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4月1日(土)

A社 1次面接@新宿
B社 会社説明会&筆記試験@高田馬場

今日はエイプリルフールである。
就職活動学生にとってそんなことはどうでもよい。
今日もまた東京で就職活動である。
しかし今日は今までとは違う。
今日の午前中は,面接なのである。
3月15日に受けたA社の筆記試験が通ったとかで,面接に呼ばれたのだ。
すさまじく出来の悪かったと思われるあの筆記試験が通ったのだから,世の中 何が起こるか分からない。
ちなみに午後からは,B社の会社説明会がある。

今日も朝早く家を出て,新幹線で東京に向かった。


A社の面接は前回と同じ新宿だった。
地図を持ったBeanは「東京では一駅は歩くものだ」ということを知る。
よって,今日は新宿駅についてから都営12号線には乗らず,地上を歩いて行く ことにした。
しかし,ビル風なのだろうか,ものすごい風のせいで,目的のビルにたどり着 いた時には頭がぼさぼさだった。

会場に着くと,「呼ばれるまで入り口でお待ち下さい」と書いてあったので, そこで待たされた。
ずいぶんと待った。待たされている学生は4人になった。
4人全員が呼ばれ,グループ面接となった。
面接の部屋には,人事の゛早口な 久米 弘" ゛若山富三郎ばりの面接官" の2人が待っ ていた。

早速面接の開始である。
初めに一人ずつ,自己PRをした。
そして,次に
・自分の長所と短所
・周りからどういう人間だと思われているか

を聞かれた。
ここまでは゛人事の早口な久米弘" が全員に聞いた内容だった。

ここから先は,個別に履歴書やアンケートをもとに,゛若山富三郎" が学生に質問 するのだった。
個別の質問は私の隣に座っていた女の子から始まった。
彼女は東北大の学生で,今朝高速バスでやってきたそうである。
彼女に出された質問の中で,
「あなたは大学院生だが,大学院でやってきたことをどのように仕事に生かせ ると思っているかね」

という質問があった。
彼女が抽象的に答えると,
「そういうことを聞いているんじゃなくて,もっと具体的に君の学んだどうい う学問が生かせるかと聞いているんだ。」

「ひえー!」(Beanの心の叫び)
彼女も含め,私もそうだが,半導体の会社を受けているが半導体は自分の専攻 とは関係のない業界である。
けれどそういうことが問題ではない。
Beanもそのようなことを聞かれるとは思ってなかったので,自分だったらどう 答えるだろうと慌てて考えた。
Beanの気持ちは,東北大の彼女に対するこの質問をきっかけにテンションが下 がっていったのであった。

最後から2番目に私に個人的な質問が回ってきた。
もうこの時には気分はどん底だった。
積極的な姿勢ではなかった。
面接の雰囲気が非常に悪くて,早く面接を済ませて帰りたいと思うようにまで なっていた。
そんな状態で質問に答えていたのだから,良い受け答えができる筈も無い。

東北大の女の子と同じ質問が私にも向けられた。
何だかとんちんかんな答えを言ってしまった気がする。
そのほかにも,
「あなたの今まで受けた会社は,どういう基準で受けているのですか。」
「あなたの専攻は何ですか」

という質問があった。
特に前者の質問は,前回の説明会でのアンケートに馬鹿正直に書いたことその ものが間違いだった。
BeanはJ社とN社と記入したのだ。
A社も含めこの3社には何の関係も見出せない!
きっと゛若山富三郎" は「この学生は本当に半導体業界に興味があるのだろうか」と 思ったことだろう。
後者の質問に対しては,分かりやすい説明ができなかった。
私の 複 雑 怪 奇 な説明を聞いた゛若山富三郎" は「ふーん」という感じだった。
わからなすぎて,質問することが見当たらないらしかった。
そんなわけで,私にとっては何一つ相手に伝わらなかった面接だった。

後で判明したことだが,この面接を最後にA社とはサヨウナラだった。


午後から独立系ソフトウェア会社のB社の会社説明会。
この会社も正直言って,「せっかく東京まで来たのだから」とこの日の午後に会社説 明会を行っている会社を探した結果見つけた会社だった。
土曜日の午後というのは意外に会社説明会を行っている会社は少ない。
探すのに少しだけ苦労した。

B社は高田馬場のビルにある。
JRで高田馬場に移動して,会社説明会に参加した。
説明会参加者は10数人。
社長自らお話をしてくださった。
説明会を進行していたのは,背の低い゛豊臣秀吉似の取締役" だった。
人のよさそうな豊臣秀吉だった。
B社は金融関係のシステム構築が強みなのだそうだ。
分かりやすい説明が続いた。

そして説明会の後,適性検査が行われた。
この時初めてBeanはIT適性検査を受けたのである。
その内容は,
・SPIでありがちな数学の文章題
・アルファベットの規則性を見抜く問題
・四則演算の問題

の3種類だった。
時間さえかければどの問題だって解けるのに,その時間がないのだから,一生 懸命やるしかないのだ。
適性検査が終了した後,性格検査があった。
「ふと,飛び回りたいと思うことがあるか」
これってどういう意味なんだろう?そんなことを考えつつ性格検査を終了し, B社の試験は終了した。
高田馬場の駅までの道中,同じ試験を受けた学生と話をしながら歩いた。
「(この時点ですでに)20社近くの会社を受験し,最終面接まで行ったのに落とされた」と豪語する男 子学生は,
「B社の適性試験はすっごく難しいよ。あんな難しい適性検査は受けたことが 無いよ。」
と言っていた。
でもなんだかこの学生は物事を大げさに言う傾向があるような人に思われた。
というのも,大学時代に物事を大げさに言う傾向がある人に似ていたから だ。
そんなことは理由にならないかもしれないが。

高田馬場で山手線に乗った。
乗換えが面倒なので,時間がかかるけど,山手線にしたのだ。
すると,脇に立っていたいかにも就職活動中の男子学生が話しかけてきた。
「さっきB社の試験受けてたでしょ」
彼もB社の試験を受けていたらしい。
彼もあんなに難しい適性は初めてだったと言った。
しかも,彼はその適性検査に落ちまくっているのだと言う。
だから,彼はIT適性が無いのかもしれないと言った。
いろいろと話して,Beanは今日の午前中に面接を受けて来たんだという話をし た。
とても雰囲気が悪く,最悪だったと話した。
すると彼は
「そんなんだったら,『結婚したら止めるつもりなんですぅ』って言ってみれ ば」
という冗談を言い出した。
冗談とはいえ,ひどすぎる冗談だと思った。
Beanは今のところそういった考えはまるで無い。
若い人でもそういうことを言う人がいるのかと驚いてしまった。
ひどすぎることを言ったせいか,彼は話に夢中になって乗り過ごしてしまい, 慌てて他の駅に下車して行った。

……

隣に座っていたおばあさんが
「秋葉原はまだですかね」
と聞いてきた。
このことがきっかけで,秋葉原までこのおばあさんと話をすることになる。
おばあさんの孫も就職活動中なのだそうだ。
就職活動でいろいろなところに出掛けるが,その先々で出会った見ず知らずの人(学生に限らず)と話す事は結構多い。
そう行った知らない人との会話は,時に良い気分転換になったりする。
今回のおばあさんとの会話も,東京の雑踏を忘れてしまうひとときだった。


東京駅に着き,新幹線に乗る。
午前中のあまりにひどい面接を振り返って,面接対策を考えなければと思った。

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会社説明会に出かけるようになって、2ヶ月がたった。
特に3月の中旬からは、毎週のように関東方面や長岡に就職活動に出かけていた。
就職活動が本格的に忙しくなってきて半月だったのだが、すでにちょっと疲れ始めていた。
もちろん、就職活動だけをしているわけではなく、就職活動のない日は学校で実験やら解析などに追われているので、疲れというのは就職活動と学業との両立のためだと思うが。
就職活動は体力的に疲れることも確かだが、精神的に疲れることの方が深刻な疲れのような気がした。
体力的に疲れるのならば寝れば取れるのであるが、精神的な疲れは寝ても取れない。
筆記試験でうまく行かないとか、自己PRはどうやったら印象に残るものが書けるのだろうか、という心配から、本当に内定はもらえるのかなという心配まで、精神的に辛いことが多い。
自分自身の印象としては、まだまだ就職活動は始まったという感じだったのだが、世の中にはこの時期に内定をもらっているとか、もういくつか選考を突破しているという学生がいると知っていたので、自己PRも満足に固まっていないし、筆記試験しか受けていなかった私にとっては、就職活動に対する焦りもあった。



