two for nine

真梨子さんが重い扉を開けた「扉を開けて」の中で、真梨子さんとお母様との様々な出来事が書かれている。
われわれは、プライベートを応援しているわけではなく
オフィシャルな作品やコンサートを通じて応援しているわけである。
よって、このアルバムの中のいたるところに、真梨子さんの実際の失恋の出来事そしてお母様の野辺送りにあたっての新たな人間関係の変化が感じ取れる歌詞が多い。それは、それとして感じ取ればよいと思っている。取り立てて解説するものではない。
ただ、1998年の新宿東京厚生年金会館のステージで、前年の香港ツアーではあんなに元気であったお母様が、車椅子で来場されていたのを見て、お母様と全国を回る真梨子さんのことを心配したのをはっきりと覚えている。

タイトルはよく出来ている。ヘンリーさんは、違う解説をされていたと記憶しているが
明らかにこの数字の持つ意味はこうであると捉えたい。
真梨子さんのステージは、真梨子さんとヘンリーバンドで合計9名そして
真梨子さんとヘンリーさんで2名
そして一人だけ赤いi である。
それは真梨子さん自身である。

あえてこういうことに気づく私は、真梨子さんの世界を少し離れたところから、しかもそれ以上中に入らない距離で応援する衛星である。

全編に渡って、生への畏敬と死をテーマにしている。深遠な曲も多い。

2011年3月以降、このアルバムは聴きなおされると感じている。
それは、3週間ぶりに聴いた真梨子さんの曲の中に、凍りつく声を聞いてしまった経験による。以下に、blogで、掲載した記事を転載しておく。

2011/4/2  20:57

今も多く行方不明者の方がいる中で
不要不急のホームページのブログを再開することは
大いに悩みました。

おそらく、4/28のディナーショウについても協議がされていることと
存じます。また、真梨子さんご自身も今後の音楽活動をどのようにされていくのか
どのような選曲がよいのか悩まれていることと存じます。

しかし、多くの真梨子さんファンがそうであるように
真梨子さんの歌の力は、人に元気を与えるものです。
もちろん、まだまだ食料や水が不足し、生きていくのが精一杯という方たちには
歌で人を癒すというのは、まだずっと先の時間で必要なことだと思います。
今は、まだ泣くことさえままならず、
頑張ってといわれるのが一番辛いという方たちがほとんどだと思うからです。
その中で、真梨子さんの愛や恋の歌をHPで表現していくことは
ある意味、人の倫を外れていることだと自覚しております。

今回あえて再開することにしましたのは、久しぶりの真梨子さんの曲を聴き
立ち上がれないほどの感覚に凍ったからでした。

それは、「far away」でした。
2008年のコンサートで、赤い愛の象徴として美化した曲のもうひとつの
聴き方が、私の体を縛り付けました。
もとより、この曲は、真梨子さんのお母様への野辺送りの曲です。
送る側の存在が、亡きお母様へ感謝の気持ちをこめて別れを伝える曲です。

しかし、その夜の「far away」は違いました。

そうこの曲は、いままさに思いもよらぬ命の危機が迫っているその瞬間
今までの人生や想いが走馬灯のようによみがえり
愛する家族に「さよなら」すら言えずに「暖かく見守っていくよ」と
心の底から絞り出すように語りかけた、送られる側の想いが
こめられている曲に聞こえてしまったのでした。
空間を去来する多くの魂が
そのように聞かせたのだと思います。

合掌。

光と闇をつなぐ曲。
思い出をセピア色の永遠に変えていく曲。

今年真梨子さんには、コンサートのエンディングで歌って欲しいと思います。
そして、アンコールのラストは、スポットライトだけで
「ランナー」を歌ってください。

もし、私が今言えることは、
このように、「生への畏敬」を語り続けることだと考えています。
生かされていることへの感謝こそあれ、不満を言う自分の小ささを
心より反省いたします。
「生への畏敬」あればこそ、そこに愛が生まれます。
マザーテレサの慈悲の心を歌で表現できる真梨子さんの世界は、
今の日本に必要な世界観です。

よって、華美なことは自粛しながらも
真梨子さんを応援し続ける記述を再開したいと思う所存です。
独りよがりとのお叱りを覚悟の上
皆様とまた何かの手助けをしていきたいと思います。





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