河合メンタルクリニック


愛さまざま 〜七夕そしてオルフェウスの琴〜

 沖縄を除いてはまだまだ梅雨の最中ですが、7月と言えば七夕祭りです。七夕の織姫と彦星も天の川もまだこの頃には東の空に低く、その上雨の多い季節なので、七夕祭りは旧暦にこそ相応しいと言われますが、たしかに8月7日仙台の七夕祭りの頃は天の川も天高くほぼ南北に流れて織姫星は天頂近くにあり、梅雨もすっかり開けて年に一度のデートにも心配はいりません。

 夏の星空の中心はこの織姫星(こと座のベガ)、彦星(わし座のアルタイル)、そして二人の間を翼をひろげて橋渡しをしているような白鳥座の尾にあたるデネブの三つの一等星がつくる夏の大三角です。春、冬の大三角がきれいな正三角形であるのと比べるとややいびつではありますが、デネブとベガを結ぶ線でこの三角形を折り返すとアルタイルが北極星にほぼ重なるという便利な所もあります。また宇宙全体の動きに伴って太陽系も位置を変えていることから、12000年後にはベガが北極星になると言われています。

夏の北の空

(図をクリックすると拡大したものを表示します。)

 さて七夕の伝説ですが、小さい子供向けには二人が結婚した後怠けてばかり居たので天の川の両岸に別れさせられたというお話になっていますが、もともとは身分違いの結婚によって引き離されていたのです。中国では天帝の娘と地上の牛飼いの若者で、羽衣伝説のような形で夫婦になり、天の両親にいったん引きはなされたあと、牛飼いが忠実な老牛の言葉によって死んだその牛の皮をかぶって天に昇り、天帝の許しを得たといいます。日本の「御伽草子」では反対に天の一族である天若彦と長者の娘という組み合わせで、意地悪な二人の姉、天の王に認められるための数々の試練と、丁度『美女と野獣」やギリシア神話の「エロスとプシュケ」のような話になっています。七夕祭りは中国では唐の時代から盛んになりました。「七月七日長生殿 夜半無人私語時 在天願作比翼鳥 在地願為連理枝。」皇帝と絶世の美女との愛の誓いもまた七夕の夜のことであったようです。

 所替わって西洋では、琴座の琴に関して悲しい愛の物語があります。七夕のように再会が約束されていない救われない物語。オルフェウスとエウリディケの物語は世界最古のオペラの題材となりました。先月はアポロンの息子として医神アスクレピオスが登場しましたが、今月はもう一人の息子、楽人オルフェウスです。アポロンが音楽と医学を二つながら司っていることは、大昔から「音楽療法」にあたるものがあったのではないかと私は考えています。オルフェウスが父に譲られた琴をかき鳴らすと、猛獣さえも足下に腹ばい、谷川の流れも木々の葉ずれも音を止めて聞き入ったと伝えられます。そのオルフェウスは美しい妻エウリディケを毒蛇に嚼まれて失いました。彼はよみの国の入り口を探し当て、地下への道を下りていき、琴の音によって地獄の川の渡し守の心をも動かして川を渡してもらい、よみの国の王の前に進み出ました。(「宝を守っている怪物をなだめるには歌を聞かせてやればいい」というモチーフは今大評判の「ハリーポッターと賢者の石」にも出てきます。)ここでも琴をひきながら必死に妻を返して欲しいと訴えますと、妃ペルセフォネーの涙ながらのとりなしもあってついに王プルートーンの心も動き、1つの条件のもとにエウリディケを返してくれました。その条件とは地上に出るまで妻をふりむいてはならないというものでした。しかし「九十九里を以って半ばとせよ」と言うは易し、人の心の弱さと言うものでしょう、地上の光が見えたとき、喜びのあまりオルフェウスは後ろを振り向いてしまい、とたんに妻の姿は煙りのように消え失せました。引き返してどれほど必死に頼んでも、もう渡し守は舟に乗せてくれませんでした。絶望したオルフェウスは、琴をひきながら野山をさまよううち、酒の神バッカスの祭の行列に出会い、その喧噪の中で命を落としたのでした。川へ投げ込まれた形見の琴は神々によって星座に挙げられました。ギリシア一の琴の音もオルフェウスを絶望から救うことはできなかったのです。

 余りにも人の心が荒んできた昨今、傷つけられた心にとって音楽は無力であるかもしれません。それでも夏のおわり、虫の音が聞こえはじめる頃天頂の琴を見上げると、たとえ無力であろうともそれを求め、そのひとときを楽しむ人のある限り、細々と自分なりの「音楽療法」を続けていきたいと私は思うのです。

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