musee

バスで西でも東でも出かけると伝言を残した彼女。
実はその姿に真梨子さん自身が投影されていたのだと気づくのは、まさに病床にお母様を残しながら、全国をツアーで動いていた真梨子さんに苦悩が訪れて初めてわかったことであった。その意味で、ファンは無力な存在である。

「Bonita」
明日は西へ流れてく 当所ない
大地の風は 安らぎを癒す場所

人生をキャンバスになぞらえたのだろうか
それとも、恋しい人が亡くなったのになぜか明るいメロディーで教会に行くヒロインは
教会の周りに museeばかりであることに ようやく気づく。
「Painter」表現されているアグリジェントは、故郷なのだろう。

かつて私はこのアルバムに対して
「蟹のつめ」 「デルタ」 「貴方と」が真梨子さんの生への根源的な問いと評したことがある。おそらく広島の海辺では素直になれるし、彼と彼女と私という関係が真梨子さんの親子関係であることは明白である。失恋の歌ではない。否、様々な人間関係をぼかしているから、奥の深い曲になる。
そして、人一倍寂しくて人一倍人恋しくて、いつも星空を見ていた真梨子さんがどうして多くの人を癒さねばならないのか

後年、「星の流れに」をカバーしたとき、
こんな女に誰がしたと真梨子さんが歌いあけるその瞬間が
とてもシニカルでとても切なく、私は思えてしまうのである。
その宿命・使命にも似た存在の存在性に、「貴方と」では
そういうアーティストの高橋真梨子としての存在(貴方)と向き合って生きていくと、広瀬まり子さん本人が述べているのである。
自分自身が「高橋真梨子」を構成している一員としての存在。
こういう表現は、95年から続く真梨子さんの自問自答へのある種の結論であった。

不思議だけれど 太陽に向かって 歩いて行けば解る
絶対 自分で自分の 影を踏めないの
だから自然に誰もが 前を歩いて行くのね
貴方のそばで私も やれるだけやるよ
そう 前向きになる
ずっと 生きてく 貴方と

この詞を、ヘンリーさんへのメッセージととるのが普通ではある。
これを自分自身に貴方と言っていると感じ取るのが、
MDF音楽館である。