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老人ホームのアンサンブル

 

 丘の上の看護学校での老人看護の講義を終えて老人ホームに向かうと、近づくにつれて打楽器の音がしだいに強くなってくる。日本の跳躍的な付点音符リズムに俗曲的(長唄風)な香りがするメロディが軽やかに合わさってくる。自ら演奏する人もあれば、車椅子の人や寝たきりの人でも手指足先で拍子をとり、またそのリズム感を体で受け止め、楽しさとして示してくれる人もある。

 入所者からなるアンサンブルの演奏であるが、ほかに精神科医、心理療法士、保母、寮母、看護婦、生活指導員、実習の看護学生、地元のボランティアの主婦らが参加している。このアンサンブル結成の経緯を振り返ってみると、いくつかの小さな川が合わさって大きな川ができるように、直接、間接を問わずさまざまな分野のひとびととの出会いによるものと考えられる。

 われわれの音楽活動は、隣接する病院の老人病棟に面した庭で、現在、オーケストラの指揮をしている心理療法士たちと進めている、鶏を飼い、草を刈るという農村風景の再現の廷長線上にあったのではないかと思う。いわゆる痴呆老人病練、リハビリ病棟では、カラオケやキーホードの伴奏で歌ったり、みなで音楽を楽しんでいた。

 一方、老人ホームに往診に行った際に行う看護婦たちとの話し合いは、いつしか、寮母、生活指導員をも巻き込んだケーススタディの時間となっていった。

 この2つの支流が合流した地点にアンサンブル結成の萌芽が見いだされるが、実現に至る過程には他の流れとの出会いが必要であった。

 「老人ホームで音楽をやるのならアンサンブルをつくったら」 「お年奇りが演奏できるように曲をつくってもらったら」「バイオリンも入れたら」等、現在も筆者が指導を受けているバイオリニストの助言を受け、われわれはその実現のために試行錯誤を繰り返してきた。彼女は作曲家一柳慧、石井真木の作品のパリ初演の大役を果たしたこともある、現代音楽に理解を示す人である。加えて、老人ホームの地域性を考えた民謡のリズム、メロディを取り入れた打楽器曲をわれわれの老人フィルのためにつくってくれた作曲家の協力がなかったら、アンサンブルは夢まばろしのものでしかなかったと思われる。四季を通じての谷川岳の麓での作曲家を囲んだわれわれの合宿から、これらの曲は生まれることになる。彼はドイツで日本の音楽に開眼したという。時に老人ホームに足を運んでは、利根川の川面に漂う霧に作曲の想を練っている。

 われわれの老人フィルは、のちに市民ホールの“檜舞台”を踏むことになるが、これは“雨降りお月さん”の作詞者、野口雨情の作である“竜ケ崎小唄”の保存会会長の発案によるものであった。彼女は聴衆にすぎなかったわれわれを舞台に引き上げてくれたが、自ら和大鼓を教え、毎年われわれの下稽古にも立ち合ってくれている。当日の写真撮影、そして日常の練習風景の記録には、県の写真展にも特選で入賞するセミプロ級のボランティアの写真家があたってくれた。被は一瞬のシャッターチャンスを狙って日ごろからホームの老人の生活と接している。

 われわれの音楽活動の現場を支えている老人ホームの生活指導員は、これらのかかわりを評して、「人生の達人と本物の芸術家が出会う瞬間だ」と言った。

 この音楽活動と入所者とのかかわりをQOLとの関連でみていくことができないか、数理統計学者が興味をもってきた。統計学は虚学であってはならず、実学であるぺきだという思いの実践であるという。その結果は三次元空間モデル上に表現されることとなり、今後の方針決定の指針となった。彼の趣味であるピアノが、出会いを演出したのであろうか。

 われわれの音楽活動に関心を寄せてきた詩人と、音楽を生活のなかに見いだす日本人の心性を取り込んだ宮沢賢治の童話「セロ弾きのゴーシュ」について語り合ったことがある。筆者は、「宮沢賢治は、喉をからしてまで自ら納得のいく鳴き方を求めてやまないカッコーの姿を借りて、音楽という美の情緒的世界を越えたなにかを求めている者を主人公ゴーシュのもとに現前させたのではないか」と述べた。詩人は、「芸術性の果てしない探求、表現する者の精神的な深まりが、受け手の心に響く芸街性となって現れてくる。音楽とは音楽をする者自身の内なる音楽的成長を通じてのみ、その実現をはかることが可能になると彼は言いたかったのではないか」とこたえた。彼女はショパンを弾いて、自らに音楽療法を施すという。

 気がついてみると、老人ホームの内と外でアンサンブルが鳴っていた。さまざまな分野で共鳴し合うこの響きを、今後さらに増していけたらと思う今日このごろである。

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