The Days Of Wine And Roses

The Days Of Wine And Roses

基本データ

  • 作曲年:1962年
  • 作曲:Henry Mancini (1909-1976)
  • 作詞:Johnny Mercer (1924-1994)

参考音源

Oscar Peterson / We Get Requests (1964)
映画の公開から2年後の録音。やや速いテンポでスウィンギーに演奏している。きーはF。
The Tony Bennett-Bill Evans Album (1975)
ふたりの共演盤。キーはF。
Bill Evans / Affinity (1978)
Toots Thielemansと共演した盤で、ベースはマーク・ジョンソン。キーはコーラスの前半がFで、後半にA♭に転調する。Evansは亡くなる直前の録音でもこの曲を何度も演奏しているが、この転調のアイディアが活かされている。

曲目解説

同名の映画の主題歌で、Moon Riverと同様、ManciniとMercerのコンビで作られた。

歌詞について

この映画は、テレビドラマPlayhouse 90を原作としており、アルコール中毒問題と立ち直りの難しさが主題となっている。

そして、多くの記事が指摘しているところによれば、タイトルはErnest Dowsonの詩からつけられている。

詩と歌詞にも共通点がある。

この詩には、

酒とバラの日々は長くない。
淡い夢からさめて
道はしばらくのあいだ開き、そして閉ざされる。
夢のなかに。

という一節がある。

一方、歌詞には

酒とバラの日々は、遊んでいる子どものように笑いながら逃げていく。
未開の地をとおり、今にも閉じようとする扉に向かうように。
扉はかつてそこにはなくて、「二度と開かない」と書かれてあった。

とある(どちらも拙訳。素人なので酷い訳だ)。

「道はしばらくのあいだ開き、そして閉ざされる」というあたりが、歌詞の「『二度と開かない』とかかれてあ」り、「今にも閉じようとする扉」とイメージが重なる。

野暮を承知で素人の解説を試みるならば、アルコールは大変魅力的なものである。ただし、魅力に誘われるまま度を越してしまうと、アルコール中毒になってしまう。これは道の先(あるいは扉の向こう)が、象徴している。そして、道が「閉ざされる」あるいは、扉が「二度と開かない」とは、向こうに行ったら最後、二度と戻ってくることができないことを暗示している。

メロディとコード

キーをFとして説明する。

1-4小節目

Henry Manciniによる演奏をきく限り、オリジナルはFmaj7 | E♭7 | D7sus4 | D7 | といったところだろうか。

ジャズ演奏の場合、3-4小節目に似たコードが続くことを嫌って、Am7(♭5) | D7 | または Am7 | D7 | とすることが多い。Am7のほうがダイアトニック・コードで本来なら普通に響くのであるが、直前の小節がE♭7で、E♭音をルートに持つために、EがナチュラルにならないAm7(♭5)のほうがより自然に響き、Am7のほうがすこし意外性をもつ響きになる。

どちらを選択するかは好みの問題である。

5-6小節目

原曲も含め、普通Gm7である。ただし、Gm7 | Am7 | としている楽譜があり、実際そのような演奏も少数ながらあるだろう。個人的な好みをいうならば、たまに機転でAm7を挿入するなら構わないが、毎回Am7を指定されるのはうるさい感じがする。ただし、コンセプトやテンポによっては、たいへん効果的になる場合もあるだろうから一概にはいえない。

7-8小節目

サブドミナントマイナー、すなわちB♭mである。ただし、メロディがAの音から始まるので、テーマのときはコードを無批判にB♭m7としてしまうとメロディと衝突してしまう。

なお、サブドミナント・マイナーB♭mにはしばしば代理コードE♭7が後置され、また全体をE♭7で置き換えることもある。

9-10小節目

オリジナルではAm7 | Dm7 | であるが、Fmaj7 | Dm7 | でももちろん構わない。ただし10小節目がD7は誤り。

Bill Evansは、トニー・ベネットとのデュオのアルバム(1975)で9小節目の後半をEm7(♭5) A7としており、またToot Thielemansと共演したAffinity(1978)ではソロのコーラスに限り9小節目の後半のところで一瞬A7を演奏している。そして、亡くなる直前の1980年の一連のトリオの録音ではA7になっている。3拍目のA7はストレート・メロディとは衝突するが、メロディがフェイクされているので気にならない。全体の流れのほうを優先していると思われる。

一般化すれば、IIIm7 (Imaj7) – VIm7 の間に、III7を挿入しているわけだが、この処理は何かと応用範囲が広いように思われる。いずれ機会をつくって少し掘り下げて考えてみたい。

11-14小節目

マンシーニ自身の演奏によれば、Gm7 | Gm7/F | Em7(♭5) A7 | Dm7 G7 | のようになっている。

一方、Gm7 Gm7/F | Em7(♭5) A7 | Dm7 | G7 | という演奏もある。ワークショップ開催とは別の機会にYou Tubeなどから30テイクくらい集めてサンプル調査をしたことがあったがほぼ半々だったことを覚えている。

ストレート・メロディとも衝突しないので、どちらも誤りではないが、両立しないので、演奏するときにはどちらか決めておくほうがよいだろう。私自身、セッションなどでこの曲を演奏するときにピアニストやギタリストの動きに「どちらかな?」と注目することが多いが、相手も探りを入れていることが多く、どちらかわからないこともある。

15-16小節目

Gm7 | C7 | で構わないが、Evans(1978)はGm7 Am7 | B♭m7 E♭7 | としてA♭に転調している。

27-28小節目

Bm7(♭5) | E7 | または、E7をトライトーン代理に置き換えて、Bm7(♭5) | B♭7 | とする。マンシーニの録音では最初から後者になっている。

これを一般化すれば♯IVm7(♭5)-IV7という進行になるが、♯IVm7(♭5)に続く、IVをルートとするコードは、ほかにIVm7(IVm6) やIVdimがあり、メロディその他によって厳密に決まることがほとんどなのでしっかりと把握しておきたい。