河合メンタルクリニック


天北なお動く 〜千石船の夫婦〜

 冬の星、夏の星という言い方は、大体南の空に向いて見える星を指します。しかし北の空の星は周極星と呼ばれていて、地平線に沈まず一日に一回天の北極を中心にまわっているために、一年中見ることができます。北の空の星といえば誰でも頭にうかぶのは北斗七星と北極星でしょう。北斗七星の大きなひしゃくは洋の東西を問わず水を汲むひしゃくと考えられていたようで、ロシアにも、日照り続きの中、病気の母親のためにようやくひしゃく一杯だけ汲んできた水を、行き倒れの老人に与えた貧しい少女が、神の姿に戻った老人からたくさんの金貨を恵まれるという心温まる昔話があります。北斗七星から図1のようにして北極星を探すことができることはよく知られていますが、図2のように秋から冬にかけては北斗七星は地平に低くて見えにくく、代わってカシオペア座によって北極星を探すことができます。3月、南の方から花のたよりが聞かれるころになると、宵の北東の空に北斗七星が柄を下にして「今年も私の番が来た」と言わんばかりに堂々と立ち上がってきます。それで何となく北斗七星、そしてそれが大部分を占める大ぐま座は春の星とされることが多いのです。

北極星の探し方 図1
北斗七星の位置

図2

(図をクリックすると拡大したものを表示します。)

 さて北極星は古い時代から航海の目印となってきました。ついに大航海時代には北極星の見えない範囲にまで人類の版図は拡大されましたが、北半球の近い範囲の交易や漁師たちにとって、北極星が目印であったことに変わりはありませんでした。北極星が真北にあって動かないとされていた頃について、あまり知られていない日本の伝説を今月は紹介したいと思います。江戸時代の大阪に、日本海の北回り航路で蝦夷地へ昆布やにしんの買い付けに通っていた桑名屋徳蔵という千石船の親方がありました。徳蔵はいつも子の星(ねのほし)つまり北極星を頼りに船を北へ進めていたわけです。ある夜留守を預かる徳蔵の妻は、機織りをしながら時々夫の身の上を思っては北の窓の子の星を見上げました。すると子の星が窓の格子に隠れて見えない時があり、子の星は動くのではないかと疑いを持ちました。そこで今度は眠らないように水をはったたらいの中にすわって一晩中子の星を観察して、間違いなく動くことを確かめたといわれています。北極星もまた天の北極そのものにあるわけではなく、わずかに離れて小さな円を描きながら回っているのでした。帰ってきた徳蔵によってこの事実は船乗りたちの間に広まっていきました。学問があるとは思えない市井の一女性の、愛情に裏打ちされた科学的な観察眼に背筋ののびる思いがすると共に、北極星が動くことを発見した人の話は日本にしか伝えられていないことは誇らしいことと言ってよいのではないでしょうか。

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