4月6日(木)

NS社 1次選考@長岡

今日は長岡でNS社の一次試験である。
3月30日の会社説明会の帰り際にもらったエントリーシートを何とか書き上 げ,おととい゛翌朝10時便" なる速達でNS社に送ったばかりだった。 いいんだろうか,こんなにぎりぎりなことをしていて。

今日も新潟から長岡に向かった。
前回国道8号線を通って失敗したので、今回は与板経由で長岡に向かうことにした。
与板経由というのは、国道116号で南下し、分水を過ぎた所で与板に向かい、長岡に抜けるという道である。
新潟市近辺で国道116号が少し混むことを除けば、前回よりはスムーズに進むはずだった。
ところが、問題は与板に入ってからだった。
与板で迷ってしまったのである。
でも、正確には迷ったというよりは現在地はわからないのだけれど、だからといって時間的なロスをしたわけではなかったのである。
与板に入った時点で、どこかの角を曲がり忘れたらしく、当初計画していた道とは違う道に入ってしまって、地図上で自分がどこを走っているのか分からなくなった。
でも道にある標識のおかげで、長岡方面には確実に向かっていたのである。
結局、当初の予定では国道8号線の信濃川よりも柏崎方面寄りに出るはずだったのだが、蔵王橋に出てしまった。
現在地がわからない最中は困惑したけれど、無事に長岡につけたのでよかった。
時間的には何の問題も無かった。

試験は筆記試験と面接だった。
初めにSPIのような筆記試験があった。
続いて性格検査を行いつつ,個人面接を行うというやり方だった。

「4月1日の面接ですっかりへまをやらかしてしまったので,今回は納得いくよう にやらねば。」
そう思って面接に望んだのだった。
今日の作戦は,常に明るく。かつ,単なる受け答えではなくて,お話をするこ と。
これは友人からのアドバイスであった。

私の面接は,一番最後だった。
面接は人事担当者と一対一だった。
前回の説明会の時の人事担当者は゛春なのに色黒男" だったが,今回の人事の方は ゛リーゼント男" だった。
面接は履歴書とエントリーシートに基づいて行われた。
まず゛リーゼント男" が尋ねてきたことは,勤務希望地についてだった。
「他の人と違うので,あれっと思ったんだけど,希望勤務地が東京なのはなぜ なのかな。」
他の学生はそろって勤務希望地を長岡と書いたらしい。
でもBeanは東京としたのだった。
だって,説明会で「マルチメディア関連の仕事をしたい人は東京勤務になります」 と言っていたからだ。
それに,東京勤務を希望しなかったら,東京にわざわざ就職活動をしに行かな いし。
さらに質問は続く。
「自分の性格について聞かせてください。」
「今行なっている研究について教えて下さい。」

などだった。
面接は10分程度で終了した。
ちょっと話を聞いてみた,そんな程度だった。
Beanとしては,今日の作戦は成功したと思った。
満足行く面接ができたと思った。
そんなわけで,これで落とされても後悔は無かった。


予定時間よりも早く試験は終了し,例によって実家に寄ってから帰る事にし た。
実家では夕食が待っている。



4月7日(金)

J社 会社説明会&筆記試験@新潟

今日は新潟でJ社の会社説明会と筆記試験がある。
場所は新潟駅前のホテルだった。

時間ぎりぎりに行ったら,席がものすごく後ろの方だった。
何十人という学生が,J社の会社を受験するらしかった。
新潟でこんなにたくさんの学生を集める会社があるのかと驚いた。

あまりに席が後ろ過ぎて,説明のスクリーン上の字なんて見えない。
こんなんじゃ説明会の意味が無いんじゃないかと思った。
ただ,配られた資料はスクリーン上に表示される絵の縮小版だったので,なん とかなったが。

この会社の特徴は,関東方面に顧客が多いにもかかわらず,本拠地は新潟県内 においているという点だった。

会社説明が終了すると,筆記試験が行われた。
この筆記試験は後先無いくらいにすごいものだった。
4月1日に受けたB社のIT適性の3倍は難しかった。
内容としてはIT適性だったのだが,その中には知能試験なのではないかと思わ れるような内容も含まれていた。
例えば,6つの絵があって,その中に同じ絵が2つ含まれており,その2つを探 すのである。
けれどどれも全て同じように見えて,なかなか見分けがつかない。
他には,図形の並び方の問題。4つの図形がある規則で並べられていて,5番目 に来る図形を答えさせる問題。
もちろん算数の文章題もあったし,計算問題もあった。
アルファベットの並べ方を問う問題もあった。
あまりの量の多さに,集中力をいかに保たせることができるかが問題だった気 もした。

さすがに適性検査が終わった後は疲れた。

くたくたになりながら,会場を後にした。



4月11日(火)

NO社 筆記試験@永田町

今日から就職活動大遠征である。
東京の方へ11日から14日までの3泊4日の就職活動の旅に出た。

この頃は,疲れが出始めていた時期だった。
毎週のように,東京まで出かけたり,長岡まで行ったりしていたので,くたび れ始めていた。
おまけに,胃の具合を悪くしていて,あまり物が食べれなかった。

でも,この大遠征はふんばらねばならない。

この日は午後からNO社の一次試験だった。
NO社は3月18日に会社説明会を受けた会社だ。


午後からの試験だったので,今回は経費節減もあって,高速バスで東京へ行く ことにした。
高速バスは東京へ行く手段の中で,最も安い手段だ。
おまけに学割を使う必要が無いので,学割の枚数を気にすることも無い。
しかし,予約が取れなければ乗れないし,新幹線と違って時間がかかってしま うことが難点だ。

そんなわけで,今日はBeanにとって初めて高速バスでの東京行きだったのだ。
だから朝からかなりだった。
大遠征することもあったので,かなり朝は緊張していた。

いつもどおり,家のそばから新潟駅行のバスに乗るため、バス停に向かって歩いた。
すると、アパートの隣の家の前に何かが落ちていた。
それはウシガエルだった。
ウシガエルは既に死んでいるらしく、伸びてひっくり返っていた。
またもや朝から死体に遭遇である。
でも、前回猫の死体を見た時は、とりあえず一次試験には合格したので今回の大遠征でも何か成果が期待できるかもしれないとちょっと思ったりした。
とんだ縁起担ぎである。

バス停についた。
通勤時間帯だったので,多くのバスがやってくる。
運良く快速がやってきた。
早速乗りこんだ.....しかしこれが今日の悲劇の始まりだったのであ る。

新潟駅行の快速には乗ったことがあった。
新大国道口から,快速である旨がアナウンスされ,そこからどんどんバス停を 止まらずに走って行くのである。
しかしなぜだか今日は違った。
新大国道口を出たのに,快速であるというアナウンスは無かった。
それに,快速だというのに全てのバス停にとまっているではないか。
「快速というのは見間違いだったのかしら。」
そんなふうにBeanは思っていた。別に快速である必要はなかった。
Beanにとってはとりあえず新潟駅に着けばそれで良かったのだ。

完全に異変が起きたのは,寺尾に差し掛かるあたりに来てからだった。
あるバス停を過ぎたとたん,非常にゆっくりとしたスピードでしか走らなく なった。
バスの運転手は運転しながらしきりに何か紙切れを確認している。
おまけにバスの行き先表示が音を立てて変わっているではないか!
「何が起きたんだろう?」
しばらくその状態が続くと,バスの行き先表示が止まった。
そして運転手がこうアナウンスしたのである!
「このバスは県庁行きです。新潟駅に行かれる方は次のバス停でお降り下さ い。」
「え゛ー!なんだってー!そんなー!高速バスに間に合わなくなるかもしれな いじゃんかー!」
その時バスに乗っていた乗客はBeanを含めて4人だった。
運転手のアナウンスが終了すると同時に,寺尾台のバス停に着き,それまで 乗っていた乗客はみんな下車した。
そして,寺尾台のバス停で県庁行きのバスを待っていた乗客がどっと乗りこん できた。
乗客は総入れ替えとなった。
そして私が乗った時は,確かに快速新潟駅行きだったバスは,寺尾台から突如 と県庁行きとなって,去って行ったのだった。

