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5月2日(火)

B社 最終面接@高田馬場

この日の就職活動は,前日の5月1日から始まった…

翌日の朝の10時から東京の高田馬場でB社の最終面接があるので,この日の晩の高速 バス最終便で東京に行く予定だった。

B社の最終面接では面接だけでなく,プレゼンテーション課題が与えられてい たので,この日は研究そっちのけで,この課題用の資料製作に躍起になってい た。
課題は「柔軟な頭脳とは何か」
これを15分程度でプレゼンしなければならないのだ。
プレゼンの方法は,OHPでもPower Pointでも良かったので,私は経費節減のた め迷わずPower Pointを使うことにした。
Power Pointを使ってのプレゼンは,卒業研究発表会以来であった。
資料製作で苦労したのは,内容を伝えやすくするための絵をどうするかだっ た。
最初から絵はWeb上からかき集めてこようと思っていたのだが,なかなか思う ような絵が集まらなかった。
最終的には何とか仕上げて,何回か練習をすることが出来た。


最終便の東京池袋行きの高速バスに乗った。
連休中のせいか,バスは満員だった。
隣に座っていたのは,松葉杖をついたおじいさんだった。
この人がまた良くしゃべるおじいさんなのである。
こっちは夜だから寝たかったのだが,おじいさんの話を聞かないわけにもいか なかった。
でも,おじいさんはためになる話をするのだった。聞かないなんてもったいな いくらいの。
このおじいさんは,幼い頃の骨折がもとで,足が伸びなくなってしまったた め,松葉杖をついているのだそうだ。
昔の職業は床屋さんだったそうだ。
そして"おしゃべりおじいさん"はBeanに両親に感謝することの大切さを教えてく ださった。
たまたまバスに乗り合わせた学生に,いろいろと教えてくださるのだから,本 当に良いおじいさんだった。


そして翌日…


今日は東京の高田馬場でB社の最終面接である。
就職活動大遠征最終日に2回目の筆記試験を受けた会社だ。

今日も朝5時半に池袋駅前で放置されたので,電車で高田馬場の24時間レスト ランに向かった。
奥の席を陣取り,居座り大作戦であった。
今日は今までの教訓をもとに,レストランでいくつか作業を行うことにしてい た。
まず第1にプレゼン内容の練習。そして第2に提出書類書きである。
提出しなければならない履歴書は,プレゼン準備のため書いていなかった。
書く内容は決まっているので,丁寧に書くだけなのだが。
きっとレストランの人は驚いただろう。
この女,何を始めたんだって。
だって,プレゼンのハードコピーを前にして,何かもごもご言ってい るんですもの!


この日は,試験直前までレストランに居座っていた。
朝6時から午前9時まで!である。
レストランにとっては迷惑な客以外の何者でもないのは十分承知なのだが,何 しろ行くところがないのだから仕方がないのだ。


B社に着いたが,ずいぶんと早めに着いてしまったせいか,ずいぶんと待たさ れた。
今日は"豊臣秀吉似の取締役"と,社長の2人の前でプレゼンと面接を行った。
プレゼンが終了すると,プレゼンの内容について質問され,続いて一般的な面 接に切り替わった。
面接では,自己PR志望動機自分の長所と短所について他人から見た自分 について趣味大学の専攻を選んだ理由について現在の専攻と違う職業に つこうと思ったのはなぜか,などを聞かれた。
印象に残った質問は,ニュースの情報源はどこかという質問に続いての「最近 興味を持ったニュースについて教えて下さい」というものだった。
私は,醐醍寺の豊臣秀吉ゆかりの桜が老朽化しているので,最新のバイオテク ノロジーを使って再生させようという試みがあるというニュースについて話し た。
私がそのニュースを通じて言いたかったのは,先端技術の有益な利用の仕方に ついて(技術の進歩は決して悪いことだけではないという実例として)だっ た。
このニュースについて,社長は感心されていたようだった。

かなりいろいろな質問を受けた面接だったが,何とか終了した。
これでもう帰れるのかと思ったら,さらに筆記試験を行うというのである。
なんとも筆記試験の好きな会社だと思った。

一休みの後,Beanは部屋で"進行役のテープレコーダー"を前にして知能テストら しい試験を受けた。
この試験は以前受けた4つの絵が並んでいて,その次に来る絵は何かという問 題だった。
予想外の筆記試験に,すっかり疲れ果ててしまった。


試験が終了し,会社を後にした。
やるだけの事はやったので,思い残す事はなかった。

すぐ近くのコンビニでお昼を買って,をとめ山公園のベンチで食べた。
連休とあってか,公園にいる人の人数が前に来た時とは違っていた気がする。

ベンチでのんびりしていたら,散歩途中のおばあさんが隣のベンチに腰掛け て,私に話しかけてきた。
おばあさんは名古屋に住んでいるのだが,息子の家が公園のそばにあるそう で,連休を利用して息子の家に遊びに来たのだそうだ。
いろいろと話して,私がバスの時間が近づいたということでさようならを言う と,
「私がさっき近くの神社でお参りしてきたから,きっと良いことがあるわ よ。」
と言ってくださった。
このおばあさんに予知能力があるのかは知らないが,この後本当に良いことがあったのである。
就職活動を通じて,いろいろな人と話すチャンスがあるのは面白いことだっ た。
一期一会と言うのであろうか。


