ソーシャルエッセイ   荻正道

【昨日・今日・明日】

『“G5”という新秩序』


“G7”も“G20”もおなじみだが、“B5”と言われると途惑う。“G7”'や“G20"のような定期会合が開かれているわけでもない。そうかといって“G2"のような米中二大国による“世界分割統治”を警戒するジャーナリステックな造語でもない。どうも“G5”とは、一部諸国の首脳の胸の底に秘められた思いがたまたま漏れたようなもので、それだけに意味深なのである。

 “G5”とは、アメリカ、中国、ロシア、インド、日本のことらしい。共通するのは1億人以上の人口を持つ大国とか。インドネシアのような1億人以上の人口を持つ国もあるから、それに加えて経済大国であることが条件らしい。経済規模が大きいということは、いつでも“軍事大国”に転ずることが出来るから、平たく言えば世界を動かす潜在力を持った国々ということだろうか。しかしながら意味深なのは、どうもアメリカと中国を意味する“G2”に対抗する思いが潜んでいる点である。それにしても、ロシアとインドと並んで日本が選ばれているのは、どういうことなのか? いささか面はゆくもあるが、この5国、政治形態が違いすぎないか。こう並べられると、どうしても、中国とロシアに目が行く。つまり、民主主義国も権威主義国も分け隔てない“大国”という切り口が気になるのだ。

 このような切り口が成り立つのは、アメリカが急速にロシアや中国と変わらない権威主義的なイメージを強めつつあるためではないか。思えば、トランプ大統領が再登場して1年が経過して、その政治手法は中国の習近平やロシアのプーチンに通ずる強権的なものが感じられるからだ。特に新年早々に行われたベネズエラ大統領拉致事件(多分に軍事侵攻的な行動である)が典型である。議会にも事前通告なしに大統領の指示だけでこれほど大胆な行動が行われた(といわれる)なら、これはもう、国家の行動イメージとしては、ロシアや中国に近い。アメリカ」にせよ、このような行動を中南米以外の国に対して行えたとは思えない。ここには、大国は“地域”の小国に対して“指導力”を発揮する責務と権利があり、軍事的行動も辞さず自国を中心とした“実質統治圏”を形成すべきであるという一方的な考え方が窺えるのだ。

 その考え方はウクライナに侵攻したロシアのプーチン大統領とそっくりである。ソ連時代のソビエットのひとつであるウクライナは歴史的にロシアの“実質的領土”であり、ソ連崩壊後、西欧諸国(特にNATO)の工作で“反ロシア”的な立場を顕著に見せた以上、これを修正し、本来の統治圏内に引き戻すことは地域の指導的大国としての責務であり権限であるという考え方と何の違いもないではないか。また、現時点では健在化していないとはいえ、中国が台湾を自国の一部と認識しこれを再び自国に統合するのは、地域の主導国としての歴史的責務と考え、場合によっては軍事力を行使し、この使命を全うしたいと考えていることともそっくりだ。こうなると、インドが英国の植民地から脱したとき、パキスタンが切り離された不条理を“修正”したいと考える指導者が出現する可能性も少なくはないことになる。

 ではなぜ、日本が入っているのか。アメリカの実質的属国と捉えられているからだろうか、それとも、80年前のアジア諸国への侵略の歴史に現在の大国の考え方(大国主義)と同様の野心を見るからだろうか。一国が近隣諸国を圧するほどの大国に成長したとき、近隣諸国への“指導力”を発揮するのは地域のリーダー国としての独善的な統治意識が芽生えがちなことを、日本自身は無自覚にせよ、近隣国には常に警戒感があるということか。
さらに、大国間では、それぞれの統治圏を認め合い干渉しないという暗黙の了解が生じがちである。今回のアメリカのベネゼイラへの軍事的介入に対してロシアも中国も消極姿勢を見せているのは(今回に限らずだが)そのような暗黙的な合意が既に成立しているからだと見ることもできる。これでは中国の習近平が“台湾統合”への機は熟したと判断したとしても可笑しくはない

 特に危険なのはアメリカだろう。中南米を自国の“裏庭”と考えている段階から、これを拡大し世界中がアメリカの統治圏と考える思考飛躍が萌している可能性がある。トランプ大統領がよく口にする“グリーンランド”はデンマークのような小国に統治されるべきではない、という考え方にはそれがにじみ出ている気がする。これは象徴的なことかもしれない。つまり、“G5”とは“従来の西欧諸国の指導力からの脱皮”なのだ。かつて世界中を植民地化しようとした西欧列強が前世紀の二度の世界大戦を経て弱体化し、アメリカ、ロシア、中国、インド、さらには日本を大国に成長させた以上、21世紀はこれらの新興大国こそが世界の統治者となるのは歴史的必然と考えれば、“G5”とは“西欧の没落”を示す記号なのかもしれない。

