ソーシャルエッセイ 荻正道
【昨日・今日・明日】
『さらば消費税』
与野党とも小粒化し、日々多数派工作の“バラバラ国会”。そんな中で比較的対立軸がはっきりしているのが消費税の問題だろうか。
比較的はっきりモノを言う高市総理も消費税の引き下げや廃止については、何ともハッキリしない。国会答弁でも「消費税をいじるとなると、お店のレジを入れ替えなければならないという問題も生じますので、慎重に検討が必要と考えます」などと言う。野党各党が、税率引き下げ、食品は不適用、時限付きで消費税廃止等と多様な意見を言う。これでは容易に集約出来るものではないだろう。物価高に苦しむ国民の暮らしを支えるには何が最適な政策か、については先の参院選で大きな争点になった。自民党は例によって給付金を持ち出したが、惨敗したことのよって、“国民の支持を得られなかった”として撤廃した。こうなると、やはり自民党としても消費税に手を付けねばならなくなる。そこに国民の期待もあったろうが、“レジの問題もあるので・・・”などと言われれば、国民としては“そんなに難しいことがあるなら給付金でも結構ですよ”と言いたくもなるが・・・。ここはひとつ、そもそも消費税とは何であったのかという、ソモソモ論に立ち返らねばならない。
日本に消費税が導入されたのは、1989年、昭和が終わり平成に変わった時だった。それまでにも導入の動きはあったが、法案の成立はみなかった。あの中曽根康弘政権ですら導入に失敗したのだから、いかに世間の拒否反応が強かったかが窺える。その後、後継総理に選ばれた竹下登政権にとっては、政権を禅譲された見返りにどうしてもやらねばならないのが消費税の導入だった。それにしても、“消費税”とはよくも付けたものである。時代はバブルの絶頂期、消費には相応の負担を求めても良かろう、という風潮があったのだろうか。今日の、消費の喚起こそ経済成長に不可欠といわれる時代にあっては、消費に課税することじたい政策の方向性から観ても矛盾するのだが。
当時の政権の問題意識に、やはりバブルの意識は強かったのだろう。今の景気は異常である。長く続かないと考えるべきだろう。バブルははじければ、法人税も所得税も急激に減少してしまうことになる。国家財政の安定を考えるとすれば、基幹税は安定的なものでなければならないというのが消費税導入の動機であった。つまり、法人税や所得税の一部を消費税に置き換えることがリスクヘッジになるという発想。当時は“税の直間比率の見直し”が理由付けだった。現実に、消費税(3%)が導入された時、それに見合う所得税も法人税も減税されている。税負担に変わりなしという論法で消費税は導入されたが、一度導入されると、時を経るにしたがい当初の主旨は忘れられ、増税の意味合いが濃くなっていった。やがて「税と社会保障の一体改革」という論法で、年々増加する社会保障費の負担のためには消費税を上げざるを得ないということで、消費税率は10%にまで引き上げられ。社会保障費用を賄う“目的税”としての顔を持つことになった。つまり、今や引き下げようにも引き下げられない歳入の柱になってしまっているのである。
物価高の今日、この10%の消費税は負担が重すぎるから低くしようという発想は自然と言えば自然である。一方、それでは代わる財源はどうするのかという議論になって紛糾するが、原点にかえって考えてみようではないか。そもそも所得税や法人税の置換え税であった以上、元に戻すという変更は考えうる話なのだ。今、200万円の所得の家計(A)と1000万円所得の家計(B)があったとしよう。暮らしを支える“基礎消費”は変わらないと考え、ともに消費額は100万円とすると、消費税負担は(A)も(B)も等しく10万円である。消費税を止め所得税に代えるとすれば、(A)が負担する所得税増額分は10万円(税率5%)、(B)の場合も10万円(税率2%)となる。歳入の観点からすれば、(A)(B)あわせた税収は20万円なのである。これにそれぞれの所得階層の家計数をかけ合わせ総額での均衡を図らねばならないが、同時に所得税の原則である累進性が考慮されることになる。つまり高額所得者の税率は高く定額所得者の税率は低くしなければない。(B)の税率は5%となり、(A)の税率は2%となっても可笑しくない。となると、単純計算上、平均以下の所得層の家計は、消費税を払うより、代替の所得税をプラスして払う方が負担が少なくなることになる。
今、消費税減税や撤廃を論じるなら、同時に先祖帰りして、こういう論議をしなければならないのではないか。東日本大震災の復興原資として、復興税が一律で課されているが、“所得税プラス”の発想をとれば、同じように“社会保障部分”として追徴するようにする手もある。今、上記の例に加え、所得100万円の家計(C)を加えて考えてみよう。この家計でも基礎消費は100万円で所得のすべてを基礎消費に当てねばならないが、この場合でも、消費税10万円の負担は変わらない。これを所得税に置換えるなら、所得税の累進税性によって限りなく負担は小さくなる。