最悪なことに,寺尾台のバス停は快速新潟行きのバスは停車しない。
よりによってとんでもない所に降ろされた。
数分後,新潟行きのバスが止まったので,そのバスに乗車して新潟駅に向かっ た。
もう頭はパニック状態である。

何とか高速バスには間に合い,乗ることができた。
しかし,体調が元から思わしくなかったBeanは,今朝の事件でなぜか車に酔っ てしまったのである。
だから,新潟から東京までの高速バスでの移動は地獄だった。
なにしろBeanは,通常であればほとんど乗り物酔いはしないのである。

後で考えてみると,かなり今日は運が悪いことが分かった。
そもそも,県庁行きのバスは私の住んでいるところでは1日に2本しか通ってい ないのである。
それも午前と午後にそれぞれ1本ずつ。
よりによってそんなバスが,行き先表示を誤っていて,Beanはそれに乗ってし まったのである。
Beanは無事に時間に間に合ったからよいが,寺尾台までのバス停で県庁行きのバス を待っていた人は目的地に着くことができたのだろうか。
ちょっと心配になったBeanであった。

ちょくちょく寝ながらも,東京に入った。
練馬から下落合を通って,池袋に行くのだ。
この時初めて下落合とは高田馬場のすぐそばだということを知る。
ちなみに4月1日に受けたB社の住所は下落合だったのである。
地理が分からないと,何かと損をする。
そう痛感した。


NO社の試験は,今回は永田町で行われる。
永田町といえば国会のあるところ。
どんなところなのだろうと思っていた。

会場には永田町の駅から少し迷ったが,何とか着いた。
迷いつつも,大使館やら何やら,どうも永田町というところはいろいろなもの が集まっているところらしいことが分かった。
何とか着くことができたのも,地図を持っていたからである。


筆記試験はNO社オリジナルのものだった。
初めに算数の文章問題があって,次に英語国語作文の問題があった。
作文はBeanにとって初めてだった。
NO社の筆記テストは他社と違って,答えを選択してマークするのではなく,全 て自分で記述しなければならないことだった。
会社説明会の時もたくさんの学生がいたのには驚いたが,今回も学生はたくさ んいた。

結果は4月21日にWeb上で発表されるそうである。


試験が終了したので,宿泊先に向かう。
宿泊先は横浜に住んでいるおばさんの家だ。

今度は赤坂見附の駅に行かなければならない。
地上を歩いていると,とてつもなく複雑な立体交差が見えてきた。
地図によればその立体交差の向こうに赤坂見附の駅があるらしい。
とても地上から歩いて行けそうには無かった。
おとなしく地下に下りることにした。

東京は不思議な街で,高速道路や高層ビルが立ち並んでいるかと思うと,そ のすぐ脇には城跡があったり,お堀の石垣があったりする。
赤坂見附もそうだった。

電車を乗り継ぎ,横浜に向かう。
途中でおばさんの家に電話して,向かっている最中であることを連絡した。

最寄駅は東戸塚。
そこからバスで数分のところにおばさんの家はある。

おばさんの家では猫を2匹飼っている。
私のような見慣れない人間が来たことに,驚いているようだった。

これから数日間は,ここを拠点に就職活動をがんばることとなる。



4月12日(水)

C社 会社説明会&筆記試験@新宿

就職活動大遠征2日目。
今日は新宿にあるC社。午後から会社説明会と,筆記試験がある。

朝はゆっくりめに起床して,朝ご飯をいただいた。
おじさんが近所のお団子やさんから買ってきたお団子もついでにいただいた。
落ち着ける場所にいるせいか,胃の調子も回復しつつあった。

11時におばさん宅を出発。
なんとおじさんに駅まで車で送ってもらった。
お嬢さまな気分(^O^)だった。
いいんだろうか,こんなにいろいろと世話していただいて。
また今日もがんばるぞと思う,Beanであった。

おじさんのアドバイスに基づき,一旦東京駅まで行ってから,中央線で新宿 に行くことにした。
品川で山手線に乗りかえるより,早く着けるとのこと。

今回は何の問題も無く新宿に着くことができた。
新宿駅構内で都庁方面という表示を頼りに歩いたら,例の動く歩道にたどり着 いた。
「これが噂の動く歩道か!」
ちょっと感動しつつ,動く歩道を使ってみた。
何ともらくちんな乗り物である。

行き先は都庁そばのビルだったので,とりあえず動く歩道が終わるまで行けば 良い。
動く歩道の次は,地下鉄構内に下りて,地下の方からビルにたどり着くことが できた。
駅からかなり距離があるのに,雨に濡れずに来れるのだから,便利にできてい ると感心した。

高層ビルというものは,行く先の階によって使用するエレベーターが異なるら しい。
Beanはそんなことすら知らず,初めは地下で迷っていて,ビル管理用のエレ ベーターの前で待っていたりしたのだ
もちろん乗せてもらえるわけが無い。
「何で乗せてもらえないんだろう。」
と思いつつ,歩き回って見ると,自分はとっても恥ずかしい事をしていたこと に気付いた。
高層階用のエレベーターは,地下でなく1階にあったのである。
何ともお馬鹿なBeanであった。

そのビルは,ビルの真中が空洞になっているのだが,覗き込んでも空もよく 見えなければ,地上もよく見えない。
それほど高いビルなのである。
何だか映画に出てきそうなビルだった。
そしてBeanはすっかり映画スター気分になっていた....(半分ウソ)

会社説明会は,ビデオ映像にそって行われた。
人事の方のおっしゃることも,なかなか面白かった。

続いて筆記試験。
いわゆるSPIというヤツです。
いつもながらあんまり満足ゆく解答ができなかった気がした。

試験終了後,ビルを後にする。
来た時は地下から来たのだが,帰る時は1階から外へ出てみた。
そして動く歩道のある地下道に行ったのだが,地下道だというのに,階段もな く地下道に入れてしまうのだからやはり都会とは不思議な仕組みになっている ものだ。

そしてまた,横浜の拠点へ帰るのであった。



4月13日(木)

O社 会社説明会&筆記試験@埼玉

就職活動大遠征3日目。
今日は埼玉にあるO社の会社説明会である。
このO社は今まで受けてきた会社とはかなり業種が異なる。
O社は光学関連機器開発の会社なのである。
なぜ光学関連機器開発の会社を受けたのか?
それはBeanの専攻に近いからである。


今日もまた,朝は遅めに起きて朝ご飯をいただいた。
おじさんがまた近くのお団子やさんでお団子を買ってきてくださった。
今日のお団子は昨日とはまた種類の違うお団子だった。
満腹になるまで食べて,出陣!
またもや駅までおじさんに車で送っていただいた。
また今日もがんばろうと出掛けたBeanであった。

今日は行き先がちょっと遠いので,目的地に着くまで時間がかかる。
行き方は昨日とあまり変わらないけど。
東京駅に行って,中央線で新宿に行って,そこから埼京線で目的地の戸田公園 まで行くのだ。

と思ったら,東戸塚の駅の様子が昨日と違った。
もうお昼だというのに,やたらに人が多い。
何があったのだろうか。
すると,アナウンスが入った。
「お客さまには大変ご迷惑をお掛けしております。今朝ほどの沿線事故のた め,ただいまダイヤが非常に乱れております。・・・・」
どうやら事故があったらしい。
後でわかったことだが,この日は沿線事故のせいで何本か列車が運休したそう だ。
列車が数本運休しただけで,たちまち乗客をさばけなくなってしまうという事 実は,ド田舎物のBeanにはかなりの驚きだった。
確かに,満員になるくらい人が乗っていてやっと乗客を運びきっているのだか ら,運休したらたちまち乗客をさばけなくなってしまうのは当然である。
そんなわけで,お昼だというのに,満員電車に乗る羽目になってしまった。


電車に揺られて,戸田公園に着いた。
ここからO社まで歩かなければならない。
駅のすぐそばでは無いので,道に迷わないように歩かなければならない。

何とかO社に着くことができた。
O社は小さな会社だというのに,会社説明会に来た学生は15人くらいもいた。
Power Pointによる会社説明の後,社内見学をした。
機器製造をしている会社なので,社内は大型実験室のようだった。
興味深いものがいろいろと並んで,とても楽しい社内見学だった。
最後に,石英の表面に薄膜を張ったものをもらった。
何の役に立つわけでもないのだが,ありがたくいただいた。