今回はバスを下落合から乗ることにした。
連休ということもあって,いつもは1台しか運行していないのだが,今日は4台 も運行していた。
Beanは4号車だったので,1号車が通過してからずいぶんと待たされた。
さすがに車内は満員だった。

Beanは練馬を過ぎたあたりから爆睡してしまい,高速に乗ったことも,関越ト ンネルを通ったことも記憶になかった。

いつもであれば途中のバス停になんかほとんど止まらないのに,今日は連休中 だったこともあってか,県内に入ったら,全てのバス停に止まったのである。
そして,90%の乗客が新潟市外で下車したのだった。
これほど県内に入ってから時間がかかったと思ったバスはなかった。



翌日判明したことだが,公園で会ったおばあさんの予言は見事的中したのであ る。
B社からの内々定の通知が来たのだった!
初めての内々定通知だった。


その内々定通知には,来週の水曜日に内々定書類を取りに,会社に来て下さいとあった。
来週の水曜日は,NU社を受ける予定が入っていた。
そのため,日を変えてもらえないかとメールを送った。
大型連休が続くけれど,果たしていつ読んでもらえるのだろう?と思いながらも。


・・・・・・・・・・・・


内々定がもらえて,確かに嬉しかった。
でも,逆にそのことで欲も出てきたことは紛れもない事実だった。
内々定がもらえないよりもらえた方がマシ。
でも,もらえるならできるだけ希望を大きく持ちたかった。
内々定がもらえて,初めて就職活動での計画性と一貫性という問題が持ちあがってきた。
内々定がもらえたといっても,内々定を受理するかしないか返答しなければならない期限がある。
そして,その他に現在選考途中の会社の選考の進み具合によっては,その返答も変わってくる。
そして,どこが自分が最も志望している会社かという基本的な問題が,その選択肢に大きく関わってくるのだ。
下手をすれば,欲を出したばっかりに,逆に全てのチャンスを失ってしまう可能性だって無い訳じゃない。

これまでBeanは,選考試験を受けている会社について特に優先順位は無かった。
優先順位を決めると,優先順位が高い会社に万が一落ちてしまった場合は,その精神的ショックに耐えられそうにもないと思ったからだ。
でも,どれか一つに決めなければならないという状況になると,この態度は非常に問題になってくる。
改めて自己分析の大切さを認識したのだった。



5月8日(月)

S社 2次選考@長岡

今日は長岡でS社の社員との懇談と社長との面談と筆記試験とがある。
例によって今日は柏崎からの出陣だった。


今日のメンバーは,よりによって女ばっかり4人。
Beanはなぜか面接グループ内に女がいると,どうもやりにくいと思っているのだ。
おそらく、男の中に女が一人となると、女というだけである意味目立てるような気がしているからかもしれないと自分では分析してみたのだが。
だから、女ばかりだと目立てる要因が減ってしまうので、やりにくいと感じてしまうのかもしれない。
おまけにどうやらみんな同じ大学らしい。
これだから県内での就職活動は,なんだか嫌だ。
椅子の数の少ない,椅子取りゲームをしているみたいだからだ。

社員の方との面談は,なかなか面白かった。
社員の方は,男1人,女2人の計3人の方で行われた。
社員の方自身が学生との面談に戸惑っていたようだったが,笑いの絶えない楽 しい職場という感じが伝わってきた。
もちろん内容はまじめである。
特に印象に残ったのは,SEの仕事内容が,人によって感じ方が違うのはなぜか といったことについてだった。
就職する会社によって,やりがいがあると答える人もいれば,辛くて仕方が無 いという人もいるのは何故だと思うかという学生側からの質問だった。
社員の方は,仕事をする上で自分の携わっている仕事の全体が見えないと,辛 くて仕方がないかもしれないといっていた。
確かに,全体の中で自分のやっている仕事がどのような意味を持ち,どのよう に重要なのかが分からなければ,何のために仕事をを成し遂げようとしている のか分からなくなってしまうかもしれないと思った。
その時,勉強でも同じことがいえるかもしれないとも思った。
例えば,中学に入ると,算数が数学になって,難しくなる。
難しくなると出てくる言葉が,「なんでこんな難しい事をしなくちゃならない んだ」
何故数学を中学生からやらなければならないか,勉強の全体像が掴めないと, こう言いたくなる。
でも,中学生の数学は高校,大学で数学を学ぶための重要な基本であって,理 系文系に関わらず必要な知識である。たとえその内容が,中学生の生活に必要 ないものだとしても,である。
でも,その全体像が掴めるのは後になってからで,中学生ではその全体像に気 付かずに数学を投げ出したくなる。
そして,あとで後悔することになる。「もっとしっかりやっておけばよかっ た」と。

