河合メンタルクリニック


茶摘み

1 夏も近づく八十八夜

  野にも山にも若葉が茂る

  あれに見えるは茶摘みじゃないか

  あかねだすきに菅の笠

2 日和つづきの今日この頃を

  心のどかに摘みつつ歌う

  摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ

  摘まにゃ日本の茶にならぬ

 

 桜も散り若葉をわたる風も薫る時節となりました。時々嵐が吹き荒れたり八十八夜の別れ霜などといって急に気温が下がったりしますが、一年中でいちばん気持ちのいい、光とそして何がなし希望に満ちあふれた時節でもあります。この歌は本来労働歌ですが今では手遊び歌として有名ですね。拍手とそして向かい合った相手と右手どうし、左手どうしを交互に打ち合わせる動作はけっこう複雑で、就学前の幼児にはむずかしく、従ってお年寄りのリハビリには最適なのです。指鼻指試験と言って小脳の機能をしらべるのに、検者の人差し指を上下左右に移動して患者さんに人差し指で自分の鼻と交互に指してもらうというテストがあるのを思い出します。

 さて最初の拍手のときはまだ歌詞が始まっていないので、ここは休止符であることがわかります。つまりこの曲は弱起なのですが、日本の民謡や演歌などによくみられるように、七五調の歌詞には弱起のリズムが合うのでしょう。さらには各行の終わりにはトントンと互いに両手のひらと甲をうちあわせますが、この手のひらを反すのも小脳の検査に出てくる動作です。

 

ちーか

はーち

じゅ

トン

トン

やーま

わーか

トン

トン

みーえ

 このリズム、近頃は滅多に出会わなくなりましたが、ちんどん屋さんのリズムを思い出しませんか。

 手遊び歌というのは日本独特のものというわけではないようです。20年以上前の旅行のときですが私はイタリアはヴェニスの裏町を歩いていました。ご承知のようにヴェニスの町は運河が道路の役を果たしていて、ふつうの町のバスの代わりに 大きな遊覧船のような乗合船が行き交い、水路の交差点には船のための信号もあるというぐあいですが、近所の行き来のためには車も通らない細い裏路地も少しはあります。有名なサンマルコ広場から駅までを私はこうした路地を歩いて戻ったのでした。頭上から澄んだ小鳥の声がすると思ったら、あちこちの軒端には船乗りたちのおみやげだったのかカナリアのかごが下がっているのです。私のまわりにカナリアや文鳥を飼っている家があったのは昭和30年代のころですからもう時を越えて懐かしい過去の町に迷い込んだようでした。街角のごく小さな広場を通りかかったとき、7〜8歳くらいの女の子が二人向かい合って何か歌いながら手拍子をとり、また互いの手を取り合って振ったり打ち合わせたりしていました。「茶摘み」にもどこか似た動作でした。歌の国イタリアですが朗々と歌い上げるオペラのアリアやカンツォーネばかりではなく、こんな楽しい手遊び歌に出会うことができたのは何という幸運だったことでしょう。力及ばず歌詞を聴き取ることも、メロデイーを譜に書き取ることもできなかったのは本当に残念でした。いくつかの動作を結びつけて協同運動をまとめるのは小脳の働きです。手遊びはお年寄りにはリハビリにもスキンシップにもなります。ですから反対に幼い子供には、動作を統合する練習に手遊びをさせてほしいのです。遊ばにゃ日本の子にならぬ。七五調もまた万葉集から都々逸まで日本人のリズム感の土台になってきたのではないでしょうか。

 

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