会社説明と,社内見学で2時間はかかって,その後に質問時間が設けられた。
そして最後に「社内見学会の感想を述べていただきましょう」と言われて,なぜか Beanが指名されてしまったのである。
とりあえず感想を述べたが,面接以外で感想を求められたのは初めてだった。

これで終わりだーと思っていたら,
「ご希望の方には,これから筆記試験を行いますが,みなさんどうされますか ?」
と言われた。
この時点で,すでに午後4時。
何と筆記試験はさらに2時間程度時間がかかるそうである。
筆記試験が終わるのは,午後6時以降が決定的となった。
筆記試験をやるんだったら,あらかじめ言っておいて欲しかった。
会社説明会の案内には,そんなことは書いていなかった。
「会社説明会 (所要時間 約2時間)」
そう書いてあっただけだった。
都合の悪い人は後でも受けることができるとは言うものの,地方出身者にとっ ては後でというわけにはいかないのだ。
突然のことに,ちょっと機嫌が悪くなったが,ヘソを曲げてもしょうがないの で筆記試験を受けて帰る事にした。

筆記試験はいろんな問題が入り混じった一般常識を問う問題だった。
こんな問題の出題の仕方はBeanにとって初めてであった。
今までは,国語と算数のように科目毎に時間が区切られていたのだが,この日 の筆記試験では国語,算数,理科,社会,英語,時事問題の全科目が交互に出 題される方式だった。
だから,自分にとって得意分野から解いてゆけばよいことになる。

そして続いて性格検査だった。


試験が終了して会社から出ると,もう日が暮れて,暗くなり始めていた。
おばさん宅に慌てて帰りが遅くなることを電話した。

帰りは品川駅経由で帰ってみることにした。
品川駅はなかなか分かりやすい構造の駅だった。

東戸塚に着いた時には,もうすっかり夜だった。



4月14日(金)

B社 筆記試験@高田馬場

就職活動大遠征最終日。
今日は午前中にB社の2次試験の筆記試験がある。
B社は4月1日に筆記試験を受けた会社。
東京の学生が「こんなに難しいIT適性を受けたことがない」といっていた会社 である。

この日の朝は,大忙しだった。
全ての荷物を鞄に詰めなければならなかったからだ。
だというのに,午前中の試験に間に合うようにしなければならない。

おばさんからお昼ご飯のお弁当をいただき,出かけた。
またもおじさんに駅まで送っていただいた。
本当にありがたかった。

今日の行き先は高田馬場。
東京駅まで行って,大手町から東西線に乗りかえれば乗換えが少なくて済む。

東京駅には難なく着いたのだが,今日は中央線ではなく,地下鉄の東西線まで 歩かなければならない。
東西線は以前乗ったことがあったので,たどり着くことに自信があった。
と,思ったのにー!
以前は新幹線から下車して東西線に向かったのだが,今回は横須賀線から東西 線に向かわなければならない。
だというのに,ここ数日の癖で中央線ホームに出るエスカレーターのところに 来てしまった。
「これは違う。今日は東西線だ!」
そう思って東西線の案内をたよりに歩く。
すると目の前に改札が見えてきた。
東西線はこの改札の先にあるようである。
改札をくぐって案内に言われるように進むと....でーん!丸の内口から出 てしまったではないか!
かの有名な煉瓦造りの入り口前に出てしまったのであった。
確かに煉瓦造りは見てみたかったけど,さすがに今日見るつもりはなかった。
「何で大手町につながっている地下道が今日はないんだろう。」
しばらく歩くと,地下鉄の入り口を発見したのでそこを降りてみた。
すると例の東京駅から大手町につながる地下道に出ることができたのである。
地下道がある日突然消滅するわけがないのだ。
どうやらBeanは東京駅構内の階段を上りすぎたようであった。

早速東西線に乗る。
ラッシュアワーだというのに,東西線はすいていた。

高田馬場について,B社まで歩いた。
もう地図なんかなくてもたどり着くことができる。

B社は2次試験も筆記試験を行うという会社なのである。
普通は一次試験以外は面接を行う会社が多いのだが,B社は最終面接があるの みであった。

筆記試験ということで気合を入れて行ったのに,初めは少しだけ会社説明の続 きと,現場の社員のお話を聞く時間が設けられたので,拍子抜けしてしまっ た。
そのお話の終了後,筆記試験が行われたのである。

問題冊子が配られた。
「あれっ!これ昨日の会社の問題冊子にそっくりだ」
そして試験が開始され,問題を見てみてびっくり。
ほとんど同じ内容の問題だったのである。
こういうことがあるなんて。
昨日の筆記試験は,夕方遅くまでかかったけど,受けて良かったとちょっと思った。(^_^;)
もちろん昨日よりたくさんの問題を解くことができたのはいうまでもない。
正解しているかどうかは別として。

ちなみに、前回山手線の車内で話し掛けてきた適性検査の不得意な学生は、どうやらまた適性が無かったらしくいなかった…

試験が終了し,就職活動大遠征での目的は達した。


帰りは来た時と同じように,高速バスに乗る予定だった。
高速バスは往復で買うとさらに料金が割り引きになるからだ。
今現在高田馬場にいるので,このまま下落合から乗ったほうが近いのだが,申 し込む時に池袋駅からということにしてあったので仕方がない。

バスの時間までちょっと時間があった。
そこで東京観光をすることにしたのである。
東京観光といっても,東京タワーとか,都庁とか,そいうところにわざわざ行 くのではない。
すぐそばにあるところに行ってみるのである。
八重洲で買った地図には,観光情報なども載っていた。
見てみると,高田馬場にはボタンの名所があるではないか。
時期的にはちょっと早いが,早速歩いて行ってくることにした。

歩くこと約5分。
とおりから少し入ったところにその名所はあった。
入り口から入ると,そこにあったのはボタンではなくて大きなシダレザクラ だった。
満開に咲いていた。
きれいな庭のあるお寺だった。
さらに進むと,ボタンのが植えられている区画があった。
しかし時期が早すぎて,咲いているものは一つしかなかった。
でも咲いていたから良かった。
さらに上に上ると,頂上にはお墓があった。
そうである,ここはお寺なのだ。

ボタンを満喫するというよりは,桜を満喫して満足した。


高田馬場の駅方面に戻る。
お昼を食べるため,をとめ山公園というところに行ってみることにした。

をとめ山公園は新宿区にあるというのに,たくさんの緑がある公園だった。
都会だからといって,コンクリートやアスファルトのみというわけではないの だ。

ベンチに腰掛けておばさんからいただいたお昼を食べる。
「長かった就職活動大遠征。今日で終わりなんだなぁ。」
そんな風に思ったら,実は楽しかったことに気付いた。
独り暮しを初めてはや1年。
やはり独りで暮らすのは寂しいものだと思った。
もう家に帰ってもおいしいご飯は待っていないし,朝起きても甘いお団子は 待っていない。
そして一番寂しいのは,いろいろその日あったことを話す相手もいないのだ。
いろいろと聞かれると,うるさいなぁと思うけれど,聞いてもらえないと,そ れはそれで寂しい。
Beanとおじさんやおばさんは,両親とはまた違った関係にあるけれど,私を心 配して大切に思っていてくれていることに変わりは無いことを再認識した。
そんなふうにいろいろ考えていたら,が出てきた。
もう新潟に帰らなくちゃならない。
おじさん,おばさんいろいろとありがとう。m(__)m
そう感謝しながら池袋に向かうBeanだった。


池袋の高速バス乗り場には,いろいろな方面へ行く高速バスが止まるのだ。
Beanがついてからも,何台もの高速バスが乗客を乗せて走って行った。

そんななか,金沢行きの高速バスが乗り場に着いた。
待っていた乗客が乗りこんだ後,アナウンスがあった。
「○○さん,△△さん居りませんでしょうか。」
どうやら発車時間だというのに,申し込んだ乗客が来ていないらしい。
数分待ったが,発車することになった。
「○○さん,△△さん,お乗り遅れです!」
そうアナウンスして,金沢行きの高速バスは発車してしまった。
お乗り遅れってわざわざ言ってもしょうがないのに。変なアナウンス!
そう思ったBeanだった。

しばらくしたら,とある男性が走って乗り場にやってきた。
係員の人と話している。
どうも彼が金沢行きの高速バスに乗り遅れたうちの一人らしいのである。
彼はすぐさまタクシーを捕まえ,次の停留所までタクシーで行くことにしたら しい。
間に合うのだろうか。


