただけでも、企業の最高責任者としては罪である。一刻も早く処分して幕引きを図るべきと判断した」ということ。要するに“世間体が悪い”というのが解任の理由なのだ。同社がサプリメントの製造販売企業であることを考えれば、事業に影響する事案と判断しても無理からぬところはある。
「懲戒解職が妥当という意見もあったが、これまでの新浪氏の多大な貢献を考慮し自主的な辞任の形にし、当人も納得さえているところです」と鳥居社長は記者会見で語った。まるで“打ち首にすべきだが、特別に切腹を許した”という前時代的なニュアンスに驚かされる。国際企業として躍進を期す企業だけに、この感覚のズレは違和感がぬぐえない。もし、これが新浪氏ではなく、創業家の人物ならこのような対応をしたのだろうか、とも勘ぐりたくなる。非上場企業である同社には、同族的な社風が残っているからだ。
このような問題が生じたとき、国際的な常識では、まずは事件の全貌を明解にし、それによって妥当な(社会が納得する)レベルの処分を行う。でなければ、会社はレピュテイション・リスクを避けられても、当該人物の人権を侵害してしまうリスクが生じてしまうからだ。今回の新浪氏への“すばやい対応”は様々な疑惑を想像させることになり、今後、新浪氏の名誉を損ねる事態に発展することも十分に想像される。となれば、同社は新浪氏への責任をどうとるつもりなのか。
今後、警察の調査が進み、公式な結果発表があるのか、違法性なしで何の発表もなく幕引きされてしまえば、かえって新浪氏は、釈明の機会を与えられないままになってしまう。一部に根強く疑惑が残るままになるとすれば、新浪氏個人のダメージは小さくないはずだ。ここが社会的地位を持つ人物と一般人との違いなのだ。結果がどうであれ、捜査当局はそのことに十分に配慮し、公式の説明と発表の場を持つべきであることを強調しておきたい。
そこで明らかにされるだろうが、現時点で感じる疑問点のいくつかをあげるなら、そもそも家宅捜査して、なぜ当該サプリは出てこなかったのか。捜索情報を得て、事前に“処分”した可能性もなくはない。新浪氏自身は「うちには様々な人から送られてくるものが多いので、知人以外からのモノは家内が処分するようにしているので、そのサプリも捨てられたのだと思う」と言う。しかし、この説明には違和感を感じる。氏の立場を考えれば“知らない”送り先から膨大な郵送物があることは想像できるとして、新浪氏が帰宅して、送り先を確認してから処分するのが自然ではないか。夫人が知らない人や企業は新浪氏ほどの立場の人物なら数え切れぬほどあるだろうからだ。サプリなど嵩張るものではあるまいに。
こうなると、その“友人”なる人物の正体にも関心を向けざるを得ない。そもそも当該サプリを紹介したと新浪氏の言う人物は、当該サプリについてどの程度の知識があったのか。市販の薬など「飲んでみて効いた、効かなかった」レベルの話は、しょっちゅうあることではないのか。その程度の“紹介話”で新浪氏が使ってみたというなら、新浪氏はその人物にわざわざ日本に送ってくれなどと言うだろうか。それこそ嵩張るものではないのだから。新浪氏は、その友人と分かれた後も海外出張を続ける予定があったというが、それこそおかしな話になる。サプリを飲むのは当人であって、海外旅行を続けるとなれば、時差ぼけ対策に携帯し続けるのが自然であろう。それをなぜ日本の自宅に送るように新浪氏はその友人に依頼したのか。当面の使用量を確保したうえで、残りを日本に持ち込んでおきたかったとなると、いささか話が不自然だ。良く効くので日本国内で購入できないために相当量を送りたいというなら、その程度のことなら自分でやればいい。サントリーほどの会社ならトップの海外出張に誰も随行していないはずはない。彼らに指示すれば済む話ではなかったのか。
考えてみれば、捜査当局が家宅捜索に踏み切った以上、疑惑の発端は、その程度の少量サプリの“個人輸入”ではあるまい。違法性の高いサプリの国内流通に新浪氏が関わっていたのではないか、という何らかの情報を得たからではないのか。サントリーが新浪氏を早々に処分し、“当社には一切関係ゴザイマセン”という姿勢を鮮明にしたのは、新浪氏の説明に何らかの不可解さを感じ警戒感を強めたためではないか。国際企業のトップが“ヤクの売買組織に関係していた”などという事件になる恐れがわずかでもあれば、“迅速処分”も分からないではないのである。そもそも、大麻成分については、国によって対応が異なる。アメリカでは違法ではないものが、日本では違法とされるケースは少なくない。かつては違法だったが、現時点では違法ではない等ということもある。日本の後進性を非難する向きには、“禁止薬物”などの使用について後ろめたさもなければ、犯罪認識も希薄に違いあるまい。新浪氏はそのような人物だったのだろうか。もしそうなら、政府の経済財政諮問会議の委員をしている事の方が問題は大きいかもしれない。
