河合メンタルクリニック


銀河鉄道の旅 〜賢治の星空〜

 8月27日に大接近した火星は、空に昇るのが早くなりまだ南に煌々と輝いています。8月の中旬からはずっと雨と低温で夏はこのまま終わるかに見えましたが、雲の多かった話題の27日を過ぎて8月末から一転、9月半ばまで厳しい残暑が続きました。しかし火星と並んだ仲秋の名月も過ぎればやはり朝夕は涼しくやっと「夜の秋」の風情となりました。

  涼しき夜風は 軒端を吹きて  ほのぼの銀河の流れは白し  

  こと座にペガスス 白鳥星座  更けゆく夜空に またたき冴ゆる   

 ほんとうは賛美歌「いつくしみふかき友なるイエスは」のメロディーですが、夏の星空の歌としてこんな歌詞もついています。7月に述べたように秋は天の川が高く流れ、今頃は七夕の星たちもまだ天頂近くにあります。秋の主役たちはまだ寝覚めがわるく、秋のペガススと夏のこと座、白鳥座が輝きをきそうこの季節、今月は秋の季語でもある天の川をめぐってみたいと思います。

  あかいめだまのさそり  ひろげた鷲のつばさ

  あおいめだまの小いぬ  ひかりのへびのとぐろ

  オリオンは高くうたい  つゆとしもとをおとす

 

  アンドロメダのくもは  さかなのくちのかたち

  大ぐまのあしをきたに  五つのばしたところ

  小熊のひたいのうえは  そらのめぐりのめあて

 2月にご紹介したかもしれませんが宮沢賢治の「星めぐりのうた」です。前は記憶をたどって書いてしまいましたが原文はこんなにひらがなが多くて優しいのです。彼はこれに曲をつけて自作の戯曲の中でも歌うようにしました。アンタレスはさそりの心臓だし、北極星は小ぐまのしっぽの先だし、と実際の星座とちがうのは事実ですが、作者は承知の上で天文学よりも詩人の感性を優先させたと見る方がいいのかもしれません。「銀河鉄道の夜」を彼の代表作の1つとすることにはあまり異論はないでしょう。賢治は中学生の頃からたびたび岩手山に登り、鉱物への興味を持ち始めました。それは地質や星への関心につながり、のちの農業指導の仕事につながっていったわけですが、作品の中の事物の色や質感のたとえにはよく鉱物が使われています。「銀河鉄道の夜」の冒頭、主人公ジョヴァンニの学校の授業で「銀河系は凸レンズの形をしていて中ほどに地球があり、レンズの周辺のガラスの厚い方向にたくさんの星が集まるので白い川のように見える」と説明されますが、当時は銀河をこのように理解されていたのでしょう。光を捕らえる普通の望遠鏡では2万光年までの距離が限界とされており、以前は銀河系は直径4万光年、レンズの厚さ8000光年とされていましたが、現在電波による観測ではその倍以上、直径10万光年、厚さ1万5000光年とされており、太陽系もその中心ではなく中心から3万光年の距離にあるということです。

 

(図をクリックすると拡大したものを表示します。)

 上から見た銀河系はうずまきの形をしてハローと呼ばれるうすい高温のガスの球の中にすっぽり入っています。ハローの中には銀河系と同じ頃に生まれた古い星の集まりである球状星団が分布しています。これに対してうずまきの中には生まれたばかりの若い星の集まりである散開星団(すばるなど)や、星間物質とよばれるガスや宇宙塵の集まったガス星雲(オリオン大星雲など)があります。それでは地球から見える天の川はどのようになるのでしょう。天球上の天の川は図のように表せますが、地平線より下の部分は見えず半分しか見ることはできません。さて「銀河鉄道の夜」の中で列車が走るのは天の川に沿って白鳥座(北十字)から南へサザンクロス駅(南十字)までです。まわりに見える実在の星はわし、こと、いるか、さそり、ケンタウルス、南十字、石炭袋、プレシオスの鎖(プレアデス星団=すばる)、そしてマゼラン星雲までが出てきます。花巻では到底見えない南の星たちは北国の詩人にとって憧れの対象であったことでしょうし、南十字はいわば終着駅となっています。天の川の岸にすすきやりんどうの花が見られ、車内でりんごを食べ、とやはり季節は今頃でしょう。

