河合メンタルクリニック


「モンスター」と呼ばれる人達

 横浜市医師会雑誌2008年5月号「ペンリレー 頼んでいい友」


 冷たい風の中にも日差しに春の訪れを感じられる頃、電車通勤の沿線の洒落た町並みの中に、ベビーカーを押した若い母親達の一団が目につくようになる。このベビーカー、最近は子供のアメニティーのためにか以前より大型化したので、保健所の玄関を埋め尽くしている時など一種の脅威に感じる程だ。荷物も積めるし子供も楽で眠ったりするので、母親達はゆったりとランチを楽しみながら談笑している。中には保育園に入れるためでなく、外出しやすいために粉ミルクに切り替える人もあるのだとか。母親が育児のために自分を全て犠牲にする時代ではなくなった。育児ストレスが近年なぜひどくなったかは別の問題として、気晴らしのための乳幼児連れの外出が市民権を得たこと自体は良い。ただ母親同士は話していても子供と目を合わせることはあまりなく、ややもすると子供も荷物の一部のように見受けられることさえある。用事で気がせいている時はなおさらで、電車に駆け込もうとしてドアに挟まれた事故も記憶に新しい。

 近頃モンスターペアレントと言われる人達が学校を悩ませているらしい。一昔前なら子供に病気などの特別な事情のある時のみ、親は担任に特別扱いを「遠慮がちにお願い」したものだが、今どきの一部の親達は、「掃除当番をさせるな」などと「理不尽な特別扱いを当然のように要求」するのだそうだ。昔の親なら、理由のない特別扱いが子供にとって良くないことを知っていたのである。一方医療の世界でも患者さんサイドからの理不尽な要求や、時には医療スタッフに対する物理的暴力の例も見られる様になり、医療スタッフや学校の教員の中に心を病む人が多くなってきていると言う。

 戦後の日本の「近代化」は東京オリンピック、石油ショック、バブルなどを経て、大量消費社会から情報化社会へと進んでいった。その中でおそらく必然的に「公共」よりも「何より自分」という風潮が強くなり、ことにバブルを謳歌した世代あたりがモンスターペアレントの世代に相当するらしい。

 バブルを過ぎたあたりからか、教育はサービス業の色を帯び始めた。親の求めただけのものを学校は与えてほしいというのである。ことに私立学校では進学率の向上などを求められる。医学部とて例外ではなく、高い授業料を払う以上国家試験に合格させてもらわなければと言われる。その程度ならある意味当然とも言えるが、公立校などで管理者側が教育を行政サービスととらえるようになったため、一般の教員の悩みはより深くなっているというのである。つまり児童・生徒を良き市民に育てるためには、学校の秩序を守らせることが必要なのだが、今はとにかくトラブルを起こさないことが優先され、学校が本来の役割を果たせなくなってきていると言う。こうした公共心の育たないままの児童・生徒が親になっていけば、次の世代はどうなることか恐ろしいことである。そしてこういう人たちも当然ながら医療を求めてくるのである。

 医療の場もサービス業になりつつある。10年余り前から「患者様」という言い方が始まったが、これは呼ばれる側にとっても評判がいいわけではないらしい。本来のサービス業でも対価に見合うサービスを提供するためには、老舗に見る商業道徳のように誇りに裏打ちされた厳しさを携わる者に求める。

 しかし教育や医療がサービス業になりきれない理由は、対価に見合うサービスを提供できない場合があるからである。学校がいくら努力しても児童・生徒も努力しなければ受験に合格はできない。医者がいくら不眠不休で頑張っても残念ながら治らない患者さんはある。そうしたケースが訴訟に及ぶことが多くなってきて、リスクの高い科には人手が集まらなくなってしまった。医者にできることは患者さんの「責任ある友人」、時には「戦友」になることくらいかもしれない。

 教育が個々人の欲求を越えた「良き市民の育成」をめざすものならば、医療のめざすものは何なのか。たとえば「国民の健康の増進」であるとして、今後のように生殖補助や再生医療などが実用化され、普及していった時、医療は個人それぞれの死生観を問い直すという厳しいものにならざるをえない。そのような時はもはやモンスターなどの出る幕はなかろうとも思えるのだが。

 しかし当面それ以前に、「公よりも何よりも自分」といった風潮に危機感を覚える向きからは、時計の針を逆に戻すかのような発言が時に見受けられる。たとえば道徳教育を強化すること自体は良いとして、「評価をする・しない」が議論されるようになり始めている。児童・生徒の自己規制のない学校につまらぬ校則が増えるのと同じで、このあたりでもう一度、「親たること」「人たること」の原点に立ち返って考え直してみることにしないと、かつて戦前に跋扈したような、より大きく恐ろしいモンスターの出現を危惧しなければならないかもしれない。

 省みると幸い我がクリニックには、未だモンスターは訪れていない。心優しくて負のエネルギーを他者に向けることなく、自身に内攻してしまうような人が心を病むということなのかもしれないと思っている。

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