続いては,取締役との面談。
面接というよりは,取締役のお話を聞くといったほうが正しかった。
4人の女子学生で取締役の話を聞く。
すると取締役が「社訓を知っているかね」と聞いた。
私を含めて,3人の学生はしどろもどろになった。
仕事の内容だとか,商品についてなどは知っていたけれど,社訓は覚えていな かった。
ところが,びっくりすることに1人の学生は社訓を全て覚えていたのであった!
ものすごいやる気である。
感心してしまった。

取締役との面談が終了し,最後に筆記試験が行われた。
この筆記試験はとても豪華な筆記試験だった。
何が豪華なのかというと,まず試験問題冊子がとても上質な紙なのである。
そして,一人一人個別に袋に入れられていたのである。
通常の筆記試験というのは,冊子もわら半紙程度の紙質で,解答用紙と試験問 題冊子は別々に前から後ろの方へ配布されてくるのだ。
ところがS社は一人一人に袋入りの試験問題一式を配るのであるから,それか らして豪華なのである。
そしてまた,内容も変わっていた。
どうやらIT適性らしかった。
いろいろな形をした記号が並んでおり,記号の並びからその記号の意味を掴む といった問題や,図形の並び替えを行わせる問題などだった。
よく問題のやり方を飲みこまないと,何が何だか分からなくなってしまって解 答できなくなってしまう。
今までにないタイプの適性検査で,ちょっと驚いた。

続いて性格検査が行われた。
これもまた今までになく独特で複雑で,素直に答えていくしか方法が無いとい う感じだった。

この日は良いお天気だったので,試験時間中も暑かった。


盛りだくさんの試験が終了し,新潟に帰った。
試験らしい試験は,筆記試験だけだったような気がする内容だったので,面談 でどういう評価が下されたのかさっぱり分からなかった。



5月10日(水)

NU社 1次選考@新潟

早朝6時。
朝の苦手なBeanにとっては,まだまだ熟睡タイムだった。
だというのに・・・・電話が鳴った!
「誰だろう,こんな朝早くー!親に違いない。驚かしてやろう!」
と思って,寝ているところを起こされたとは思えないくらい機嫌の良い声で電話に出た。
おそらくかけてきた親は,どうせ寝ているところを起こしただろうと思っているに違いないからだ。
いかにも目が覚めていましたという声で電話に出れば,きっと驚くだろうと。
!!ところが,電話の相手は親ではなかった!!
なんとB社の取締役であった。
「朝早く申し訳ありません!B社の・・・・」
B社の取締役とは"豊臣秀吉に似た取締役"である。
こんな朝早くからいったい何事だというのか?
寝ぼけた頭が,すっかり混乱して,返事をするのがやっとだった。
「あのう,本日内々定関係書類を取りに来て下さいと通知していましたが,日程の変更を申し出ておられましたよね。すっかり返事をするのが遅くなってしまったので,もしこちらに来られたら大変だと思って,出かけられる前に電話を差し上げたんですけれどもね。」
確かに,メールで日程変更をお願いしていたものの,返事は無かった。
放って置いたBeanが悪かったのだが,まさかこんな事態になるとは思わなかった。
日程の変更に関しては,メールに詳しく書いて送ったとのことだった。
わけが分からないまま,とりあえずメールさえ見れば良いんだということだけは理解して,電話を切った。
こんなに気を使っていただいて,"豊臣秀吉似の取締役"に申し訳無かった。

ちなみに,高田馬場に午前10時まで(当初の予定では午前10時の約束だった)に着くには,Beanの自宅から午前6時に起きては間に合わない。
無論,新潟駅前に住んでいれば話は別だが。


今日は新潟でNU社の試験がある。
NU社はPC関連企業の老舗である。
新潟にも事業所があるということで,新潟で試験を受けることができるらし かった。

この会社の筆記試験を受けることとなった経緯は他の会社とは少し違った。
ある日,自宅に帰ったら留守番電話が入っていた。
聞いてみると,NU社の新潟事業所の人事の方からの電話だった。
私はそれまでNU社に接触したこともなく,NU社が新潟に事業所を持っているこ とすら知らなかったのだ。
「何で私の電話番号を知っているんだろう。」
そう思った。
でも,就職活動上,就職活動サイトなどに登録する際電話番号を記入している ので,どこから電話番号が漏れても仕方の無いことなのだと思った。
留守電の内容としては,大学の方に募集の案内を貼っておいたので,それを見 て興味を持ったら連絡を下さいとのことだった。
早速翌日NU社の募集要項を見に行った。
紙切れがたった一枚,壁に貼ってあっただけだった。
興味のある業界であったこと,勤務先は新潟に限らないのに新潟で試験が受け れること,の2点が気になったので,とりあえず事業所に電話をかけてみるこ とにしたのだった。
そして今日試験を行うから来てくださいと言われたのであった。

あらかじめ言われていた試験内容は,筆記試験小論文面接だった。
でも,Beanがこの会社と接触したのは電話のみだったので,今日試験を受けに 行くことで会社の説明も行われるものだと思っていたのだ。
しかし驚くことに,会社説明などはなかったのだった。
試験のみだったのである。

