色は音色である 

片岡鶴太郎氏

2007/7/12 日本テレビ「トシガイ」

自分の年齢掛ける1万円を何に使ってもよい・・・貴方なら何に使うか。
毎週のゲストにこの問いを投げかけ、実際にその通りに行動してもらうという番組である。
長年の夢をかなえてもよいし、旅行でのんびりしてもよい。
ただそこには、日常の画面ではみられないゲストの素の心が垣間見える。

片岡鶴太郎氏は、いわゆる形態模写・声帯模写としての芸で一世を風靡した人気ものであった。
しかし、「他人のことを演じ、他人の笑う姿を演じている」自分は、本当の自分ではない、自分自身で自分を表現したいという理由で、30代で俳優の道に進む。また、プロボクサーというストイックな道を歩んだ。当時の鬼塚選手のセコンドで世界戦に臨むなど、その変貌振りは話題になった。その鶴太郎氏の述懐によると、しかし、その実現した夢も、30代終わりになり、鬼塚選手の引退、そして連続ドラマの終わりにより、なにかの孤独感にさいなまれたという。
そんな時、隣の家の庭に咲く花が、こんなに目だたないところにいるのにしっかりと存在感を持ち、そして心を癒してくれる存在、そして孤独感に共鳴してくれていることに気づく。そして、これが絵を描きたいという強い動機となる。

そして、40代以降は画家片岡鶴太郎氏である。「絵手紙」というジャンルでも、親近感を呼び起こしてくれた。ちょうど、氏が真梨子さんのCoupleを聞いた頃である。しかし、真梨子さんのコンサートのパンフレットに、どうして片岡鶴太郎氏のコメントが載っているのか、正直違和感があったことも覚えている。思い起こしてみれば、片岡氏の司会していたオールナイトフジのマンスリーゲストに、デビュー直後の久保田利伸さんが頻繁に出ていたし、そのバックコーラスのアマゾンズにいたのは、ヘンリーバンドのバックグラウンドボーカルで長年真梨子さんとツアーしていた斉藤久美さんもメンバーだった。だから、こんな不思議なつながりもあるのかなぁと思っていたのである。

しかし、SONG FOR YOUにもゲスト出演してお話しているように、業界のつながりというよりも、ARTの世界での出会いであり、われわれが真梨子さんと出逢った様に、片岡氏も真梨子さんの楽曲とその人生の転機に出会っているのである。

さて、片岡氏のやりたいことは、「貴船川の川床で好物の鮎を食べ、岩絵の具を買い求め、大和路で風景画を描く」という長年の思いの実現であった。
ライトアップされた貴船川の水の流れは、申し訳ないが「優美彩唱」のように感じられた。
そして、岩絵の具。天然の鉱物自然の産物から、素材を砕き粉末にすることで、様々な色彩を生み出す自然の色がある。牡蠣の殻の内側の白い部分にも、白の色調の段階がある。これが何種類もの白に分けられていく。色の種類として、いわゆる、朱とか浅葱とか、群青などという古来の色合いが表現できる絵の具である。しかも膠液で伸ばし、水を加減することでさらにいろいろと変化する。
氏は、京都の老舗の放光堂で、90色48万円の岩絵の具を買い求めた。


その岩絵の具を選んでいるときの言葉である。
ひとつの色は、いろいろな色とハーモニーを奏でて
音色になるんですよねぇ・・・・

色の音色。

そして、風景画。実は、前述の絵を描きたいというその動機を与えた花は、椿である。
片岡氏は、自然のもの、野菜や和鳥、和の花などを描いてきた。中には、京都の名勝である、善峰寺の25メートルに及ぶ、鯉の襖絵という大作もある。しかし、風景画は描いていなかった。それは、まだ自分の器や実力が、風景画を描く力量にないと思っていたからであったが、それは書かずして逃げていたということであり、そんなことはいってられない、新たな自分との戦いであり、自分探しであるという視点から、今回の撮影を機に風景画に挑戦したというのである。
「大和路が呼んでいる気がするんです・・・」という片岡氏の足取りは軽やかで、東大寺大仏殿から、大和路を散策し、構図のポイントを探し回っている。そして、見つけたのが、川をはさんで、薬師寺の塔を遠望できるのどかなポイントであった。(このあたりの風景と現物は、片岡氏のホームページで掲載されています。素晴らしい作品です。)

鬼怒川のアトリエで、岩絵の具を溶き、色を重ねていく片岡氏の姿に、真梨子さんのコンサートつくりのイメージも重なってきた。
ひとつの色、ひとつの真梨子さんの楽曲、そして、いろいろな色がハーモニーを奏でていくコンサート。こんなに純粋な片岡氏が真梨子さんのファンであることがとても嬉しかった次第である。
まさしく、真梨子さんのコンサートは、ARTなのだと・・・・・





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