今回の事件で、思い出したのは、やはり日産のカルロス・ゴーン氏の事件である。これについては、社内の権力争いが原因であり、ゴーン氏の対抗勢力がマル秘の社内会計処理を司法に暴露して大騒動になったものである。ゴーン氏の報酬を引き上げるため、世間体(社内も含めて)をつくろうため、給与の後払いのかたちで経理処理していたものが、当然、公式の会計書類からは不記載になっていたために違法行為となった。その後のゴーン氏の違法出国などがあったため、騒ぎは大きくなったが、今回の新浪氏の嫌疑は明快に個人レベルのものである。それが連想を呼ぶのは、新浪氏がゴーン氏レベルの有名経営者であり知名度も遜色ないほどだったからだろう。しかし、“企業内事情”に連想が働らくのは、同社の統治に“身内対よそ者”の構造があるからではないのか。サントリーは創業一族による世襲経営を続けてきた非上場企業である。慣例に従うなら次期社長は鳥井信宏氏(現社長)だったが、当時は年令的に若かったこともあり、「うちをグローバル企業に成長させてくれるのは新浪さんだけや」と、現会長の佐治信忠氏が直々に招聘したのである。鳥井社長にすれば、「お前では、まだ無理や」と言われたに等しい。もっとも、年令や経験差もあり、その時点では納得出来たろう。周囲(社内外)も“ワンポイント・リリーフ”の見方で一致していたのである。
しかし、新浪氏は期待以上の大健闘を見せ、10年以上の長期政権を築いた。さすがにこれ以上続ければ、創業家の立場が弱くなりすぎるという訳で、今年の2月に鳥井氏への禅定が行われたが、この段階で常識なら新浪氏は、顧問や相談役に後退すると見られたのだが、驚くべきことに佐治信忠会長は“ダブル代表取締役会長”として新浪氏を実質的に続投させる決断をしたのである。これには社長に就任した鳥井信宏氏も心中複雑だったのではないか。従来通り海外関連事業は新浪氏の担当であり、鳥井氏は社長とはいえ、国内事業担当の位置づけに据え置かれたのだから。そこへ今回の問題が持ち上がった。見ようによっては“新浪排除”の好機である。しかし、いきなり海外事業の責任も自分一人が負わねばならない。不安もあり、新浪氏に相談することすら出来なくなる。早々に幕引きを主張する取締役(社外取締役が多数)に押されたとはいえ、本音は何らかの形で経営陣に残したいということではなかったか。いきなり第一線の経営トップが去るリスクは大きく、もし、同社が上場会社であったなら、おそらく株価は急落していたに違いない。
このような不自然なトップ交代を断行した企業のその後は、業績低迷に陥ることが少なくない。先の日産もそうだが、“下剋上”的な印象を与えたセブンアイの鈴木敏文氏から井坂社長へのトップ交代もそうだった。海外企業から買収の的にされるには相応の事情があったんである。今後のサントリーはどうなのだろうか。あらためて思うのだが、経営陣に好からぬ風分や事件が生じたとき、いちいち即刻解職にしていけば、有能な経営者はいくたいても足りなくなる。そもそも“出来る”人ほど敵は多いものだ。そのような嫌悪感情を利用した騒動は起きがちとも言える。この際ひとつリスクヘッジ策を工夫してみたらどうか。例えば、取締役の中に“リザーブポスト”(無給、取締役会欠席)のような暫定地位を作れないものか。取締役の中で体調不良や不祥事が疑われる事象が生じた場合、一端、当事者をこのポストに置いて、経営の実権から切り離すのだ。事情が解明され問題がないことが確認されれば、堂々と元に戻す。こういう対応が出来れば、今回のケースも世間からの疑惑は避けられ、新浪氏の名誉も守れたのではないか。そもそも取締役は株主総会において任命されたものであり、次の株主総会で事由を明快にして処理するのが筋とも言える。それを事情が不明な段階で取締役会の判断だけで解任するのは僭越とも言えるはずだ。鳥井社長がこのような“奇策”を編み出し取締役会を納得させるだけの力を見せていたら、と残念に思わざるを得ない。こういう新しいことを“やってみなはれ”というのが、サントリーの企業文化だったはずなのだから。