河合メンタルクリニック


精神科待合室の風景

神奈川県医師会報2005年11月号「我が開業奮闘記」


 ミレニアムにメンタルクリニックを開業しました。患者さんとの忘れ得ぬ出合いの一コマ、一コマの連なりで早五年が過ぎようとしています。ここに開業当初のエピソードを二、三記してみたいと思います。

 待合室の植栽をあれこれ考えたいたところ、通院していた初老のインド哲学の研究者は、「いっそ、うっそうと茂る緑のジャングルにしたら」と提案してきました。現地での生活も経験しており、サンスクリット語にも通じ、滞在先の研究所でパソコンを機関銃のように打ちまくり何冊もの難解な哲学書をものしている彼にとっては、心象の風景としてベンガル虎でも棲息しているほうが憩いの場として必要だったのかもしれませんが、私たち凡人には手の届かない世界です。彼が心底から癒されるのは診察室の場ではなく、彼の想念の中、かつてのインドの思い出の中ではなかったでしょうか?

 部屋の一隅に、幼稚園児による画用紙いっぱいに描かれた一本のしだれ桜のクレヨン画を架けたところ、老年の元機織り職人の患者さんが、「この枝振りの勢いの良さから、この桜はどこか広いところに植わっているのではないか」、と看破してきました。実はこのエピソードに先立って、幼稚園児の通っていた絵画教室の先生がこの画を観て、わざわざこの桜を見に行ったという事実があります。もしかして彼女も画によって機織り時代に培われた感性を揺り動かされ、おのずと自己表現に至ったのかもしれません。

 音楽療法に携わる者として、待合室のBGMに宮沢賢治の「セロ弾きゴーシュ」の語りと音楽を流していたところ、ショパンを弾く詩人の患者さんがそれに呼応して自然と話がその方面に弾んでいきました。ゴーシュのひたむきな稽古に対してちゃちゃを入れるカッコーの登場は、ゴーシュにとって謎であるわけですが、筆者はそれに対して一つの解釈を試みました。「宮沢賢治は咽をからしてまで自ら納得のいく鳴き方を求めて止まないカッコーの姿を借りて、音楽という美の情緒的世界を越えた何かを求めている者を主人公ゴーシュのもとに現前させたのでは?」それに対して彼女は、「芸術性の果てしない探求、表現する者の精神的深まりが受け手の心に響く芸術性となって現れてきます。音楽とは音楽をする者自身の内なる音楽的成長を通じてのみ、その実現をはかることが可能になると彼は言いたかったのではないでしょうか?」と応じてきました。

 気がついてみたら診察室の内と外でアンサンブルが鳴っていました。人と人の出会いで共鳴し合うこの響きを、今後さらに拡げていけたらと思う今日この頃です。最後になりますが、個人のプライバシー保護のために一部脚色を施したことをお断りしておきます。


○待合室を含めたクリニックの写真はこちら(画像多用のため、他のページと比べて表示に時間がかかります。)

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