やっと新潟行きの高速バスが乗り場にやってきた。
予約した席に座ると,バスは発車した。
下落合の駅を過ぎた頃から,Beanは爆睡体制に入った。
練馬のバス停に止まったという記憶がない。
おまけに高速に乗ったという記憶すらなかった。
気がついたら高速に乗っていたのである。
高速に乗ると,もう乗ってくる乗客はいない。
意外に空席が目立っていた。
そのため,乗務員の方から「空いている席に移動してもいいですよ」と言われ た。
何だか目が覚めたから言われたような気がして恥ずかしかった。

帰りのバスの中では,極道の妻のビデオが上映されていた。
でも,この前テレビだ放送されたばかりのものだった。
あんまりちゃんと見ていないけど,極道の妻より眠さの方が強かった
また眠りこけるBean。

途中何回か眠りつつ,新潟に無事到着した。

これにて就職活動大遠征は完全に終了したのだった。


数日ぶりに自宅に帰る。
新潟駅からバスで自宅近くまで移動し、バス停から自宅アパートまで歩いた。
くたくたでバス停から自宅までの道程が長く感じられた。
やっとのことで自宅アパートの隣の家の前まで来た。
すると隣の家の前に何か落ちていた。
またである。
確か出かける時も物が落ちていた。
近づいてよく見てみると、それは出かける時に見たウシガエルの死体だった。
出かける時に見た死体は、まだ死にたてだったせいか、ウシガエルとわかるほどみずみずしかった。
でも、今度見た死体は干からびて干物になっていた。
なんとも痛ましい姿だった。
どうやらウシガエルの死体は、Beanが関東方面に遠征に出かけている間中、隣の家の前に放置されていたらしい。
そして、ウシガエルの干物をあとにして、自宅に戻った。

自宅の入り口が新聞や郵便物ですさまじいことになっていた。
早速郵便物の確認をした。
するとNS社から郵便が届いていた。
「なんだろう。試験結果かな。」
そう思って開けてみたら試験結果だった。
4月30日に受けた一次試験を通過できたとの通知だった。
「やったー!通過したー!」
ところが!喜ぶどころではなかった。その続きを読んで恐ろしい事態になって いることが判明した!
何と次の2次試験は「4月14日(金)午後」とあるではないか!
4月14日とはまさしく今日である。

どうやらBeanは2次試験をすっぽかしたということになってしまったらしい。
これはヤバイ!
すっぽかすつもりなんてさらさらないのに!

夜10時くらいだったが,とりあえずNS社に電話をかけてみた。
何と電話に人が出たのである。
しかし,担当者ではなかったので後日掛け直すこととなった。

どうやらBeanが大遠征に出かけたその日にこの通知が届いたらしい。
今回の大遠征にあたって,Beanは最新兵器を投入していた。
就職活動情報をWebでも確認できるようにと,コミュニケーションパルを使う ことにしたのだ。
もちろん大遠征中はWebはもちろんのこと,全てのメールも毎日確認してい た。
しかしながら,郵便物で通知が行われてはどうしようもない。(T_T)

ちょっと不安にかられつつ,眠りにつくBeanであった。



4月21日(金)

O社 1次面接@埼玉

この日の就職活動は,ある意味泊りがけだった。
それは前日 4月20日(木)のこと…

20日の夜には実家に帰らなくてはならなかった。
というのも,21日は埼玉にあるO社の2次面接があるのだが,明後日の22日 は午前から長岡でS社の特別セミナーがあるので,できるだけ長岡に近い実家 に拠点を据える必要があったからだ。

明日はO社の試験である。O社の筆記試験に通過できたのは、隣の家の前に落ちていたウシガエルの死体のおかげであろうか。
明日のO社の試験を受けるために,夜行バスで東京へ行く予定だった。
今回は高田から出る高速バスに,柏崎から乗る予定だった。

日がすっかり暮れてから新潟の自宅を出て,夜10時くらいには実家についた。
遅めの夕食を食べて,柏崎駅前の高速バス乗り場に向かった。
夜行バスはBeanにとって今回が初めての体験だった。

夜行バスでは薄手の毛布が支給される。
これを掛けて東京まで寝ながら行くのである。

でも,深く眠ることは出来なかった。


翌朝,4月21日(金)…


朝5時半。池袋駅に到着した。
まだ夜は明けていない。
寝ぼけまなこで池袋に放置された。
さてどうしようか。面接は11時半からだからそれまで時間つぶしをしなくちゃ いけない。
とりあえず,山手線の始発に乗って高田馬場に行くことにした。
高田馬場の駅近くには24時間営業のレストランがあるからだ。

高田馬場を降りると,あいにくの雨。
24時間レストランへ行く途中で,傘を購入。
この時知ったが,コンビニというものは意外に駅のそばには無い。
ちょっと駅から離れたところにあるのだ。
駅を拠点とする場合,何かと不便だと思った。

24時間レストランに到着。
といってもまだ朝の6時
面接開始時間までまだまだ時間はある。
とりあえず朝食を食べることに。
デザートまで注文して,時間をつないだ。
Webをしたり,メールチェックしたりで,なんとか8時まで粘った。


さすがにこちらも飽きてしまったので,しょうがないから東京観光に出掛ける ことにした。
雨が降っているのが嫌だったが。

今日の目的地は,雑司が谷宣教師館である。
高田馬場からちょっと遠かったが,歩くことにした。

雑司が谷宣教師館はとても素敵な洋館だった。
さすがにこんなに朝早くから来ている人はいなかった。
一人でゆっくりと見学した。

さらに時間が余ったので,次は護国寺に行くことにした。
地図にツツジの名所とあったからだ。
例によってちょっと時期が早いが。
途中,雑司が谷霊園があった。有名な人のお墓がたくさんあるので探してみた が,見つける事は出来なかった。
朝だったけど,霊園にいるのはあまり気分の良いものではなかった。
さっさと退散。

護国寺は大きな通りの前にあった。
どうも今日はどなたかのお葬式があるらしい。
こんなに大きなお寺でお葬式をするのだから,すごい人なのだろう。

早速門をくぐってみると,さらに道は続いていた。
中門の前は階段になっていて,その階段の脇にはツツジがたくさん植えられて いた。
しかし,時期が早すぎて咲いていなかったのである。
満開になったらとてもすばらしいだろうにと思った。

さらに奥へ進むと,本堂が見えてきた。
本堂の中も見学することにした。
でも,広い本堂,一人で見学するのは,お化け屋敷並に怖かった。

そろそろ時間となったので,護国寺の駅から池袋に向かった。


O社には予定時間よりも早く着いた。
面接の時間までしばらく待たされるのかと思ったら,すぐに面接をすることに なった。

面接は人事の女性が一人と,他に面接官が3人いた。
自己紹介志望動機研究内容などについて聞かれた。
ここまでは今までの面接でも聞かれたことだった。
けれど,趣味について聞かれたのはこの会社が初めてだった。
私は大学時代市民オーケストラに所属していたので,そのことについて質問さ れた。
この会社の面接の中で,一番びっくりしたのは性格検査の結果についての質問 だった。
「前回性格検査をしていただきましたよね。あの結果で計画性が無いと出たの ですが,自分ではこの事についてどう思いますか。」
「計画性が無くて悪かったなー!(-_-;)」
そう思ったけど,半分認めつつも,そうでもないよってなことを答えた。
今回も,明るく,お話しよう作戦に変わりは無かった。

面接終了後,思いがけなく交通費をいただけるとのことで少し待たされた。
同じように待たされていた学生に声を掛けられた。
彼女は長岡技科大の学生だった。
彼女がされた質問は「あなたは他の人に比べて筆記試験の成績がよくなかった のだけど,この点についてはどうですか」というものだったそうだ。
この会社はそういう質問をするのが好きらしい。

交通費をいただいて会社を後にした。
技科大の学生と一緒にお昼を食べることにした。

お昼を食べて,池袋に戻った。
高速バス乗り場でバスを待つ。
今日は柏崎に帰るので,新潟行きではなく高田行きに乗る予定だった。
高田行きのバスが到着する時間が迫ってきた。
ふと降り返ると,何とそこには大学時代の同級生が立っていた!
「あっれー?!なんでここにいんのー!」
とつい言ってしまった。そう言った私こそなんでこんなところにいるんだっていうことは確かなんだけど。
彼も就職活動で東京に来ていたのだそうだ。
活動を終えて,大学に帰るためにバスを待っていたそうだ。
何とも偶然な。