会社説明がなかったので,さすがに志望動機を書くのには困った。
あらかじめWeb上で出来る限りの情報は集めて行ったのだが,会社説明がない のには困惑した。

会場ではBean以外に2人の男子学生が来ていた。
しかも彼らはNU社の会社説明パンフを持っているではないか!
ますますBeanの電話番号をどこで知ったのか,疑問が深まるばかりだった。

会社のCMを数本見た後,筆記試験が始まった。
NU社独自作成の筆記試験だった。
内容は一般常識を問う問題だった。

続いて クレペリン検査なるものが行われた。
Beanは初めてだった。
クレペリン検査とは,一桁の足し算を延々させるもので,その結果から精神状 態などを分析するのだそうだ。
やる事は一桁の足し算だから,簡単なのだが,かなりの集中力を要するので, 終わった後はとても疲れる試験だった。
おまけにBeanは肩こりが悪化して,この試験のあと具合が悪くなってしまっ た。(T_T)

そして,さらに性格検査が行われた。
この性格検査は,先日内々定をいただいたB社の性格検査と全く同じ内容のも のだった。

最後に面接が行われた。
学生一人に対して,人事担当者の他にもう一人面接官がいた。
ごくごく普通の面接だった。自己PR自分の性格について研究内容につい て志望動機何故専攻と違う職業につきたいのか,など。

面接で気付いたのだが,NU社の人事の人は,とても"ストップウオッチが大好き な方"のようだ。
というのも,筆記試験で時間をはかるためにストップウオッチを持っているの はわかるのだが,この方は面接の時も時間を計っていたからである。
今まで面接にかかった時間を,ストップウオッチで計っている人は見たことが なかった。
しかもこのストップウオッチは高価なもので,デジタル表示ではなく,針の表 示のものだったのである。
何でそこまで正確に時間を計らなければならないのか分からない上に,チクタ クと音がして,これがまた気になるのだ。


クレペリン検査ですっかり疲れてしまいつつも,会社をあとにした。


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内々定はもらえているものの,何となく納得の行かない感じだった。
今回新しい駒としてNU社を受けてみたのだが,そろそろ駒が減ってきた感があった。
またどこかにエントリーしないと,本当に駒がなくなっちゃうかもしれない。
そう思ったりした。



5月13日(土)

S社 3次選考@長岡

今日は今週の月曜日に面談と筆記試験を受けたS社の役員面接だった。

行きは国道116号から与板経由で長岡に入ることにしたのだった。
前回は与板で迷って,現在地不明のまま標識のみをたよりに長岡市内の蔵王橋 に着いたので,今回は与板内で自分の位置をきちんと分かった上で国道8号線 に出ることを目標とした。
前回自分の位置を見失ってしまったのは,与板の市街地に入らなかったためで あった。
でも,今日は市街地を通る事が出来たので,現在地を見失う事もなく,予定ど おりのコースで長岡に着くことができたのだった。
もう新潟から与板経由で長岡に行く事は完璧だった。
でも,初めの国道116号線が渋滞していたため,長岡に到着した時は時間ぎりぎりだっ た。


役員面接は,学生1人に対し2人の面接官による面接だった。
S社は比較的いつも和やかな雰囲気の会社だというのに,この日の面接は厳粛 な雰囲気で始まった。
ちょっとその雰囲気の違いに戸惑った。
面接は自己PR自分の性格について志望動機研究内容について会社に 入ってやりたいこと,などと聞かれた。
でも,時間ぎりぎりに着いたせいか,全く面接に望むという心構えが出来ていな かったので,中途半端な答え方しか出来ず,自分をアピールできなかったと 思った。

他には,ここで初めて聞かれた事は,TAについてだった。
院生はTeaching Assistantといって,学部の授業のアシスタントを行う。
これは平たく言えば,学内でのバイトである。
本当にお給料がもらえるのだ。
Beanの大学ではTAは職歴となるため,履歴書に書かなければならない。
どうも履歴書に書かれたTAというものに興味を持ったらしく,面接官は 「ティーチング・アシスタントとは何ですか?」
と聞いてきた。
Beanは学部の情報処理の授業のアシスタントを担当していたので,志望業界とも少し絡めつつ,説明した。 このことに関しては面接官も興味を持ってくれて,いろいろ質問してきた。
「学生に教える事で難しい事は何か。」
「どんな点に気をつけて教えているのか。」

などを聞かれた。

この面接で印象に残った質問は,「面接をしている私たち2人の印象について 教えて下さい。」だった。
この質問の時点で,もう面接は終わりに近づいており,面接の雰囲気も少し(ほんの少し!)は 和やかになっていた。
私はやっとこの面接がやりにくい原因がわかったのだった。
原因は面接官の一人だったのである。
主に質問を投げかけてくる面接官は,Beanの答えに対して,何らかの反応を示 してくれていたのだったが,もう一人の面接官はただ聞くだけ。
どんなにBeanが笑わそうとしても,一人は笑ってくれるのに,もう一人は笑っ てくれないのだった。
笑いのない面接ほど,楽しくないものはない。
そんなわけで,先ほどの質問に対しての返答は本当の事は答えなかった。
なんとなく「雰囲気が悪かったです。」とは言えなかった。(-_-;)

