貝あわせ
蛤は、形が栗の形をしているので、浜の栗として、勝ち栗にたとえられた。古来、貝の内側に絵を描いては、その美しさを競う雅な慣わしがあった。平安時代の末には、蛤の中に絵を描いては、右の地貝と左の出貝の絵柄をあわせる貝覆いの雅な遊びもあったという。
また、婚礼の調度品として、そしてお香のお道具としても重宝がられた。
真梨子さんは、9月の福岡公演で、「コバルトの海」の作詞の経緯を語られた。
育って旅立った街、アルバムBLUESetteの「家」でも歌われている故郷で語られたのも
何かの縁である。
詞のなかに 「空蝉 うつせみ」ということばがある。
英さんが、気になっていたフレーズである。
もとより、真梨子さんの歌には、「蟹のつめ」 「デルタ」という、時の流れと神秘的な空間そして、海辺での様々な思い (おそらく広島の海での思い) が描かれている曲がある。
コバルトの海がどこかはわからない。
たとえそれがハワイだとしても、そして心の中の擬似空間だとしても、その打ち寄せる波は、広島の海につながっていく。
そして、その波の音の中で、様々な思いが打ち消されては、また生への畏敬を感じていくのであろう。
このような偶然を線につなげて、勝手に必然と判断するのは早計かもしれない。
しかし、真梨子さんの世界を語るこのHPには、こんな不思議も訪れるのだ。
ちいさなことだが、これを邂逅というのかも知れない。
2007/9/27 MDF