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音楽のセッションが成立するまで

 

 これは厳密な意味での歳時記ではない。しかし著者は病棟の中を季節の風が通り抜けていく気配をこのセッションを続けていく中で感じている。ここでは病棟の四季折々を音楽にのせ綴ってみた。

 資科は老人ホームのオーケストラの指揮をしていて病棟のセッションの司会も担当している心理出身の根本成子嬢(当院機能訓練室所属)と著者が、毎回のセッションの後、交互に書き綴ったノートに拠っている。

 

音楽を介してかもしだす人間模様

 ここでは振法が成立する根底にある治療スタッフとお年寄が、音楽を介してかもしだす人間模様を描いてみた。老人内科リハビリ病棟は、痴呆のあるお年寄を主とする老人病棟、老人ホームとはまた異なった雰囲気をかもしだしているはずである。

 今から数年前に遡るが、前述の二つの場での音楽のセッションもようやく軌道に乗り始め、治療スタッフー同も新たな場を求めていった。スタッフの側には病院・ホームを音楽で包み込んでいきたいという意気込みがあった。また新たな場で、それに見合った治療構造を構築していくという挑戦の気持もあったのかもしれない。

 病院の中を見渡すと、老人内科リハビリ病棟で日曜の午前、一部のお年寄が自発的に歌詞カードを持ち寄り、歌の時間を持っていた。

 当時、心理士は機能訓練室のスタッフとして作業療法、理学療法の訓練に励んでいるお年寄を中心に関わりを持っていた。彼女の立場はお年寄の入院時から作業療法士、理学憶法士、ケースワーカーと情報交換することで、最初から病棟の人間関係を把握できる役割を担っていたことになる。

 このような格好の場と適任のスタッフの存在で、自然発生的な歌の時間のエネルギーをセッションのエネルギーに転化させることで、割合スムーズにこの病棟での音楽のセッションは始められた。

 心理士は空オケの機器持参で、司会役としてお年寄の歌の時間のお手伝いをするということで集団に溶け込んでいった。一方、著者は《バイオリンを弾く人》として入りこませてもらつた。

 現在は新病棟で保母のスタッフも加わり条件も整ってきているが、当時は病棟の改築期間にもあたり、部屋の条件も音楽のセッションの場としては必ずしも整ってなく、スタッフの数も心理士と著者の二人で、試行錯誤の未、何とかやってきた時分の記録である。

 

セッションの内的な治療横造

 

 老人内科リハビリ病棟でセッションを行う上で、老人病棟、老人ホームでのセッションとはまた違った意味で様々な検討するべき課題があった。

 前記の二つの場と異なり、著者は日常的に当病棟に関わっていなかったし、病棟にセッションに協力してもらえる人員の余裕は無かった。幸い心理士がリハビリとの関わりで病棟に顔を出していたためスムーズに病棟に入りこめた。このようにセッションのスタッフが病棟スタッフ、入院患者と顔馴染みの関係ということは、セッションを展開していく上での前提になる人間関係に深く関係していくことになる。

 

セッションの出前

 スタッフはセッションの出前ということで出張する形をとることになる。病棟のスタッフもセッションの開始時のお年寄への呼び掛けや、忙しい仕事の合問をぬってセッションに顔を出してくれたりして体制が整うことになる。

 どんな立派なセッションも周囲の理解なしには絵に描いた餅にすぎない。セッションはそれと直接関わるスタッフのみならず、これらの縁の下の力持ちに支えられている。

 対象者が入院患者ということや病棟でのセッションということで、それなりの特徴が出てきた。独歩可能なお年寄と車椅子のお年寄が主な対象となった他、寝たきりのお年寄でもベッドに寝たまま上半身を起こした姿勢で参加することが出来た。

 痴呆のあるお年寄が多くを占める老人病棟とは違い、リハビリを目的としている知的レベルが比較的高く保たれている当病棟では、音楽のセッションと言っても言葉によりセッションは大きく動いていく性格のものであった。

 

セッションの外的な治療横造

 

 セッションは毎日曜の午前の一時間、今まで歌の時間となっていた病棟の食堂兼テレビルームを便用することになる。人数をもっと増やすことで今までの歌の時間の参加者の了解をとり、声かけはするが自由参加とした。その結果、平均して入院患者の四十名の約半数が参加するようになり、またその半分が車椅子使用者という具合だった。部屋の廊下に面した側も窓ガラスになっており見通しが良く、ドアを聞け放しにすることでオープンな場とした。

 

臨床に根ざした観察の眼

 セッションの内容も空オケとバイオリン演奏から、徐々にプログラムを作って季節の話題の盛り込み、体操と多彩にしていった。

 ここに、毎回の参加者とスタッフが何事かをやり遂げようという意気込みというか息遣いを感じ取っていただけたらと思う。

 永い経過のうちには様々な出来事が起こり、スタッフはその一つ一つに試行錯誤の未、何とか対処してきた。スタッフはそれらの経験をこのような形にまとめて反省と今後の方針を立てていく材料にしようと考えた。そこには本書で展開された治療構造論的見方の現実のセッションへの適用が認められると思うので、読者も臨床に根ざLた観察の目を持つためのための、何程かの参考にしていただけたら幸いである。

 なお記録はセッションがある程度軌道にのったある一年からとったものである。

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