面接が終了して,結局自分をアピールできてないと思ったまま会社をあとにし た。
例によって,柏崎に寄ることにした。



5月16日(火)

とある1日

この日は大学で,健康診断があった。
健康診断といっても,今日はレントゲン撮影だった。
4月には体重測定や視力検査,尿検査などがあった。
Beanの大学は健康診断証明書が発行されるまでずいぶん時間がかかる。

就職活動を始めてから,よく歩くせいだろうか,心配事が多いせいだろうか,ストレスがたまる せいか,食生活が貧相なためなのか,とにかく3kg体重を 落とす事ができた!
大学時代,自転車で通学していた時にやせることができたが,車に乗るようになってぶくぶく太 りだし,就職活動前は人生で最大に太っていた。
体重が落ちた事はうれしかったが,就職活動が終わればまた元に戻るのかと思うと,何とかこれ 以上増えないようにと願うBeanだった。(-_-;)


この日NS社から内々定の通知が届いた
NS社の面接を最後に受けたのは,4月25日だった。突然東京での面接となり, 泊りがけで出かけた面接だった。
これが2個目の内々定。
こんなに結果が出るのが遅くなったのは,大型連休に加え,Beanが応募書類の いくつかを未提出だったためだ。
履歴書とエントリーシートのみで一次試験を受けれるとのことだったので,そ れ以外の書類は未提出だったのである。
つまり,Beanはエントリーシートのみで選考を受けていたようなものだった。
慌てて他の必要書類(修了見込み証明書、成績証明書)を5月1日に送付し,今日内々定通知が来たというわけだった。
この成り行きから考えて,NS社が私に内定を出す事になったのは全てエントリ シートに基づく結果のように思った。
それも,2次面接の後に内々定の話が出たことからすると、私の考え方とやる気だけで内々定を出してくださったように思っ た。


しかしながら,S社からの連絡が来ない。
これは私を大きく焦らせる原因となった。
なぜ数日連絡が来ないくらいで,そんなに焦るのか?
それには特殊な事情があったからである。
実は,Beanの所属している研究室には就職活動をしている学生が他に2人いる のだ。
そのうちの1人は私と同じ業界を志望しているのだった。
そして,偶然にもお互いにS社を受験し,今まで選考に残っていたのである。
だから,お互いにいつ連絡が来たのかという情報は常に取り合っていたのだ。
そして彼は,昨日次の選考の予定が知らされてきたというのである。
私自身,前回の面接は失敗だと思っていた部分があったので,ダメだったかも しれないと思っていた。
次回に進むときに連絡が来るのは当然であろうが,ダメな場合はどうなるかに ついて人事の方は何も言っていなかった。
「ダメだったのかも知れない。」
気が狂いそうだった。

そして夜中となった。
何とその時間になってやっと連絡のメールが来たのである!
心配した自分がアホらしくなったが,とにかく次回の面接に呼ばれて良かった と思った。
面接は来週の月曜日。いよいよ取締役との個別面接である。


・・・・・・・・・・


2つ目の内々定をもらったものの,まだ他に選考途中の会社もあったのでまだ就職活動を終える気にはならなかった。
だからといって,志望している会社が定まったというわけでもなく,気分的にまだ続けようと思った。
逆にいえば,内々定をいただいた会社に就職しようという決心がつかなかったのだ。



5月17日(水)

C社 最終面接@新宿

今日は東京の新宿でC社の面接がある。
実はBeanはこの面接がC社の最終面接であるという事実を知らなかったので ある。
面接の日時を電話で伝えられたのだったが,どうやら「役員面接」とい うところだけしか聞いておらず,最終面接という部分は聞き逃してしまってい たらしい。
最終なのか,そうでないのかは,就職活動終盤では重要事項。
選考の進み具合と,志望の程度によっては内々定を辞退しなければならないからだ。


東京での就職活動は今日だけなのだが,B社が書類を取りに来て下さいとのこ とで,その書類を取りに行く時間が明日の午前10時と指定されたのでそのため に泊りがけとなった。
今回の拠点は横浜のおばさん宅である。


今日はC社が交通費を出してくれるとのことだったので,今日は新幹線だ。
天気予報で今日の東京はだと聞いていたので,家から傘を持って出かけた。 新潟駅でお昼を買って,新幹線に乗った。
お昼を食べて,日頃の睡眠不足解消にと思って,寝ることにした。
そして目が覚めたら埼玉の熊谷付近だった。
はっとある事に気付いた!
そういえばいつの頃からか,傘がないではないか!
席の周りを見渡すけれど,傘なんてどこにもない。
そういえば新幹線に乗る時点で,傘を持っていなかった気がした。
でも,家からは確実に持って出たはずなのである。
どこに行っちゃったんだろう,私の傘.....
よくよく考えてみると,新幹線に乗る前に,新潟駅でお昼を買ったとき,お金 を払おうとして傘を置いたのに,買った商品を受け取ったら傘を忘れてしまっ たらしかった。
手荷物は3個までしか管理出来ないBeanだった。(^_^;)


