2011/.4/2  MDF音楽館を再開するにあたって

2011/4/2  20:57

今も多く行方不明者の方がいる中で
不要不急のホームページのブログを再開することは
大いに悩みました。

おそらく、4/28のディナーショウについても協議がされていることと存じます。また、真梨子さんご自身も今後の音楽活動をどのようにされていくのか、どのような選曲がよいのか悩まれていることと存じます。

しかし、多くの真梨子さんファンがそうであるように
真梨子さんの歌の力は、人に元気を与えるものです。
もちろん、まだまだ食料や水が不足し、生きていくのが精一杯という方たちには、歌で人を癒すというのは、まだずっと先の時間で必要なことだと思います。
今は、まだ泣くことさえままならず、
頑張ってといわれるのが一番辛いという方たちがほとんどだと思うからです。
その中で、真梨子さんの愛や恋の歌をHPで表現していくことは
ある意味、人の倫を外れていることだと自覚しております。

今回あえて再開することにしましたのは、久しぶりの真梨子さんの曲を聴き
立ち上がれないほどの感覚に凍ったからでした。

それは、「far away」でした。
2008年のコンサートで、赤い愛の象徴として美化した曲のもうひとつの
聴き方が、私の体を縛り付けました。
もとより、この曲は、真梨子さんのお母様への野辺送りの曲です。
送る側の存在が、亡きお母様へ感謝の気持ちをこめて別れを伝える曲です。

しかし、その夜の「far away」は違いました。

そうこの曲は、いままさに思いもよらぬ命の危機が迫っているその瞬間
今までの人生や想いが走馬灯のようによみがえり
愛する家族に「さよなら」すら言えずに「暖かく見守っていくよ」と
心の底から絞り出すように語りかけた、送られる側の想いが
こめられている曲に聞こえてしまったのでした。
空間を去来する多くの魂が
そのように聞かせたのだと思います。

合掌。

光と闇をつなぐ曲。
思い出をセピア色の永遠に変えていく曲。

今年真梨子さんには、コンサートのエンディングで歌って欲しいと思います。
そして、アンコールのラストは、スポットライトだけで
「ランナー」を歌ってください。

もし、私が今言えることは、
このように、「生への畏敬」を語り続けることだと考えています。
生かされていることへの感謝こそあれ、不満を言う自分の小ささを
心より反省いたします。
「生への畏敬」あればこそ、そこに愛が生まれます。
マザーテレサの慈悲の心を歌で表現できる真梨子さんの世界は、
今の日本に必要な世界観です。

よって、華美なことは自粛しながらも
真梨子さんを応援し続ける記述を再開したいと思う所存です。
独りよがりとのお叱りを覚悟の上
皆様とまた何かの手助けをしていきたいと思います。






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