3月
《記憶》
〜半世紀前の歌と一週間前の出来事〜
今月の歌は「カチューシャ」である。○○さんが話題を提供してくれた。
自分が覚えていたこの歌の一つのフレーズに、《カチューシャ可愛や》という言葉があり、ずっと「カチューシャって何かな?」と思っていたと話す。人間、半世紀以上こだわりを持っているということは大したことだ。
一週間を経て‥‥
あの○○さん、今月の歌を忘れている。会話の内容も。
ここではちょっとした会話の一言がきっかけで唱歌を歌いだしたり、今現在の出来事、行事から若い頃の出来事を重ね合わせたり、記憶の不思議な一面をみせる。このかすかな記憶も無くなったらどのように生きていくのだろう。
ここのお年寄は毎週集まって、歌って、語って、その日の経験がまた記憶として僅かでも蓄積されることになれたら良いと思う。
家族の面会があって退席する人もいる。残ったお年寄と頑張ってセッションを盛り上げる。思うにこのセッションは休日でも面会がない人たちの《楽しみの場》の機能も果たしている面もある。
一方でセッションが終わるまで面会を待っている家族もいる。スタッフが関わっていることで、《治療の場》としての側面を感じているのだろうか。
○○さんが二月までは点滴を打って個室にいたのに、先週から大部屋になり今回はこのセッションに自ら車椅子で参加している!誰が聞いても音程は滅茶苦茶だが、皆笑いながら「今日は快気祝いだ」と言って拍手する。
よそ行きのお出かけ気分で参加
○○さんがつかまり立ちで廊下まで出てきてくれた。パジャマじゃなくて、きれいなブラウスとズボンをはいて!何かうれしくなりますね。よそ行きのお出かけ気分で参加してくれるなんて。
歌詞を一生懸命壁ぎわにまできてノートを写しとっている人。私たちスタッフの意気込みも、同じようにいつまでもこうありたい。歌詞の成立の背景、地名の場所もしっかり予習しておかなければ。
選曲には季節、天候、気分、話題性、音楽性、歌いやすさ等々、奥深いものが関係していると思う。歌ってみて初めて見えてくるものもある。もちろん、その場に参加しているお年寄、スタッフの人間性も垣間見ることが出来たりして‥‥。