Beanは大学から大学院に進学する際、大学を変えたので出身大学の就職活動状況についてはあまりよく知らなかった。
大学と同じ大学の大学院に進学したその友人に、大学の様子を聞くと、その大学院に進学した同級生の中ですでに一人は最終面接まで進んでいるとのことだった。
「もう最終面接まで進んでいる人がいるんだぁ。」
そう思うと、自分の活動が相変わらず最終面接の「さ」の字もないことに焦りを感じた。

いつになったら最終面接に進めるようになるのかな。
なんだかとても先のことのように感じられた。
だって、今の時点で最終面接にいけそうと思える感触がある会社すら無かったのだから。

同じバスに乗って柏崎に帰った。

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今日は4月11日に受けたNO社の筆記試験結果の発表日だった。
ネット上での発表である。

実家でコミュニケーションパルを使って結果を確認すると…結果はダメだった。(T_T)
やっぱり落ちるとショックを受ける。
特にNO社は、会社説明会に参加するのに、やっとのことで予約を入れたりだとか、説明会に遅れそうになったとか、いろいろなことがあった上で受けたので、そういったことが無駄になったのかと思うと何だか嫌になってくる。

けれど落ち着いて考えると、それらのことがすべて無駄だったわけではなくて、学んだことも多かったわけで。



4月22日(土)

S社 特別セミナー@長岡

今日は長岡でS社の特別セミナーがある。
S社の採用試験は来週から開始だ。
今回のはあくまで会社説明会の一環。
内定をもらいたければ,ありとあらゆる会に出席するべきだと思う。

しかしながら,今日は予定が
午前中はS社の特別セミナーに参加して,午後からは長岡技科大での研究室交 流会に出席の予定。
同じ長岡市内とはいえ,ダブルヘッダーは大変だ。


S社の特別セミナーは,社員の方のお話や,手がけている商品についての説 明,社内見学,取締役のお話と続いた。
S社の取締役は,とても話好きらしい。
しかもそのお話がとてもためになる。

今日のお話の中で,心に残ったことは
「今現在が不安だからといって,自分の夢を諦めるな」

就職活動をしていると,内定がもらえるのだろうかという不安が常に付きまと う。
初めは,何とかもらえるだろうと思って活動を始める。
「自分のやりたい事は何か」と考え,自分の夢が実現できそうな会社を受験す る。
しかし,何回か落とされてしまうと,さすがにもしかしたら内定が取れないの ではないかという不安が襲ってくる。
そうすると,自分の夢を追うよりはとにかくどこでもいいから内定をもらわな くてはと考え出す。

「内定がもらえないかもしれない」
そんな不安が大きくなればなるほど,何のための就職活動なのか分からなく なってくる。

目先の不安を解消するために,自分の夢まで捨てる必要はない。
目先の不安を解消するためにとりあえず内定がもらえたとしても,果たしてそ の会社で働きつづける事ができるのだろうか。
就職は人生を左右する事だというのに,目先の不安に全てを変えられてしまっ ていいのだろうか。

そう考えさせられた。

就職活動をすると,自分の将来のことだというのに考えることが嫌になってし まう事がある。
自分の夢をかなえるための,1歩だというのに。
そして,物事に対して落ち着いて考えることが出来なくなる。

S社の取締役のお話は,目先の不安解消に躍起になろうとしそうな私を勇気付 けてくれた。

また,こんな事もおっしゃっていた。
「あなた達は,自分一人でここまで成長してこれたのではない。ご両親をはじ めとするご家族や,あたなを取り巻く周りの方々に支えられてここまで成長す る事ができたということを忘れてはならない。」
本当にそう思う。

以前,就職活動のメーリングリストでこんな事を言っている学生がいた。
「何回も会社に落とされると,自信喪失してしまう。自分が全て否定されてし まったような気がして,自信を喪失してしまう。でも,自分には自分の事を大 切に思ってくれている家族や,友人や恋人がいる。だから,何度試験に落とさ れても,たとえ内定がもらえなくても,自分には自分の事を支えてくれる人が いるんだと考えると,ほっとするし,そういう人々に囲まれている事を幸せに 思う。」と。

Beanも,独り暮しを始めるまではそういうことについて真剣に考えた事は無 かったが,独り暮しを始めて,そして就職活動を通して,強くそう感じるよう になった。
私には私を常に支えてくれている人がいる。そういう人がいる私は幸せだと。

就職活動は大変という印象が強いし,実際大変な事もあるけど,得るものも多 いと思う。


セミナーが終了すると,会場にN社とNS社の会社説明会で会った出身大学の女子 学生が来ている事に気付いた。
そして,そのセミナーに出席していた私の同級生と3人でお昼を一緒に食べる 事にした。


午後からは,技科大で研究室交流会だった。
何とも大変な1日…



4月25日(火)

JM社 会社訪問(1次面接)@新潟

今日は午前中にJM社を会社訪問する。
JM社は4月7日にとてつもなく疲れるIT適性試験を実施した会社である。
その筆記試験を通過したという通知が来て,今度は会社訪問に来て下さいとの ことだった。

この会社は採用試験の順序が変わっていて,筆記試験の後,2回会社訪問を 行って,そのついでに面接を受けて,それを通過すると最終選考はまた筆記試 験だというのだ。
今回はその会社訪問の1回目。


バスに乗って新潟駅に向かう。
会社訪問とあるから,初めに社内を見学して,最後に面接があるのだと予想し ていた。

ところがその予想は外れた。
初めから終わりまで単なる面接だったのだ。
所要時間は30分間。
まあ,社内見学と行っても,何階にもわたって会社があるのではなく,ワンフ ロアにあるだけだから,入り口から見渡せば社内見学は終了であるけれど。

面接では,お決まりの自己PR自分の長所と短所他人から見た自分につい て志望動機を初めに聞かれた。
他には,趣味についてや,どういうSystem Engineerになりたいかも聞かれ た。
Beanの今回の作戦も,「明るく,お話しよう作戦」だった。 とにかくこの日はしゃべった。
なんかちょっとハイになっていた気さえした。
面接官もノリの良い人で,ずいぶんと笑いもとれた。

するとこんな事を言われた。
「ずいぶん明るくて,話すのが上手ですけど,理学部の方って皆さんそうなん ですか?」
断っておくが,Beanは工学部出身である。ただ,今の所属している研究室は理 学部の院なのである。
おそらく,理学部でこんなにお喋りなのは希少動物であろう。
生粋の理学部出身の方々に,申し訳ない。
Beanはしゃべりすぎてしまったようだ。

でも,しゃべりたい事を全部しゃべったので,何だか面接が終わったらスッキ リした。

面接が終わったので,とりあえず新潟をあとにした。


実は明日から泊りがけで東京に行かなければならなかった。
しかも,帰ってきた翌日は朝から長岡でS社の採用試験がある。
今回もまた,実家に戻って柏崎から東京へ出陣する予定だった。
そんなわけで,夜には柏崎に帰ることとなった。



4月26日(水)

NS社 2次面接@五反田

今日は朝10時からNS社の2次面接があった。
明日も東京で就職活動があるので,今日は泊りがけである。

NS社は,就職活動大遠征から帰った4月14日に2次試験を行っていた会社だっ た。
Beanはそんな事も知らず遠征から帰ってきたのだった。結局試験をすっぽかし てしまった形となった会社だった。

その後連絡を取り,何とか試験を受けさせてもらえる事となった。
だが突然予定が変更となり,初めは長岡での面接の予定だったのだが,急遽東 京に来てほしいという連絡がFAXで入ったのだった。
それも日にちが初めの予定から前倒しになったのである。

Beanとしては,長岡での試験があるということは,柏崎に帰れることなので, そのチャンスがなくなってしまったことと,東京まで行くのが大変だというこ ともあってちょっと不機嫌にだった。
でも,交通費を出してくれるとあったので,機嫌を直して,今回は新幹線で行 くことにした。


