マルさんのコラム
マルコラム

新 潟 と 映 画




映画館で映画を見るのは、平均すると年3回くらいである。5回以上行く年もあれば、まったく行かない年もある。

あまり馴染みがないせいか、映画館は私にとって特別な雰囲気を醸し出す場所だ。
映画館に行くとき、「よし、今日は十分に堪能するぞ。」という意欲を起こり、服装もちょっとばかり普段よりもお洒落に着飾る。
無論映画の上映中は、照明は消され、誰も他人の姿など見ちゃいないのだけど・・・・。

けれど、いちど開演のブザーが鳴り、ステージの赤幕が開くや否や、私の心は躍りはじめる。
小さなテレビのブラウン管とは対照的に、大きな映画のスクリーン、広い空間、迫力ある音響が私を映画の世界に引き込む。
そして、胸に詰まるお土産(感動や興奮)をもたせてくれる。
私=観客を大いに魅了してくれる。



前置きが少し長くなったが、ともあれ、私は映画館が大好きだ。

今回は、映画の感想文を書こうとも思ったが、少し視点を変えて、私の故郷である新潟市と映画館について書くことにする。

ここ1,2年余りで新潟の映画館は大きな転換期を迎えている。

老舗の映画館が、建物の老朽化により次々に姿を消す。
それに代わって、シネマコンプレックス(複合型映画館)が市の郊外に進出している。

映画館が姿を消すというニュースはいつも寂しい。
新潟市にあった新潟シネマの三館が閉館した。
会館当初は、営業的には決して楽ではない独立プロの意欲作を積極的に上映したそうだ。

シネマが誕生したのは1981年、新潟市の名門洋画館「グランド劇場」が惜しまれながら閉館した直後だった。
今と違って、その当時の映画館は人々にはあまり良くないイメージがあったようだ。
「グランド劇場」は「映画館は不良の行くところ」という親でも、子供が「グランドに行く」と言えば、安心してお金を出したといわれたほど、市民に愛されていたという。

なくなった後も、グランド劇場のスタッフを加えてシネマが生まれ、名画座のライフが消えれば市民映画館シネウインドが誕生してきた新潟市はまだ恵まれているのだろう。

ただ残念なことに、四月上旬には東映直営館の東映劇場と東映パラスが閉館になる。
このことで、新潟古町地区にあった老舗映画館はほぼ全面撤退してしまう。

新井市出身の劇作家清水邦夫さんは、日経新聞に寄せた随筆「故郷から映画館が消えた」の中で、久しぶりに訪れた故郷で「ない。あるはずの所に見知らぬビルが建っている。心臓の動悸が激しくなった。」と書いている。

私が知らない間に新潟市からたくさんの映画館が消えた。
今残っていれば保存運動が起きただろうと思われる記念碑な建物もあった。
映画館の寿命が短くなって、私たち一人ひとりの感動の記憶も街の記憶も、ますます軽くなっていくようだ。

しかし、古いものに執着しているわけではない。
これからの新潟と映画館のつながりには明るい将来もみえている。
新興商業地の新潟万代シティに、東映シネマコンプレックスが7月開館する。
計画では8スクリーンで、このうち1スクリーンは国内で四館目の“デジタル映画館”となる。
シネコンの運営会社(ティ・ジョイ)にとっては広島に続き、新潟は二館目となる。

この理由は、東映の初代社長が新潟出身で、ホテルも経営するなど縁が深いからだという。
県民としてとてもうれしく思う。

シネマコンプレックスが県内四ヵ所目となることについては、ちょっと多いのでは・・・とも感じるが、これまでワーナーマイカルやユナイテッドシネマなど外資系に進出をゆるしてきただけに、日本企業も頑張ってほしい。

また、地方都市では鑑賞する機会が少ない、アジア諸国などの映画を集めた「第十一回にいがた国際映画祭」が二月十七日から二十五日までの九日間、新潟市内四会場で開催される。
映画祭では期間中、十六カ国・地域の二十六作品が上映される。 これは学生生活最後の春休みとなる私にとって、ビッグなプレゼントだ(卒論完成の褒美と受け止める)。
外国語を専攻している者として、国際交流の輪を広げるチャンスでもある。

毎日映画館に通いたい気分だ。



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