戯れの季節を残して THE SUPER PREMIUM SEAT

今回のタイトルの経緯は、真梨子さんがMCで語ってくれている。しかし、なぜ中心に位置する曲が
「浪漫詩人」であり、そしてまもなく演じられる曲が「真っ白いシャツ」なのか・・・・・

横浜は、真梨子さんが好きな街である。いろいろな歌詞に登場してくる街だ。幸運の女神が私に授けた席は、最前列1-1-37。
このナンバーを見たとき私はあることを考えた。


「馬車道」に泊まろう。
横浜まで1時間。終演後十分自宅に帰れる。しかし私は、「馬車道」に泊まることを自然に選択した。
『我蘭堂』に収録されている『誤解』にででくる馬車道とは違うがなんとなく横浜と真梨子さんをイメージさせる街並みである。

もともと、恋人のころから、真梨子さんのコンサートのあとにはちょっとお洒落な店で、コンサートの余韻を愉しんだものだ。それは現実の仕事やおかれている立場からは少しだけ離れて自分を見つめてもよいというようなことを感じさせる異空間であった。
そこにわくわくするような恋もあった。
雨上がりの街を、肩を寄せ合って歩いたこともある。
真梨子さんの「OVER」のあるシーンが浮かんでくる。私の心の中に浮かぶ風景の後ろで、真梨子さんがどこかで歌っていた。

1-1-37. THE SUPER PREMIUM SEAT。

その異空間を演出する「アーティスト橋真梨子」は、
見事に「橋真梨子」の世界を表現して見せた。

しかし・・・・
もう昔の真梨子さんではない。声質も声量も、私の知っている真梨子さんではない。
シャープなさびしさと、しかし目元に暖かいやさしさを感じさせるあの「AFTER HOURS」の頃のような真梨子さんではない。そこにいる「橋真梨子」は明るく健気で、一緒にコンサートを愉しもうよ!!っていう真梨子さんなのである。

視線にも視界にもほかのファンの方がだれも入らない1-1-37.
3メートルほどの目の前で、明るく踊る真梨子さんと、その空間を共有できた。
ヘンリーさんが、2メートル前で独奏してくれた。3階席の方には申し訳ない感覚である。

もうあのときの浪漫は歌えない。しかし、一緒にコンサートを愉しみたい。
コンサートに来た人が、「橋真梨子の世界の住人」となり橋真梨子(の世界)を構成する一員になって一緒にコンサートを楽しんでしまうのである。だから「浪漫詩人」であり、「真っ白いシャツ」なのだろう。
「浪漫詩人」は、異空間のこのコンサートの中でも、さらに光と影のシルエットで、私たちを昔へワープさせてしまう曲である。そして別の空間に、実は真梨子さん自身が消えていってしまう感覚にとらわれる。
恋に恋した時代はもう終わり。人としてもっと大切なもの、いたわりや愛情、そして慈しみ。こんなものをこの曲の構成で演出したかったのだろう。でもきっと、真梨子さんはこういうに違いない。「偶然、ただアップテンポにしたかっただけ。そんなに難しくないよ」って。これがまた真梨子さんでもある。

私はコンサートの余韻を、横浜の海色の風の向こうで愉しみ、真梨子さんの声を耳奥で聴きながら、
雨上がりの馬車道を一人歩いた。

中欧の町をイメージさせる街路樹や歴史的建造物。
そしてベージュのお洒落でちょっといい感じなビジネスホテル。
仕事とコンサートという異空間を結ぶそのホテルもまた、「自宅すなわち現実の世界」から位相を異にする新たな隔離された異空間であった。

私は家へ帰らないという選択をとって、真梨子さんの世界でまどろんだ。

仕事の都合や家族の了解をとってコンサートに来た方が多いと思う。コンサートという『戯れ』の空間を演じつづけ表現しつづけた真梨子さん。その年月もたち、恋に恋する絵空事の恋愛から、いつしか夫婦愛や親子の愛情、そして人としての愛情を表現するようになった。「絵空事の戯れ」の季節の後には、『本当』の自分自身を見つめる時間が残っている。
そんな真摯な人を真梨子さんは、「歌の力」で応援してくれているのである。

「far away」哀しい別れの歌。永久の別れの曲である。しかし、鳥瞰図のように大きな空から「生きることへの畏敬」を表現してくれる。新しい明るさを表現してくれる。そんな真梨子さんとヘンリーバンドのみなさんに誰よりも早く拍手したくてエンディンクで真っ先に立ち上がった。

それが1-1-37に座った「語り部」の使命であった。
これからも皆さんと一緒に、真梨子さんを応援していきたい。    
                                                      (2005/7/9)

会報2005/9 vol.35に掲載の写真 1-1-37のアングルに近い

THE MUSIX






..

.