NS社のあるところは五反田。
今回は泊りがけのため大きな荷物を持っているので,とりあえず荷物をロッ カーに預ける。
旅行者にとってロッカーはなくてはならない設備だ。
少し前に,ロッカーに爆弾を仕掛けて爆発させた人がいた。
その影響で新潟駅でさえ,しばらくの間ロッカーの使用を禁止したという話を 聞いた事があった。
旅行をする上で,ロッカーが使えない事は辛い。
お願いだから,ロッカーに爆弾なんて仕掛けないで欲しい。
もちろん爆弾はロッカーに限らず仕掛けないで欲しいのだが。
もちろんロッカーに子供も捨てないで欲しい。

今日はあいにくの雨。
けど傘は持ってきていなかった。
やっぱり駅前にコンビニはない。
NS社に向かう途中,コンビニを見つけ,傘を購入した。


NS社に着くと,大きな部屋に通された。
しばらく待たされる間,やってきた学生と話をした。
偶然にもその男子学生は新潟出身の学生だった。
お互いの就職活動の話になり,偶然にもお互いJM社を受けた事が判明した。
JM社とは"とても疲れるIT適性試験を行った会社"である。
Beanは昨日JM社の"面接しか行わない会社訪問"に行ってきたばかりだった。
男子学生:「JM社の試験,僕だめだったんですよぉ。結構筆記試験が苦手で。 適性無いのかもしんないなんて最近思ったりしてるんですよね。」
JM社の試験を運良く通過していたBeanはその返答に困ってしまった。


NS社の試験は,面接と,作文だった。
今日の試験を受けたのは全部で4人。
作文の課題は
「あなたに影響を及ぼした人について」
私は父の事について書く事にした。
なぜかというと,私が数回受けた作文の添削で,一番出来が良かったのが父に ついて書いた作文だったからだ。
だから,内容が何とか当てはまる時は,このネタを書こうと思っていたのだ。

作文を書きながら,順次面接に呼ばれる。
私は2番目だった。

この会社では,マルチメディアに関する仕事を希望していたので,その事につ いてエントリーシートに自分の意見を書いたら,今回の面接はその仕事をして いる責任者との面接となった。
大きな会議室での1対1の面接だった。
面接官の方は,私の書いたエントリーシートの内容にずいぶんと興味を持って おられた。
そして,これは選考のための面接だったのだが,内容はこれからのマルチメ ディアの将来についてお話だった。
自分の経歴について聞かれるというよりは,マルチメディアの将来についての 意見交換といった感じだった。
だから,いろいろ聞かれるのではなくて,お話をする事で大変勉強になったの だった。

私がマルチメディアを題材にしてエントリーシートが書けたのも,就職活動サ イトの懸賞に当たった事がそもそもの始まりだった。
何気なく早めにサイト登録をしたら,デジタルカメラが当たってしまったので ある。
このことがきっかけでHPを作る事になったのだが,このことについての話もま た,面接でのネタであることはいうまでもない。
人生何が幸いするか分からない。

そして"面接という名の意見交換"は,舞台を会議室からNS社のソフト製作の現場 へと移されたのであった。
そして実際にソフト制作現場がどのようなものであるかを詳しく教えていただいた。

結局,その"面接という名の意見交換"1時間半にわたって行われたのである。 でも,全然つらいというものではなくて,良い勉強になったので楽しかった。

面接が終わる事になったのは,人事の方が心配して電話をかけてきたからであ る。
人事の方が迎えに来てくださって,作文を書く部屋まで案内してくださった。
「部長があそこまでなさるっていうのは,とっても珍しい事なんですよ。」
そうびっくりした顔で言われた。
「そうなんですかぁ。」
面接の事もさることながら,Beanの頭は作文のことでいっぱいだった。

あまりに面接に時間がかかったので,作文を書く部屋を移動することに。
他にいた学生は試験を終了して帰ってしまったらしく,残っていたのは私だけ だった。
すっかりお昼となっていた。

人事の方には「お昼を食べてから作文の続きを書いても良いですよ。」といわれた が,早く試験を終わらせたかったので書きつづけることにした。
下手に時間を置いてしまうと,せっかく頭にある構想が揮発してしまいそう だったからだ。


作文書きに没頭していると,"リーゼント頭の人事の方"がやってきた。
"リーゼント頭の人事の方"は4月6日のNS社の一次試験の面接をした方だ。
「ちょっと確認したい事があるんですよ。」
神妙そうな顔をして話し始めた。
「もし内々定を出した場合,内々定を承諾していただける割合はどの程度です かね。というのもですね,先ほど面接していただいた部長がですね,大変あな たの事を気に入りましてね。こういう事はめったに無いんですよ。例年はこち らが良いんじゃないかなと思っても,ダメだと言うこともあるんですけ どね。で,うちの会社に来てもらえるかどうか,確認してほしいと言われまし てね。」
これにはびっくりした。
最初の話では,この会社は3次選考まであるとの事。
まだ2次選考の作文も書き上げていないというのに,もうそういう話になるの か。
まさか内々定がもらえるというような話になるとは思ってもみなかったので, 返答に困った。
この会社の志望順位は高いにしろ,今の時点で内々定を承諾する勇気は無かっ た。
保留という返答をするしかなかったが,何とも言いづらかった。
すると"リーゼント頭の人事の方"
「内々定は出すと思うんですけどね。ただちょっと確認したかっただけなんで すよ。」
と言った。
うーん。困惑してしまった。
あんまりに突然の事に,作文の構想は吹っ飛んでしまった。

呆然としつつも,何とか作文を書き上げ,NS社をあとにした。


五反田の駅でロッカーから荷物を取り出し,宿泊先に向かうことに。
今日は原宿のビジネスホテルに宿泊の予定だった。
原宿は人だらけだった。

ホテルに着いたものの,まだ呆然としていた。
何だったんだろう,今日の面接。
どういう返事をするべきだったんだろうか。

いろいろ考えていると,自分は何をしたいのか,どうしてNS社を受けようと 思ったのか,なぜ即答できなかったのか,自分自身の中で不透明な事が山積と なった。

午後3時くらいにホテルに着いたというのに,その日は考え事をしていて結局 何もできなかったのだった。



4月27日(木)

C社 1次面接@新宿
SS社 会社説明会&筆記試験@用賀

泊りがけ就職活動2日目。
今日は午前がC社の1次面接,午後がSS社の会社説明会と筆記試験。

C社は就職活動大遠征2日目の4月12日に筆記試験を受けた会社だ。
新宿のビルにある会社である。
前回の筆記試験の合格通知は試験から1週間経ってから電話であった。
そんなわけで,今日も新宿へ行かなければならなかった。


原宿から新宿に行くのは簡単だった。
さすがに新宿に来るのも就職活動だけで4回目。
これだけ来ていれば,新宿駅構内は自信があるはずなのだが,今回は自信がな かった。
というのも,前回は地下の動く歩道に行くことが出来たのだが,どうやってそこ に行くことが出来たのか分からなかったからだ。
いつも都庁方面を目印にしている事は変わり無いのに,いつも違う道に出てし まう。
そんな不安は今日も的中してしまった。

電車を下りて,適当な階段を上り,都庁方面を目指す。
今回も何故だか地下にでることができたのだが,地下通路が前回と違うのであ る。
どんなに歩いても,動く歩道がないのである。
でも行き先案内を見ると,自分の向かっている方が都庁である事は間違いな い。
「都庁に着けば何とかなるでしょ。」
そう思って都庁方面に歩きつづけた。

突き当りまで進んだところで,地上に出て見ると,都庁は見えるものの,目指すビルは見えなかった。
Beanは完全に道に迷ってしまったのだ。
「どうして都庁を目指してきたのに,違うところに出ちゃったんだろう。」
本当に場所がわからなかったので,かなり焦ってしまった。
地図を開いて,周りの建物を見まわした。
半泣きだった。
そんな時ふとひらめいた!以前八丁堀で道に迷ったときに,会社に電話を して会社の場所を教えてもらった事を思い出したのだ。
そういえばC社の人事 の方も,電話で「わからないことがあったら,遠慮なくこの番号に電話して下 さいね。」と言ってた!
Beanはまさしく道が分からなかったので,早速電話してみることにした。
「・・・ただいま営業時間外のため,後からおかけ直し下さい・・・・」
ガーン!
Beanの希望の光は消えてしまった。
こうなったら自力でたどり着くしかない。
周りを見渡して,地図と見比べて,自分は都庁には着いたものの,都庁を挟ん で目指すビルのある側と反対側に出てしまった事が分かった。
どうやら,都議会の前を通って行けば,目指すビルにたどり着くことが出来そう だった。
目指すビルに向かって急ぐ。道に迷ったせいで,すっかり時間をくってしまい, 間に合いそうにもなかった。