C社は新宿にある。
前回4月26日に受験のため新宿に来た時に見事に道に迷ったので,今回はその 謎を解こうと思っていた。

新宿駅に着くと,とりあえずそばにあった都庁方面という案内のある階段を 上った。
すると出た改札は,南口だったのである。
この改札を出て行きたい地下通路に出る方法を知らなかったので,,新宿 駅構内をさまよう事にした。
地図を見ると,「西口からも都庁に行ける」とある。
どうやら西口からも都庁に行けるらしい事が分かった。
でも,南口の改札を出ずに,西口に行く方法がわからなかった。
仕方なく,ホームを経由して西口に向かう事にした。
予想どおり,西口の改札は地下通路方面の改札だった。
今度は地下通路の方向を間違えずに行くことが出来たのだった。
これで何となく新宿駅の謎は解けた。
ようするに西口の都庁方面に向かえば良いらしい。
そして無事に会社のあるビルに着くことができたのである。


東京地方は曇ってはいたものの,幸運な事に雨は降っていなかった。

今日の面接会場は,同じビルでも階が違った。
そのため,乗らなければならないエレベーターも違った。

面接会場の入り口でインターホンを押し,中にいれてもらう。
いつも思う事だが,C社の方々の対応はいつもとても丁寧なのである。
通された部屋では,多くの社員の方々が働いておられた。
女性の数も多かった。

早速交通費清算が済み,面接の順番を待つ事に。
私の前の順番だった男子学生は,肩を落としながらも部屋から出てきて,Beanに
「がんばって下さいね。」
と言って帰っていった。
なんか相当面接がきつそうな感じがした。

いよいよBeanの番。
面接室に入ると,そこには男性の面接官が一人いた。
学生の書類のファイルをぺらぺらとめくりながら,面接をした。
イントネーションから,面接官は関西人であった。
初めに自己PRをし,研究内容志望動機を聞かれた。
そして,入社したら何がやりたいのか聞かれた。
抽象的に答えると,
「もっと具体的には何なの?」
と言われてしまった。まさかそこまで詳しく聞かれるとは思わなかったので, 慌ててしまったら,論理展開がおかしくなってしまった。すると,
「あなたのやりたい事は,うちじゃなくてメーカーの方が良いんじゃない の。」
そう言われてしまった。
『ゲー!全然私の言いたいことが伝わってないじゃん。』
この時点で自分の言いたいことと全く逆の方になぜか論理が展開しており,な んとかしてメーカーでは私のやりたいことができないという事を伝えようとし たのだったが,うまくいかなかった気がした。
でも,できるだけ面接官に対抗はしたんだけど。

話が少し変わり,英語がどの程度できるか聞かれた。
ちなみにBeanにとって英語はかなり苦手なことだったから,この質問はよく聞かれるけど嫌な質問だった。
でも,やる気はあるんだって事を伝えるようにはした。
しょうがないんで,いちおうすっさまじくひどいTOEICの点数を答えておいた。

そして最後に,志望の程度を聞かれ,質問はないかと聞かれた。
Beanは「大きな仕事の全体を把握するにはどういった工夫をしているのか」聞いた。
すると関西人の面接官は,私に説明をしてくださった。
ところが,関西弁のイントネーションが聞きづらく,分からないところはイン トネーションを真似して聞き返したら,笑われてしまった。
だってイントネーションが違って,同じ単語でも何の事を言っているのか分か らなかったんだもん。
この事件以来,関西弁が少し怖くなった。
テレビのお笑い番組での関西弁は分かるのに,何で関西弁の面接官の話がわか らなくなってしまったのか分からなかった。

そうして,すっかり関西弁の面接官のペースにはまったまま,面接は終了した のであった。
ちょっと最近面接がうまくいっていない気がして仕方がなかった。


ビルをあとにし,横浜のおばさん宅へ向かった。
なんだか何しに来たんだろう?と思ってしまうような1日だった。



5月18日(木)

B社 書類を受け取りに@高田馬場

泊りがけの就職活動2日目。
今日は午前中に,高田馬場にあるB社へ内々定の書類を取りに行かなければな らなかった。
さすがに新潟から東京まで書類を取りに来いというのは勘弁してほしかった。
移動するだけでも疲れるのである。お金もかかるし。


横浜から高田馬場に出掛ける。
初めの予定では東京まで行ってから,東西線に乗ろうと思っていたのだった が,この日の体調は最悪。
品川でひとまず電車を下りて深呼吸する必要があった。
それ以上乗っていたら,人ごみに酔ってか,吐いてしまいそうだった。


高田馬場からB社へ歩く。
この日はあいにくの雨。
昨日新潟駅に傘を忘れたので,今朝おばさんから傘をもらったのだった。

B社に着くと,中に通され,しばらくして"豊臣秀吉似の取締役"が出てきた。
そして,内々定通知書を渡された。
「今日の目的はこれで終了です。」
確かに,郵便で送られてくるよりは手渡しされた方がありがたいけど,そのた めに東京まで来るのは辛かった。
でも,そんな事を顔に出してはいけないと,体調の悪さも感じ取られないよう にといつもに増して異常に明るく振舞うBeanだった。
内々定通知書はいただいたけど,内定を得るまでには提出しなければならない書類がいくつかあった。
その書類が全て提出されてはじめて内定が出せるらしかった。
Beanは健康診断書の発行が遅いということで,できる限り提出期限を延ばしたのだった。

