阿久悠さんが、ご逝去されました。
慎んでご冥福をお祈りいたします。
つい先日1ヶ月前、阿久悠さんの新聞記事を掲示版でとりあげたばかりです。
誠に残念です。

新聞記事ですので、その一部のみ報告します。
30年前初めての洋上女性大学を企画したお話が載っています。サブカルチャーのしっかりとしたプログラムが組まれているとはいえ2週間7万円の旅費を当時の女性が払える時代ではなかった。しかし、ニッポン放送の社長の支援により実現、都倉俊一氏、井上忠夫氏らとともに、新しい女性たちへのメッセージを発したいと考えていたという企画が成功した。航海中は外界から遮断され、精神衛生上よろしく歌あり、授業あり、ショーあり楽しく充実。しかし、「ジョニイへの伝言」に続く作品を仕上げるという大きな約束があった。完成したのは、月の降る新潟沖の航行中。都倉氏の弾くピアノに合わせて数百人の女性が合唱し感動したとの思い出が述べられています。
「ノストラダムスの大予言」がベストセラーとなり世相がざわざわしているとき、
金大中事件が起きる。「終末」よりさらにリアリティーのあるそんな時代に、「五番街のマリーへ」は抒情詩であったと述懐されています。









私にとって阿久さんは、スター誕生の審査員としての印象が非常に強いのです。
お洒落なコメントの都倉俊一さん、優しい歌のおばさん松田トシさんほか
森田公一さんや三木たかしさんなど、素晴らしい審査員の中で、いつも辛口のコメントでしたね。でも、真剣に原石を見極めるその眼は信頼される怖い存在でした。

もし、阿久さんがいなかったら、そして「ジョニイへの伝言」を書かなかったら、
私や、このページを見ているすべての高橋真梨子ファンの人生は変わっていたと思います。

阿久さんの最後のTV出演は、今思うと偶然見た、放送局は忘れました、BSだったか、若手のタレントが歌謡曲の歌詞を解説していて、やはり一世を風靡した司会者玉置宏氏の前説コメントの妙をはさんでにらみをきかしていた番組でした。つい10日くらい前です。
実は、とても元気のない声でしたので心配していました。私の知っている阿久さんではなかったのです。7/1の新聞記事も、ずっと連載してたものを読んでいるとご自分の軌跡も含めて
どこか冷たく客観的にご覧になっている筆調でした。

「ジョニィへの伝言」で真梨子さんをこの世に紹介し新しい時代の音楽をたくさん創ってきた阿久さん。そして、アイドル路線の大ブームを巻き起こし実は、ニューミュージックというジャンルを対極に生み、そして、高橋真梨子の独自の世界を間接に創造したのですね。

「教会へ行く」「時の過ぎゆくままに」阿久悠さんの作詞です。
阿久さんの作品は、今も生きています。輝いています。

心よりご冥福をお祈りいたします。



(2007/8/1)



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阿久悠さん 昭和ジュークボックス  「五番街のマリーへ」

記事/スポーツニッポン 2007/7/1に掲載

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