何とか面接会場のビルにたどり着き,会場へと急いだ。


会場ではすでに試験が始まろうとしていた。
何とか試験開始には間に合ったのだった。
今日の試験は英語の筆記試験性格検査面接である。

英語は何だかよく分からんけど,出来る限り解答した。

面接は会場に着いた順番に行われたので,Beanは最後の方だった。

面接は,人事の方との1対1の面接。
お決まりの自己PRと,志望動機を話した。
そして,研究内容についてと,趣味についての質問があった。
研究内容について説明したのだが,イマイチ面白さが面接官に伝わらなかった ようで,残念だった。
今度聞かれたら,もっとちゃんと話せるようにしたいと思った。
中学生でも分かるように,私の研究の面白さを伝える。これが今日の課題。
最後に質疑応答があって,面接は終了した。
Beanが一番最後だった。


のんびりするまもなく,次のSS社の会社説明会と筆記試験に行かなければなら ない。
SS社は外資系のサーバの会社である。
新玉川線沿いの用賀というところに行かなければならない。
いったん新宿駅まで行って,新玉川線に乗り換えた。
新玉川線に乗るのは久しぶりだった。

用賀という駅のすぐそばのビルにSS社はあるらしいのだが,用賀駅につながっ ているビルはちょっと複雑で,会場までたどり着くのに混乱してしまった。

SS社の会社説明会は書類審査を通った人だけが受けれるものだったが,それで も50人くらいの学生が来ていたので驚いた。
入り口の受付で資料をもらったのだが,ものすごい量の資料だった。
おまけにSS社の社名入りのボールペンまでいただいた。

最初に会社説明がPower Pointで行われた。
数人の社員の方が,仕事ごとに説明するのだが,そのお話はあまり面白くな かった。
話を聞いて,期待していたような仕事内容でない事が分かったとたんにやる気 がなくなった。

続いて筆記試験。
やる気がなくなったが,とりあえず筆記試験はがんばってみた。
SS社は自社製の試験問題だった。

会社説明会と筆記試験が終了し,あまりにのどが乾いたので,会場と同じフロ アにあった自動販売機でジュースを買って一休みしてから帰る事にした。
ビルからの眺めはとても良かった。


帰りももちろん新幹線である。
しかし,今日はいつもと違って長岡で下車し,信越線で柏崎に帰らなければな らなかった。


柏崎に着いても,まだ外は明るく,家の方向のバスが,1時間先にしかない事 が判明したので,家まで歩いて帰る事にした。
いろいろとあった,泊りがけの就職活動だった。



4月28日(金)

S社 1次選考@長岡

今日は長岡でS社の採用試験がある。
S社は3月に個別セミナー,1週間前に特別セミナーと2回にわたる会社説明会を 行った会社である。
そして今日がやっと採用試験となった。

会場には,20人くらいの学生が来ていた。
今日の試験内容は,性格検査,作文,面接だった。

簡単な性格検査を行い,作文を書きながら,面接を行うという形式だった。
性格検査はマークシートではなく,当てはまるというものに丸をつけて,つけ た丸の数をもとに点数を自分で計算するというものだった。自分でそこまでや らせる会社は珍しいだろう。
キャリア志向を見るようなテストだったらしい。

作文の内容は,
「S社を志望した理由」
「S社に入社できたとしたら5年後はどのような地位でどういうふうに働いているか」

というものだった。
5年後の働いている姿について,これほどまでに詳しく聞かれた事はなかった ので,何と書けば良いかちょっと悩んだ。

面接は人事の方と,現場の方の2人対学生1人というものだった。
Beanはいつもお目にかかる親しみやすい人事の女性が面接官だった。
現場の方も,女性だった。
面接で聞かれる内容は,お決まりの自己PR志望動機を述べたあと,会社に 入ってどんな仕事がしたいかあなたの長所は何か周りの人からどう思われ ているか他にはどのような会社を受けているのか志望順位はどのくらい か会社を選択する基準は何かどうして専攻と違う内容の仕事をやりたいの か,などであった。
終始和やかな雰囲気で,Beanはいつになくよくしゃべった。
すると
「テンポ良く,元気に話されますねぇ。聞いていて心地よいです。」
と言われた。面接官は褒めの言葉だと言っていたが,どうも他の人よりもお しゃべりだったようだ。
Beanは面接官から「よく話しますねと言われる」ということを実家の母に話すと,母はいするのである。
どうせBeanは口から生まれてきた女なのだからしょうがないことだ。
口から生まれてきた事は,母親に確認済みである。(~_~;)(それは冗談)


面接が終了し,会社を後にした。
私より一足後に会社を後にした女子学生がいた。
彼女はN社とNS社の会社説明会とS社の特別セミナーで会った女子学生だった。
彼女が私と同じ方向に歩いてきたので,彼女が近づいてくるのを待った。
どうも彼女は私のことに全く気付いていないらしい。
手を振ってみると,ポカンとした顔をした。
そして私にさらに近づいて来て,どうやら分かったらしいのだ。すると
「あ゛ー!」
とっても驚いたらしく,飛び上がって驚いたように見えた。
「全然知りませんでしたよー!すごいびっくりしましたよー!」
彼女は本当に私のことに気付いていなかったらしい。
この日は雨降りだったので,近くのスーパーでお昼を買って,車の中で一緒に 食べたのだった。


またもや柏崎の実家に寄って帰る事にした。



4月29日(土)

こんな日もあるさ

世の中は,ゴールデンウィークらしいが,就職活動学生にとってはあまり関係 のないことなのかも知れない。
Beanはしっかりカレンダーどおり休みが取れたが,会社によっては連休であっ ても説明会や試験を行うところもあるそうだ。
休みを返上するのは,学生も会社側もお互い様である。

昨日は実家に泊まって,今日新潟に帰る事にした。

海岸線を通って帰る事にした。
今日はとてもお天気が良くて,海岸線の眺めは最高だった。,


新潟の家に着くと,郵便物と新聞がたまっていた。

4月21日に受けたO社から手紙が届いていた。
開けてみると,試験に通らなかったとのお知らせだった。
試験に通った時には,すぐさま電話で連絡をくれていたのに,断る時は気長に 手紙での連絡だった。
面接はそんなに悪くなかったと思っていただけに,ちょっとショックだった。

部屋を片付け,PCでメールチェックをした。
すると一昨日受けたC社からメールが来ていた。
「次回の選考を是非受けて欲しい」
何と選考を通過した
のであった。
これにはさすがに驚いた。
そしてさらに驚くことに,面接でどこが良かったか,どこをもっと直した方が 良いかなどについて書かれていたのである。
うれしくなって,ありがとうございますメールを早速書いた。

捨てる神あれば,拾う神ありといったところか。


そういうわけで、NO社は落ちてしまったけれど、C社は何とか通った。
そう考えるとあることを思い出した。
そういえばNO社を受けて、おばさん宅へ帰った時おばさんにこう聞かれた。
「今日の試験の出来具合はどうだった?」
そんなに出来たとは思わなかったので、素直に
「あんまりよく出来なかった。」
と答えたのだった。
するとおばさんは、「それは残念だったねぇ。」と言って、悲しそうな顔をした。

翌日、C社を受けた後も同じことをおばさんから聞かれた。
「今日の試験の出来具合はどうだった?」
この日の試験の出来具合だって、そんなにNO社に比べて自信がある感じでは無かった。 英語の試験もあったわけだし。
でも、おばさんの悲しい顔を見たくないのもあって、カラ元気を出して
「今日はまあまあだったよ。」
と答えたのだった。
するとおばさんは「そう。今日は良かったじゃない。」と言ってくれたのだった。

そして、結果的には「駄目だった」と答えたNO社には落ちて、「まあまあだった」と答えたC社は通った。
単なる偶然かもしれないけど、たとえ駄目だったと思っていても、それはあくまでもこれからの反省材料とするだけのためのものであって、いつも元気を出していることはある意味で大事なことなのかもしれないって思ってみたりもした。

このこと以来、縁起担ぎもあってか、学生以外から試験の出来について聞かれたらとりあえず「まあまあだった」と答えることにしていた気がする。




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