河合メンタルクリニック


癒しとしての子守唄・童謡 「七つの子」

 

 お年寄りの施設でのレクリエーションというと、大きな部屋に集まっての簡単なゲームや歌といったものがよく取り入れられています。そこでは、いわゆる“なつめろ”と呼ばれる一群の歌が用いられることが多いのですが、それは果たして単にお年寄りもよく知っている、好みに合う歌だからというだけの理由なのでしょうか? 私たちの音楽のセッションもまた、初めははそのようなレクリエーションの形から出発しました。

 誰でも幼い頃に子守唄や童謡の思い出は持っているでしょう。ここで人の一生を音楽との関わりという点からながめてみることにします。

 胎内にある時から人は外界の音に反応していることが、近年超音波診断装置の普及につれてわかってきました。名バイオリニストのレオニード・コ−ガンの息子は初めて聞いたはずのある曲を知っていると言って周囲を驚かせたそうです。それは胎内にあった頃に父の演奏会のプログラムにあったもので、毎日父親の練習を聞いたためとしか考えられないといいます。

 したがって胎教として母親が聞いた曲は同時に胎児も聞いていることになります。そこでついでのことに何かを教え込もうなどとはやる人たちもあるようですが、まずはゆったりと話しかけてやるくらいがよいでしょう。

 生後母子関係が成立する過程で、人は初めて子守唄や童謡と出会います。子供が音楽に最初に出会うとしたら、それは子守唄ではないでしょうか。“眠気”とは心地よく抗しがたいものである一方で、子供にとっては未知の世界へ独りで旅立つことへの潜在的不安もあります。乳児期前半から」幼児期にかけての夜泣きは近頃の住宅事情では深刻な問題です。

 二歳頃からの眠気を伴う“日暮泣き”は、自律神経が夕方になると不安定になるためと考えられています。しかし夕食の支度に忙しい母親にはたまったものでありません。つい少しいらいらして子供に「どうして泣くの」といいたくなります。

 老人ホームの音楽のセッションのとき、「七つの子」をバイオリンで弾くと、お年寄りの間から期せずして歌声がおこります。

 これは自分の幼い頃というより、我が子の小さな時をふと思い出しているのかもしれません。冒頭で「からす なぜ鳴くの」とからすに呼びかけているように思えますが、実はこれは母と子の対話なのです。

母「あれ?からすが鳴いているよ。からすはどうして鳴くんでしょう?」

子「からすはどうして鳴くの?」

母「からすは山にね・・・」

 「かわいい かわいい」とゆっくりくり返すうちに子供は少し眠くなってきて落ち着きます。母親も安心して仕事にかかれます。

 以前、英会話学校のCMでは「なぜ鳴くの」を「Why do you cry ?」と訳してしまっていました。これでは「なぜ鳴くの?」とからす自身に聞くことになってしまいます。確かに一般にはそう解釈されやすいのかもしれません。それでも帰宅途中に、からすに英語で問いかける自己の向上に励む実直なサラリーマンの姿は好感をよんでいましたが、このごろ自分を磨いても追いつかないほど不景気になってしまったせいか、このCMがなくなってしまったのは残念な気がします。ただ「lovely」という単語をこういうときに使うことを教えられたのはよかったのですが。

 もう大分前のことになりますが、「からすの勝手でしょ」という替え歌が世に広まりました。大人だけならよいのですが、元の歌の本来の味わいも知らない子供たちまでがブラックユーモアの意味も分からずに歌うようになってから、世の中がおかしくなり始めたような気がします。昨今子供のいじめ自殺やナイフによる殺傷など殺伐とした事件が起こるたびに、学校では「命の大切さ」を説きますが、「命の大切さ」などという空虚な響きより、幼い頃にこうした歌を聞かされていたらと思わずにはいられません。

 ここで一つの古い記憶がよみがえってきます。松本清張の作品「球形の荒野」のラストシーンです。

 ヒロインが、長いあいだ音信不通で今や追われる身となった父親と思われる男を、寂しい海岸でようやく捜し出します。

 そして男の方から父子の共通の思い出に残る「七つの子」を歌いはじめるのです。

 

からす なぜ鳴くの

からすは山に

かわいい七つの子があるからよ

 

 二人は唱和しながら互いに親子であることを確認し、互いの思い出をこの古い歌に託しながら名乗ることなく和解し、別れを告げるのです。

 ヒロインは歌いながら、これは自分が幼稚園のころに習い、母と一緒に声を合わせて死んだときかされていた父に向かって長い間歌っていたものだと気がついたのでした。

 

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