衣川(2009年10月25日)
少し間があいたが、8月の旅行の話を書く。
旅行の最終日には平泉を訪ね、衣川へも足を伸ばした。中尊寺は多くの観光客で賑わっていたが、衣川まで足を伸ばす人はほとんどいない。田んぼの真ん中にある長者が原廃寺跡は無人だったが、ポストに備え付けの充実した資料から地元の熱い思いが伝わってくる。遺跡見学後に訪ねた旧衣川村の展示施設も貸し切り状態で職員の方との話がはずんだ。
「土地の歴史がこんなに奥深く面白いことに、この歳になって気づいた」という。「高橋克彦先生の小説は読まれましたか」ときかれたので、『炎立つ』や『火怨』を夢中になり、青森県の十三湊遺跡を訪ねたことがきっかけで、東北の歴史に魅せられたことを話した。
最近、衣川では接待館遺跡など重要な遺跡の発見が相次ぎ、史跡指定の期待に湧いているといい、詳しい資料のコピーもいただいた。先日も関西から藤原経清公のファンが訪ねてきたといい、ここ数年、東北の歴史のファンの輪がじわりじわりと広がりをみせていることは嬉しい限りだという。さらなる東北歴史ファン開拓を誓い合って施設をあとにした。
日も傾きかけてきたのでちょうど来たバスで平泉に戻り、金鶏山への坂道を登ると地元の方が親切に道を教えて下さった。別れ際にひとこと「外国人も多いでしょう。でも何が分かるんだか・・・。」その人なりの照れの表現だと思った。ふるさとへの誇りや愛情がにじみ出ているようでなんだか心が温まった。
山道で考えた。確かに平泉の歴史は奥深すぎて日本人の僕でも分からなくなることがある。学術的に未知の点も多い。宿のご主人の見立てでは世界遺産登録は無理ではないかというが、ユネスコの役人にいとも簡単に理解されてたまるかという思いも何となくある。
三度目の平泉であったが、前回と同じものを見ても、前回とまったく違う印象をもった自分にも驚いた。何年か後にぜひまた訪ねたい。そう思って平泉の駅をあとにした。
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