第11回 東京音楽祭 世界大会 日本武道館1982/3/28                                

昭和57年の3月である。当時私は第1回からずっと見ていて、土居まさる氏の軽妙洒脱な司会を楽しみにしていた。土居氏と言えば、もともとDJであり、日本テレビの日曜昼に若者向けの番組を司会していた人気者であった。

東京音楽祭は、オーディションというか、まず国内大会に出場するためにスタジオ審査があり、得点の上位者が国内大会に進む形式だった。当時でもTVに出ない実力派シンガー、たとえば宮本典子さんのように、ニューミュージックとアイドル路線とは一線を画しているシンガーが画面に登場している。

真梨子さんとの出逢いを語ったように、人付き合いが不器用な学生時代をすごした私には、なんとなくぶつけるように歌う(こんな表現で真梨子さんごめんなさい)橋真梨子は特別の存在になっていった。

当時コンサートに行こうなんていうことは、まだ考えられなかった時代で、ここに掲載する、パンフレット類も後で入手したものである。

なんと、デイビー・ジョーンズが出演していた。泰葉さんと岩崎良美さんが出演していたのは覚えている。ただ残念ながら、ヘレン・レディが欠場した。審査は、コンテスト形式のようでフェスティバルであり、かなり多くのシンガーが賞賛されるお祭りである。

そして、東京音楽祭世界大会の目玉は、普段生では、まして日本のステージでは歌わない大物シンガーが、30分くらいのオンステージを繰り広げていたところだ。

アンディ・ウィリアムス  ハリー・ベラフォンテ バリー・マニロウ などビッグスターが毎年盛り上げていた。1982年は、アンディ・ウィリアムスであった。楽譜に目を通すために、めがねをかけたアンディに、うそでしょ?と土居氏が気軽に語りかけられる、緊張感とアットホーム感のあるステージだった。
第11回大会の大賞は、ジョン・オバニオン「きみだけのバラード」。
そして橋真梨子は、金賞であった。ここの経緯は、川上貴光氏の著書「橋真梨子 とびらをを開けて」(文芸春秋)に書かれている。

真梨子さんが、自分で歌いたい歌を、真梨子さんの表現方法で歌ったと言うことである。
それが、当時の真梨子さんには、様々な事情で、できなかったことなのである。
そして、この大会が、橋真梨子の位置、ステージをアップさせる契機になったことはいうまでもない。 

財団法人東京音楽祭協会



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優勝者(大賞)トロフィー






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