思いがけず,交通費をいただける事になった。
ありがたい事だった。


内々定通知書をいただいたので,会社をあとにした。


そのあと,高田馬場から東京駅に向かい,新幹線で新潟に帰った。
何だかんだで,新潟の自宅に着いたのは午後3時くらいだった。

さっそくお世話になったおばさんに到着の電話をかけた。
「おばちゃん,今着きました。」
そういうと,おばさんはびっくりしていた。
朝おばさんの家を出て,午後にはもう用件を住ませて新潟の自宅にいるという のだから驚いたそうだ。

Beanはこのまま学校へと向かった。
学校ではやらなければならない事が山積みだったからだ。
やらなければならないことをやるためにも,東京観光している場合ではなかっ たのである。



5月19日(金)

NU社 2次面接@新潟

今日はお昼から新潟でNU社の面接があった。
NU社とは突然Beanの自宅に電話をかけてきた会社である。


今回の面接は,個人面接だった。
"ストップウオッチ好きな人事"の方と,前回の面接官に加えて,他に2人面接官 が増えていた。
質問は主に新たに加わった2人の面接官から行われた。
そして今回も"ストップウオッチ好きな人事の方は,ストップウオッチで時間を 計っていた。

質問された内容は,前回とあまり変わらなかった。
また面接ではたまに聞かれる質問だが,
「あなたは人をまとめる方ですか,それとも人 に従うタイプですか」
という質問もされた。

私自身は,今回は自分自身をアピールできたと思った。

面接は30分程度で終了し,すぐさまバスで自宅に帰った。



5月22日(月)

S社 最終面接@長岡

今日はS社の最終面接だった。
S社とは前回の面接がうまくいかなくて,ダメかもしれないとあせりまくった会社である。
今日もまた柏崎からの出陣だった。


S社にはかなり余裕を持って到着することができた。
会社に入ろうとした時,男子学生も一緒に入ってきた。
「この人も最終面接なのかな?」
そう思ったが,受付で案内された場所はお互いに違っていた。
Beanは5階の畳敷きの懇談室に通された。

ところが,通知されていた時間になっても誰も呼びに来てはくれなかった。
「時間どおりに事が進まないことだってあるさ。」
そう思いつつ,30分が経過した。
それでもまだ誰も呼びに来てはくれなかった。

「一緒に会社に入ってきた男子学生と何か間違われたのかなぁ?」
30分以上待たされると,不安どころの問題ではなくなる。
ひょっとして忘れ去られたのかな?このまま誰も呼びに来なかったらどうしよう…!
とまあ,ありとあらゆる事を考え出して止まらなくなる。

仕方が無いから,受付に戻って様子を聞いてみた。
受けつけの方は担当者に電話を掛けてくださり,私の前の順番の人の面接が長引いていると教えてくださった。
長引いたにせよ,伸び過ぎである。
再び5階の懇談室に戻り,呼ばれるのを待った。

結局,予定時刻より45分経ったところで担当者が呼びに来て下さった。
やっと面接の始まりだった。


今回の面接は取締役との面談と言われていた。
だから1対1で取締役と面接があるのかと思っていた。
ところが,今回は面接というよりは確認といった感じで,取締役と人事担当者のと面接をした。
何を確認するのかというと,入社の意思である。
S社は内々定の出し方が他の会社とは変わっている。
学生側がS社に内々定すると決断した時点で,内々定を出すというのである。
だからS社においては,内定辞退という事はありえない。
ようするに,最終面接に残った時点でS社としては本人の意思さえあれば,内々定を出すという考えがあるということらしかった。
だから,意思が固まっていない人は他社とよく比較検討して,決断を下してほしいとのことだった。
何ともすばらしい意思を持った会社である。
「他社とよく比較検討してから」と言いきる会社はあまり無いからだ。
どちらかといえば,他社に逃げるなといわんばかりの会社が多い。

そんなわけで,最終面接は厳粛な雰囲気も無く,お話をするといった感じだった。
人事担当者から言われた事は,Beanを高く評価してくださったのは現場の方だったそうである。
そのことで最終面接まで残れたらしい。
何ともありがたいことである。

結局,Bean自身の意思が固まっていなかったので,6月初めの学会後に意志を決めて伝えるということで,今回の面接は終わった。


面接が終了して,新潟へ帰った。
午後からは学校が待っている。


・・・・・・・・・・


もうこの時点で,Beanの就職活動が終盤になっている事は明らかだった。
もう駒が無いに等しかったからだ。
けれど,内定がもらえていないわけではなかった。
さすがに,全ての内定を蹴って,就職活動を続ける気にはならなかった。

