2001年2月のある暖かい日。普段お世話になっているお取引会社の方々と奈良大和路・西の京へ行って参りました。
大阪に来てから約9年。初めて行く奈良・歴史探訪の旅です。(2001年2月25日更新)


薬師寺
薬師寺は天武天皇により発願(680年)、持統天皇によって本尊開眼(697年)、更に文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成を見ました。その後、平城遷都(710年)に伴い現在地に移建されたものです。大池ごしの風景はあまりにも有名。創建当時の伽藍は東塔のみ。金堂をはじめ、西塔などは、竜宮造りと呼ばれた当時のままに再建されています。(世界遺産)

近鉄西の京駅を下りてすぐのところにある薬師寺。最初に土産物屋の中を通り、本伽藍の連絡口を通ると目の前にはいきなり工事中の大講堂が(!)。回廊の脇をしばらく歩くと東院堂が現れます。そこで早速おみくじ。吉...。正月に故郷の神社でひいたおみくじは大吉だったのに。中門をくぐると目の前には有名な金堂(下写真中央)が。創建当時の伽藍は東塔(下写真右)。竜宮造りに再建された西塔(下写真左)。金堂ではお坊さんがジョークを交えながら、薬師寺について解説してくれました。(内容はほとんど忘れましたが。)ところで薬師寺では2001年12月31日(月)まで、平山郁夫画伯による「玄奘三蔵院伽藍 大唐西城壁画」が公開されています。高さ2.2m、長さ49mの巨大壁画は見るものを圧倒します。

薬師寺・西塔  薬師寺・金堂  薬師寺・東塔

薬師寺のホームページ:http://www.nara−yakushiji.com

薬師寺から奈良市が制定した「歴史の道」を北へ徒歩10分。次は唐招提寺です。

唐招提寺
唐招提寺は唐の高僧鑑真大和上によって創建(759年)。鑑真和上は聖武天皇の懇請に応えて来朝を決意。12年に及ぶ辛苦の末、伝律授戒を果たされ、大和上の称号を賜りました。のち我が国唯一の戒律専修道場として唐招提寺が創立されました。以来1200年以上に渡って、律宗総本山として法灯を今に伝えています。創建当初の姿を伝える金堂は代表的な天平建築です。(世界遺産)

入口である南大門をくぐると目の前には堂々雄偉の金堂が...なかった。金堂はなんと平成21年(!)6月まで修理解体予定ということで工事用外壁にすっぽり隠されていました(下写真左2枚)。ならば鑑真大和上像を、と尊像を安置する御影堂へ...なかった。鑑真大和上像は、2001年3月25日(日)まで東京都美術館へ出張中とのこと。しかし境内には昔、社会科で習った建物がありました。校倉です(下写真右)。なんでもこの校倉、756年成立の正倉院宝庫よりさらに古く、我が国現存最古の校倉らしい。これだけでは唐招提寺に来たという記念にはならないので、「唐招提寺」と彫られた岩の前で記念写真(写真中央右)。ちなみに、この岩は歴史的に価値あるものでは...全然ありません。

唐招提寺・金堂修理解体のお知らせ 修理解体中の金堂 唐招提寺で記念写真 唐招提寺・校倉

垂仁天皇陵

再び歴史の道を北へ。次の西大寺まで徒歩30分。これが辛かった。つくづく寄る年齢には勝てないと実感。(情けナイ!)途中、垂仁天皇陵をバックに記念写真。全長227mの前方後円墳。濠に浮かぶ小島は、不老長寿の果物を探しにいった田道間守(たじまもり)の墓と伝えられるって言っても、この写真じゃ分かりませんね。次は西大寺です。

西大寺
西大寺の創建は764年、称徳天皇が鎮護国家と平和祈願のために、七尺の金銅四天王像の造立を発願されたことに始まる。造営は765年から780年頃まで続けられ、広さは約48ヘクタールに及ぶ広大なものだった。文字通り、東の東大寺に対する西の大寺にふさわしい官大寺だったが、たび重なる火災で焼失。東塔跡の基壇と礎石だけが面影を残す。

本堂の前で記念写真(下写真左)。本堂の中には、本尊釈迦如来立像や文殊菩薩騎獅像及四侍者像、弥勒菩薩坐像などがありましたが、当然撮影禁止。他に見るべきものと言えば、東塔跡の基壇と礎石(下写真右)。でもこれって、見て感動する?今度は東大寺へ行こうっと!

西大寺・本堂  西大寺・東塔跡

さあいよいよ次はラスト。お世話になった歴史の道とは別れを告げ、大和西大寺駅前の商店街を通り、丹波屋のだんごを頬張りながら、着いたのは平城宮跡資料館です。

平城宮跡資料館
正式名称は「奈良国立文化財研究所平城宮跡資料館」。発掘調査の段階を示したジオラマ模型や朝集殿、佐伯門の復元模型をはじめ、土器、瓦、木簡などの遺物を展示。建物遺構をそのまま保存した遺構展示も必見。ボランティアの方が、展示物について丁寧に説明してくれる。

歩き疲れていたのか、それともボランティアの説明に催眠作用があったのか、あるいは館内がほどよく暖かかったからか。館内のソファーで眠ってしまいました...。でも発掘調査に関する展示は興味深く、木の年輪など様々な方法で時代を割り出すなんて、面白かったです。もう一度機会があったら行ってみたい。

焼肉「鶴一」で記念写真

これにて奈良大和路・西の京の旅は終わり。近鉄で鶴橋に戻り、皆さんと焼肉。食べ過ぎて、腹がいっぱい。包んでもらった残りの肉は、次の日しっかり食べました。(^^;)どんなに食べても、次の日には腹は減るものですねえ...。

という訳で皆さん、お疲れさまでした!

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