つまり消費税の負担感は少額所得者には極めて大きく、高額所得者にとっては何ほどでもないのだ。ここに見るように、消費税とは、等しく消費者に同率の消費税を課するという意味で表向き“公平、平等“に見えるが、負担能力の観点から見れば極めて不平等な税制であるといわねばなるまい。
消費税が導入されて35年。この間に進んだ国民の所得格差を考えれば、今の消費税をこのまま放置することがオカシイのだ。上記のような税制改正の方向性を選挙の争点にして戦えば、多くの国民は消費税にかえて所得税を、と訴える政党を選ぶのではないか。消費税率をいくらに下げるかのような議論をするから、高市総理のような「お店のレジを変更するのがタイヘンなの」みたいな議論の矮小化が起こる。
さらに消費税の矛盾を指摘しておこう。そもそも、これの導入に当たっては、政権にも後ろめたさはあったのである。公共的な消費については適用しないとした。典型は診療費である。しかし、医療機関も備品から検査機器まで多くの消費をしている。その都度、消費税を払っている。通常ならこれらは“診療価格”に織り込むことで受診者(消費者)から回収できるのだ。しかし、医療機関はそれが出来ない。それも影響して経営に行き詰る医療機関も少なくないのである。「消費税は社会福祉費用に充てる」というなら、これは根本矛盾ではないのか。
さらには、よく指摘されることだが、下請け企業などは、発注先企業に対して消費税を上乗せしにくいという取引風土がある。消費税負担だけがあって消費者からは取りにくいという現実は、多くの小売店の現実でもある。競争が激しく価格が上げにくい中で消費税を請求するには、本体価格をそれなりに安くしなければならない。価格競争力のない小規模事業者ほどこの傾向は強いのだ。
今、各党の言いぶりを聞いていると、税負担を少なくするというサービス精神あふれるものだ。しかし、誰かが減税分を負担してくれるという楽観論ではリアリティに欠ける。今こそ消費税の構造的欠陥ともいうべき性格に切り込まねばならない。今後、この税を引き下げるという案を出す時には常に所得税や法人税という基幹税に代えれば、どの程度の負担になるかを議論の原則にするがよかろう。
社会保障費のような自然増が避けられない歳出項目に加えて、新たな歳出膨張とも言うべき軍事費を対GDP比2%に持っていくという頭の痛い問題がある。これを高市首相は前倒しして今年度で達成するという。そのためにまさか消費税率を上げるとは言うまいが、どこから原資をもってくるというのだろう。いくつもある中身の不明瞭な特別会計にそれだけの“剰余金”が眠っているというのだろうか。それなら結構かもしれないが、“そんなカネがあるなら国民に戻してくれ”と言いたくもなる。国家として必須のコストはどれほど削っても削り切れない以上、どこかの他国が代わって負担してくれるはずもなく、自国で何とか賄っていくしかない。とすればすべてのコストは所得税と法人税に還元して論じるようにすれば分かりやすい。つまり正味の国民負担がどの程度になるかを明確にし、それを負担できるようにするには、“成長“しかないのである。税体系をますます複雑化し、国民に分からないうちに課税しようとする手はもう止めるべきだ。国民民主党が言った“手取りを増やす”というスローガンがあれほどアピールしたのは、税と社会保障費がやたらに大きく負担感が強いことを、多くの国民が実感していたからではないのか。
税の大原則は、フェアであることとシンプルであることだ。所得税と法人税という基幹税にまとめれば単純になる。その累進度合いを調整することで公平感も維持される。後は相続税といった一次的な課税や不動産税、さらには株式譲渡益や配当益といった資産課税をどうするかという課題が残る。“持つ者”の努力としての資産に課す税は、教育等、国の未来を築く事業の原資とすればどうか。納税者に成功者として国の将来を担う誇りがめばえはしないか。納税とは国家事業への参画に他ならないからだ。税を集約すれば、多くの国民は自分がいくら社会コストを負担しているのか明確に意識出来る。そこから生じる納税意識は、社会的責任の覚醒に繋がり税の使途への深い問題意識に繋がる。国防費を増やす必要があるなら中身を厳しく見極めることにもなろう。制度疲労を起こしつつある社会保障費は、国民ひとりひとりの生涯負担の観点から保険コストとして再認識されることが重要なのだ。そうなれば、北欧の国々に見られるように、“税や社会保険料を収めることは自分の将来を安全にすることだ”という意識が生じるだろう。そして何よりも重要なのは、国民の幸福は“経済成長”なくしてはあり得ないという認識が共有されることである。意外にこれが成長戦略に寄与する。社会主義との最も大きな違いと言っていい。国民に前向きな意識が生まれる出発点として、今こそ叫ぼう。さらば! 消費税。