 もっとも、今の段階はそれぞれの統治圏がはっきりし相互に不可侵を認め合う段階ではない。かつての西欧諸国による植民地競争がそうであったように、今はまだ統治圏拡大競争の只中にある。今回のアメリカのベネゼイラ騒動にしても、アメリカは表向き国内への麻薬の流入を根絶するやむをえない措置とは言いながら、この国に眠る膨大な石油発掘利権が中国等に奪われるのではないかという危機意識が底流にあったのは間違いあるまい。一刻も早く当該国を統治圏内に回帰させ“親米国家”に戻さねばならないという焦りなのだ。グリーンランドにしても、地球温暖化によって北極圏が“経済的軍事的活動圏内”に入ったことによる天然資源等の中国、ロシアとの争奪戦が水面下で生じているからこそのトランプ大統領の非常識な言動ではないのか。決して思い付きレベルの浅い話ではない。

 思えば、西欧諸国の植民地競争の果ての偶発的な事件(サラエボ事件)が第一次大戦の発火点になった。あれから我々は100年を越す歴史を刻んできたのであり、植民地圏をブロック化(他国との交易を遮断)することで生じた世界的経済混乱(1929年から始まる大恐慌、日本では昭和恐慌)から、あと数年で100年を数えることになる。“歴史が韻を踏む”ことが例外のない歴史原理とは思いたくないが、あの世界的惨禍が繰り返されない保証もないのだ。あのとき、もし当時の主要大国の中で力強い指導力を発揮できる大国が存在していれば、その後の第二次大戦の勃発は避けられたのかもしれない。しかし、あの時代、世界中を手中にし“日の沈まない国”とさえ言われた英国は第一次大戦で消耗し強国の座から滑り落ちつつあったし、アメリカはその英国に代わり得るほどの力をまだ持ち得ていなかったのだ。

 今、100年前の惨禍が繰り返されようとしているなら、この愚から世界を救う真の大国はどこなのか。“G5”の中に潜在力を秘めた国は存在するだろうか。アメリカは“アメリカファースト”の標語が露骨に示すようにエゴ大国に堕ち、ロシアはソ連崩壊時に自国内であった東欧諸国を奪われた過去の記憶から西欧への猜疑心を捨てることが出来ず、中国は主として英国に、続いて日本に蹂躙された歴史の報復の牙を磨きつつあり、インドも英国の植民地化の歴史をリセットし、近代史を描きなおそうとしているのだとすれば、これらの諸大国の対立は表面化し、軍事衝突にまで発展しない保証はない。“G5”とされる新興大国の中で日本以外はすべて核保有国であることも深刻である。第二のヒロシマ、ナガサキが生まれることは決してあってはならないのだが。

 では、“G5”の最期の国、日本に世界を導ける力はあるのだろうか。第二次大戦でアメリカに敗北し世界唯一の被爆国となったこの国には、不思議なほどアメリカへの反発も復讐心もない。おそらく戦後の驚異的な経済成長がアメリカの市場開放等による配慮であることや、中国や北朝鮮の軍事脅威を自ら防ぐ力がないことを知っているからだろう。
最近では、台湾有事に対応するためのアメリカとの軍事協力を強化する姿勢を政権が隠さなくなっている。アメリカは“裏庭”から北極海周辺まで戦う場が広域化して軍事対応力に限界が見えてきている。日本が“軍事的協力者”として力をつけることを心底願っているのだ。昨年の高市首相の不用意発言に中国があれほど反発した背景には、“日米軍事合体”への警戒感が尋常ではないことの表れではないか。
ところで、“G5”なる言葉、誰が(どの国が)言い出したのか詮索したくもなるが、それよりも重大なことは、一部の国に限るとしても潜在的覇権大国として日本も疑われているということだ。その“統治圏”はどこがイメージされているのだろうか。インドシナ、インドネシア、南太平洋諸国・・・だとするなら、それらの国は太平洋戦争の日本軍の侵攻事実を今だに記憶しているということだ。我々は安易に“戦後〇年”などといって過去を清算した気になってはならない。その危険をあらためて自覚する必要があるのである。  (敬称略)      
 



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