10月
今月の歌は「赤とんぼ」。「子供の頃を思い出す」、「家の近くに山があって、そこから空が見えなくなるほど赤とんぼが飛んで‥‥」と話題に花が咲く。
司会者の独り言
「赤とんぼの先生」とお年寄が私のことを言ってる声が聞こえた。そういえば今月の歌は赤とんぼ。「私は赤とんぼの先生なのだなあ‥‥」なんて陰で聞いていておかしくなった。河合先生の姿を見つけるやいなや○○さんが、「バイオリンの人来た!」。毎日曜日にやって来る人は、《バイオリンの人》なんですね。
あのバイオリンを弾く先生、赤とんぼの先生もここならではのものかも。
─セッションにおける役割は、司会役みたいに自らこういう役割をと意識して演じる場合もあれば、時に思いがけない役割を与えられて演じる場合もあるわけですね─
ついでに一言。バイオリンを弾く場所って大事ですね。この部屋は響きますね。良い環境で弾いて、自分の音を聴くってことは大切ですね。
終わり良ければ全て良し。セッションの終わり、バイオリンの伴奏で全員「夕焼けこやけ」を歌っていた時、偶然廊下を通りかかった演歌のうまい年配の男子職員が、手拍子の身振りで無言で登場。そして笑みをたたえて静かに退場。役者の登場で何か絵になる光景でした。「歌声にひかれてつい参加したくなりました。日曜だから皆楽しみにしているんでしょう」とは本人の弁。
送る言葉
いつもリーダー格で皆の先頭でやっていた○○さんが亡くなる。○○さんのいない音楽のセッションの時間は寂しい。「星影のワルツ」を歌って在りし日を偲ぶ。□□さんが代わりに率先してマイクを持って歌ってくれた。
「遠くで祈ろう幸せを。今夜も星が降るようだ‥‥」
仲間の突然の《死》。「今でも生きているような気がする」と言う△△さんの言葉は、誰もが同じに抱く想いを代弁しているのであろう。それでも△△さんはいつものように参加して、セッションが終わると片付けを手伝ってくれた。今日の空オケを口ずさみながら階段を降りる△△さんは相変わらずの△△さんであった。
空オケの曲と話題。本当に間際になってピーンときたテーマに決めるが、それだけにやりがいがある。
好評だったテープは食事の前とかにも流したい。
○○さん、今日は早くからセッションに参加する準備をしていたのか、ベッドの上で起き上がって廊下の方を向いて待っている。迎えに行くと髪を二、三度とかし車椅子へ!
少ないスタッフとやる気満々の参加者。このセッションの場は器材運びに始まって、場の設営、司会、歌詞読み、演奏、参加者に対する働きかけ、記録と役割を多くこなさなければならないスタッフと積極的にセッションに関わってくる参加者との交歓の場となっている。それだけに療法として成立する萌芽がここには見出される。それを大事に育てていきたい。
「里の秋」の場面になると皆懐(なつ)かしい思い出でいっぱい。寂しいような静けさ、冷たさ、もしかしてそんな思い出がよみがえる里の秋。囲炉裏(いろり)、かまど、栗と話題は尽きない。きっと足からしんしんと冷え込んでくる想いと重なるからかもしれない。
「里の秋」に出てくる、「椰子(やし)の実(み)」はラバウル島からだろうとか、戦争体験と重なってくる。そんな歌覚えたくないと、○○さんが発言する。息子を戦争で亡くした○○さんの感情を深いところで受けとめることが出来たらと思う。
山からの風に秋を感じてセッションを終わる。
こだわりと人間味
司会者は今日は何か異常に、「銀座カンカン娘」にこだわっている。時代を越えて心の琴線に触れるものがあるのだろう。
《音楽のセッション》を通してお年寄はお年寄の、スタッフはスタッフのそれぞれの人生を噛みしめ、人間味をだしていく。
《小さい秋みつけた》。歌詞に、《もずの声》とあるが、○○さんが、「もずの高鳴き‥‥これを聞くと雪の降る前触れ」と発言する。