(下の図のみ、図をクリックすると拡大したものを表示します。)

 あらゆる乗り物の中で人格を感じられるもの、そして夢を託せるものといったらSLと船ではないでしょうか。どちらもスピードという点では時代遅れではありますが、「見ているだけで幸せ」というファンがあるのはこの2つでしょう。アニメ作家松本零士氏は「宇宙戦艦ヤマト」と「銀河鉄道999」でそれぞれに宇宙空間を飛ばせてしまいましたが、はるか以前にSLに空を飛ばせたのは宮沢賢治だったのです。童話といわれながら子供には難しく、未だ修養が足りないためか何度読んでもつかみきれないのがこの作品です。解釈、研究された方の著書は数多くありますが、中心となるテーマは「自己犠牲」、「自分だけではなく全ての人のための幸福」といったところではないでしょうか。いじめられていた主人公が最後には星になるという「よだかの星」がさらに高められ、深められたのがこの作品であるといわれています。よだかは確かに「他の虫の命を奪って生きている自分」という宿命を嘆き、最後は自力で星の世界に向かいましたが、それはあくまで「自己の救済」に力点がおかれていました。それに対して人類愛ともいうべき利他の心から自己を捧げた例として、「グスコーブドリの伝記」とともにこの作品をあげることができるでしょう。

 「銀河鉄道」では2つの例が語られます。1つは途中で乗ってきた幼い姉弟と青年家庭教師の乗客です。沈もうとするのに救命ボートの足りない船の上で「他の子供達をどうしても押し退けることができず船に残った」と語る青年。これは明らかに1912年のタイタニック号の事故を踏まえています。この年宮沢賢治は16才、短歌を作り仏教に心を寄せ始めた多感な年頃でした。この事故を彼がその年齢で知ったのかはわかりませんが少なからぬ衝撃を受けたことにはちがいないでしょう。仏教にも「捨身」(しゃしん)という考え方があります。法隆寺の玉虫の厨子の扉にあるように、釈迦は前世で飢えた虎の親子に自分の身を与えたというのです。賢治自身は最後まで法華経を信奉する熱心な仏教徒でしたが、このキリスト教国を思わせる舞台設定の作品をみても、彼が西洋の学問と同時にキリスト教に触れていたのは確かであろうと思います。さて天上の入り口であるサザンクロス駅で青年と姉弟が下りていく前、ジョヴァンニは寂しさから引き止めようとしますが彼らは「たったひとりのほんとうの神様」に従って下車していきます。そしてまもなく一緒に乗っていたカムパネルラもいつのまにかいなくなってしまいます。そしてもうひとつの自己犠牲。夢からさめて夜露の丘から星祭りの町へ戻ったジョヴァンニはカムパネルラが舟から落ちた級友を救おうとして溺死したことを知ります。しかもその級友はいつも先頭に立って自分をいじめていたのであり、カムパネルラはそれとなく自分をかばっていてくれたのでした。

 賢治はみずからもチェロをひき、一時現在のN響の前身であるオーケストラのチェロ奏者に指導を仰いだといいます。そしてたとえば沈み行くタイタニック号の甲板に響いた賛美歌306番「主よみもとに近づかん」をはじめ、背景に高く、また低く音楽の鳴り響く「銀河鉄道の夜」もまた思えば私の音楽療法の原点でした。その後ジョヴァンニはどう生きたのでしょうか。彼はそれまでと同じように病気のお母さんの世話をし、活版所で働きながらお父さんの帰りを待っていただろうと私は思います。そして「あらゆるひとのほんとうのさいわい」を求めて、いつかカムパネルラに再会する日までつつましく、しかし一歩一歩力強く地上の旅を続けていったのではないでしょうか。なぜなら「三次空間」のものでもなく、「不完全な幻想第四次の銀河鉄道」のものでもない「どこへでもいける切符」を一度は手にしたのですから。

 

 引用は角川文庫1735「銀河鉄道の夜」に拠っています。  

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