「空蝉(うつせみ)」
コンサートのみで歌われている「コバルトの海」、この曲を川口で初めて聴いた時、
気になった歌詞が「空蝉(うつせみ)」でした。
源氏物語の巻名・登場人物名でもあるこの一言が入っている新曲ってどのような歌だろうと。
その後数回のコンサートで歌詞全体をほぼ聴き取ることが出来たのですが、
9月の会報でその全容はっきり知ることが出来ました。
「コバルトの海」は、内容的に「far away」に似ていると感じました。
「コバルトの海」の「無限の旅へ・・・」、「far away」の「無限の魂・・・」。
そして「コバルトの海」の「空蝉(うつせみ)・・・」、「far away」の「瞬間(とき)・・・」、
「空蝉」は直訳的には「蝉の抜け殻」ですが、「この世」「現世」という意味によく解されます。
「うつせみ」は元は「現身」(うつしみとも読む)で、「空蝉」は当て字から発生した語彙だと思われます。
そして「蝉の抜け殻」の意味から、「はかなさ」、「むなしさ」などを連想させる言葉でもあります。
一方、「瞬間」も同じような意味合いに受け取れるのです。
ある作家が言っていました。
「人生は今という瞬間の積み重ね、これが一生。そしてこの一生も大宇宙の営みからみればまた瞬間に過ぎない」と。
そして福岡公演の初日、MCで真梨子さんはこの作詞の所以を話してくれました。
この詩は、お母さんの前向きな・ポジティブな生き方・生き様から生れたと(ちょっと哲学的な詩ですが、とも真梨子さんは話されていましたが)。
「空蝉」も「瞬間」も、両曲の根底には人生の「はかなさ」を表現していると、私は感じます。
ただ「far away」が、「瞬間を超えて貴方に愛されている」で締めくくられているのに対して、「コバルトの海」は、「希望へと舞い上がれ」で終っている。
「far away」は、亡き母上への鎮魂歌であったが、「コバルトの海」は人生のはかなさを感じたその死を乗り越えて、母のように前向きに生きていこうということを語りかけているように私は感じます。
それは真梨子さん自身を支えてくれている多くの「恒久的なファン」に対して、これからも歌い続けると。
よく充電と称して、音楽活動を一時休止するアーティストがいますが、真梨子さんはひたすら歌い続けている。
私は、歌だけではなく、そうした真梨子さんの生き様にも共感して、コンサート会場に足を運ぶのです。
備考/ 文章は、mary' toursのBBSに投稿されたものをお願いして加筆していただきました。レイアウトはMDFの判断でデザインしました。写真は、method(ビクターエンタテインメント株式会社)のブックレットより、素敵なモノクロの写真(永遠の瞬間をイメージさせるもの)を添付しました。(MDF)