MINE        1994 APRIL 轄u談社 
                   文/白江亜古氏 撮影/川部米雄
 

ただいま自分史書きかえ中!

と題された特集記事である。いつもの定型化された記事でもあるのだが、目に留まった部分がある。後日、真梨子さん自身が、映像の中でも述懐していたことなのだが・・・・

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ソロシンガーになって15年間、彼女はずっとコンサートを中心に活動してきた。多い時で、年100本ものステージをこなすのは、好きな道とはいえ、体力的にも精神的にもかなりハードなようだ。

「仕事に対する責任感が、私、強いんですね。それでねいっぱいのお客様の前で歌を歌ってる時に今私がここで倒れたら大変だよねとふと考えちゃうことがあったんです。すると、急にからだが堅くなって、手足がしびれて感覚がなくなっちゃって。脂汗がタラタラ流れてね。それでも無意識に歌ってたんだけど。」

どうやって持ち直したんですか?

「間奏の間、うしろを向いて、マイクスタンドで体を支えて"だいじょうぶ ! "と自分に暗示をかけちゃうの。そうすると、2コーラスからは普通になっている。(笑)」

そんなことが以前はしょっちゅうあったそうだ。いつも同じ歌の同じ場所を歌っているときにヘンになる


「精神的なものなのね。今はもう大丈夫なんですけど。それに今は。歌をやめようと思うなんて、自分だけのわがままだ。たとえ倒れても、一生歌い続けようと思っていますけど。」






撮影/川部米雄氏








「東京に行って何になるの?と聞かれて、タレントになると答えたら、父にワッハツハ笑われちゃったのね。何で笑うのよ! と怒っても、おばあちゃんたちに、おい、聞けよ。こいつ、タレントになるんだってと言って、笑いころげるばかりだった。あの時父はきっと、やめろと言いたかったんだと思うんです。どうせ音楽をやるのなら、人の心をつかまえる歌を歌え、と言いたかったと思う。でも、私の決めたことを頭ごなしに否定するような人じゃなかったから・・・・・。  
父が逝ったのは、それから一年後でした。」

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「タレントになる」ために住みこんだのが上大崎である。森岡月夫氏のご様子そして、おばあちゃんたちという言葉はこのインタビューでしか私は見たことがない。まさに、真梨子さんの自分史である。

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東京に出てきてプロになった時も 
ソロの歌手になった時も、彼と一緒だった。 だから、これからもずっと一緒。 
そういう運命だったんです、私たち。