しかしながら,C社からの連絡が来ない。
就職活動者向けのメーリングリストでは,C社の採用経過についての情報が流れまくっていた。
そのメーリングリストでは,C社は最終面接のその日の夜に,電話で通知が来るという話が流れていた。
そして,健康診断の通知がなされ,健康診断を終えると,初めて内々定になるということだった。

Beanはこの情報にかなり振り回されていた。
この情報を信じてしまったのである。
ネット上での情報で気を付けなくてはならない事,それは情報の信頼性は保証されないということ。
情報を信じるかどうかは,その情報を見た人自身が判断しなければならないのだ。
それなのに,そんな事はすっかり忘れて,メーリングリストの情報に振り回されていた。

Beanには,今の時点でC社から何の連絡も無いのである。
メーリングリストの情報によれば,面接のあったその日に連絡が無いのだから,ダメだったという事になる。


いままで受験した企業の志望順位はつけないようにしていたのだが,ここにきて,切羽詰ってくると本音が出てくる。
自分がどの企業を本当に最も志望していたか分かる。
この時点で県内だったらS社,県外だったらC社を最も志望していた。
でも,かなり必死になって関東方面まで就職活動をしたので,何としても関東方面の就職先に決めたかった。
それだけではないが,C社に就職先が決まると,いろいろな意味でベストであるような気がした。

とても冷静に考えられる状況ではなかった。
C社に本当に落ちた事になると,精神的ショックが大きそうだった。
頭はパニック状態だった。



5月24日(水)

C社 内々定通知

この時点で,内々定が2社,選考途中が3社だった。
内々定をもらったB社は6月中旬までが返答締め切り。
同じく内々定をもらったNS社は5月31日が返答締め切り。
選考途中のS社は返答期限が6月の初め。
NU社は選考結果待ち。
C社は(メーリングリストによれば)かなり望み薄な,結果待ちだった。

C社の結果は,来週の水曜日まで連絡が来なかったら,ダメだった事が確定する。

悶々とした毎日が続いていた。
どの会社に就職先を決めるべきか。
返答締め切りは迫っているし。
自分の将来の事だというのに,嫌になってくる事さえある。

なにごとも手につかず,物事がいっこうに進まない事態になっていた。


夜10時半。
学校から自宅に帰ろうと思って,車に乗った。
すると,交差点を曲がったところでPHSが鳴った
「げっ!車止めなくちゃ!しっかし,今ごろわざわざ誰だろう?」
なんて思いながら,慌てて車を端に寄せて止め,電話を受けた。
「はい,もしもし」
「もしもし,こちらC社人事担当のものですが・・・・」
!!!C社の人事担当者からだった!!!
人事担当者はBeanに内々定を出してくれるというのである!
Beanは内々定にすぐさま同意した。即答だった。
メーリングリストの情報を信じきっていたので,内々定がもらえると分かった瞬間,とてもうれしかった。
あまりのうれしさに,大声で返事をしていたら,逆に人事担当者に心配されてしまった。
「大丈夫ですか?」って。(^_^;)

そんなわけで,希望していたC社から内々定をもらう事ができたので,すぐさまC社に就職先を決めてしまったのだった。
全く迷いが無かったわけではなかったが,断る理由も無かった。

C社からの電話は,運転中に初めてかかってきた電話だった。


ちなみに,自宅に帰ると2件の留守電が入っていた。

1つはC社からの電話。
午前10時頃に入っていた留守電だった。
「連絡したいことがありますので,折り返し連絡を下さい。」
Beanは朝家を出たら,夜まで帰ってこないので,留守電の確認は常に夜になる。
C社にとってみれば,いつになったら連絡をよこすんだこの学生は!と思ったかもしれないが,留守電が入っていることを知る方法が無かったのだからどうしようも無い。

もう1つの留守電は,NU社からの連絡で,縁が無かったというものだった。
しかし,C社から内々定をいただいた時点で,NU社の選考結果はたいしたショックでもなかった。
万が一,NU社からの留守電のみで,C社からの連絡が無かったとしたら,考えただけでも恐ろしいが。



5月29日(月)

内々定辞退

C社からの内々定を承諾したので,他の会社については内々定を辞退しなければならない。
内々定辞退はなるべく早くした方がいいのは分かっているのだが,いざとなるとなかなか踏ん切りがつかない感じだった。

本当は,直接会社に出向いて謝罪しなければならないのだろうが,とりあえず電話をして様子を伺うことにした。

まず初めにNS社の人事担当者に電話をした。
しかし,担当者は出かけており,留守だった。
ひとまず応対した人に用件を伝えると,「はいわかりました。」と事務的な答えが返ってきた。
特に何も言われず,NS社への電話は終了した。

次は,B社。
この会社は人事担当者ではなく,取締役に連絡することになっていた。
しかし,取締役もまたあいにく外出中。
すると代わりに人事の方が応対してくださった。
用件を伝えると,「非常に残念ですけど,がんばってくださいね。」と言って下さった。
なんだかとても悪い事をしたなぁと思いつつも,電話を切った。

どちらの会社の担当者にも直接内々定辞退を伝えることができなかったので,お詫びのメールを書いた。



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