嗚呼!憧れの ” カンプノウ  ”



ロッカールーム


インタヴュー室

開場前
練習風景

埋まり始めたカンプノウ

開始直前

 CL出場権確保!歓喜のなだれ込み
PHOTO BY K-TAKAHASHI

2000〜2001年はタイトルがひとつも獲れず、踏んだり蹴ったりのシーズンでした。
38節最終戦で来季のCL出場権を賭けてバレンシアと直接対決。
リヴァウドのバイシクル決勝点を含めたハットでかろうじて出場権を取りました。
日本からもこの試合の観戦に出掛けられた方がおられます。アア羨ましい!
私も年金生活に入ったら真っ先にこのスタジアムに行きたいと思っています。


CL出場権確保位で大騒ぎするクラブじゃない筈だけどね、、、トホホ。
                               
平成十三年 文月


久保竜彦 の 憂鬱 (一)


其の後、代表10番をつけた久保竜彦 平成十二年八月吉日

代表デビュー、エジプト戦のことである。
自陣左サイドでボールを奪取。一気にカウンター!
久保の得てなパターン、案の定中央少し右寄りで
相手ディフェンダーを振り切りフリーの状態、
手を上げてボールを要求する。

しかし、ボールを獲った選手は
久保にボールを出さなかった。久保にボールが
出ていれば、かなり高い確率で点が
入っていた。

初選出で信用されていなかったのだろうか?

この時、点が獲れていれば、一気に覚醒!
決定力不足に悩む、
日本の救世主になり得たかもしれない。
日本にとっても久保にとっても、不幸だったと思う。

                   平成十一年 水無月


久保竜彦 の 憂鬱 (ニ)













久保竜彦は節目々で怪我に泣かされる。

’97.8.23京都戦、この日既に1得点を決め、2点目を狙って
ペナルティーエリア内をドリブルで切り込む。キーパーを置き去
りにしたと思った瞬間そのキーパーに足を掴まれ、スピード
にのっていた久保は転倒し左足を捻挫。
キーパーは当然一発レッド!

久保のスピードについて行けなかったキーパーが
抜かれたことに、理性を失ってしまった。

不幸な事にこの時点で7得点と好調だった久保は
このシーズンを棒に振ってしまう。


’99年、シーズン初めのトレーニングが思う様に出来ず、
このシーズンは最初から右膝(炎症)痛に泣かされる。
キリンカップ、コパアメリカは代表に召集されたにも拘らず、
膝痛の為、辞退!

’98年エジプト戦でデビューして以来、代表経験を積む事が
一番の課題だっただけにこのチャンスを逸した事は久保に
とっても日本に取っても不幸だ。


’99.10.30鹿島戦、4人の選手に囲まれながらもドリブルで
突破しようとしていた時、中の一人に故意に蹴られ右脚ヒ骨を
骨折。

この段階で得点王のチャンスがあっただけに悔やまれる。
それから半年、選手生命の短いフットボール選手にとって、
とても貴重な時間を浪費する事になる。
平成十一年霜月


               久保竜彦全記録
976.6.18 福岡県生まれ A型 181cm 74kg 前所属 横浜FM 現所属 横浜FC 代表歴 日本代表

年度

日本
代表

リー
グ戦

天皇
他公
式戦
チームの
監督と順位
備                 考
試合 得点 試合 得点 試合 得点 試合 得点

1995

0 0 0 0 0 0 0 0 ヤンセン
(14t)
1st10位
2nd12位
攻撃的MFとして入団。 出場機会無し。

1996

0 0 22 2 3 0 10 4 ヤンセン
(16t)
14位

後半10〜20分程度の出場が殆ど。
10/2 C大阪戦で2得点、。

1997

0 0 22 7 2 0 5 1 トムソン
(17t)
1st10 位
2nd13位
高木やアーノルドとの交代で途中からの
出場が多かったが、7節以降先発。
8/23左足捻挫、シーズン中完治せず。

1998

1 0 32 12 3 2 3 0 トムソン
(18t)
1st13位
2nd 9位
年初、高木、路木、森保等の主力を放出。
一気に久保への期待、が増す。
10/28エジプト戦【31分】でA代表デビュー

1999

1 0 25 13 0 0 4 1 トムソン
(16t)
1st 6位
2nd 8位
シーズン前の調整が上手く行かず年間
とおして右膝痛、キリン、コパ代表辞退。
9/8イラン戦【27分】出場。
10/30右脚ひ骨骨折。

2000

6 0 24 11 2 1 3 0 トムソン
(16t)
1st10位
2nd11位
4/19山形戦(リーグカップ)で骨折以来約半
年振り
の公式戦出場。
(リーグ戦は8節4/22東京戦より)

6/6モロッコ【20分】6/11スロバキア【5分】
6/18ボリビア【11分】
8/16広島UAE【45分】
10/8 パリサンジェルマン
10/20カタール戦【45分】出場。

2001

2 0 30 15 2 0 6 4 ヴァレリー
1st13位
2nd3位
今シーズンは体調万全でシーズンイン。
新監督は3トップを採用。
日本代表では3/24フランス【30分】
7/4ユーゴ戦【13分】出場。

リーグ7000記念ゴール。自身通算50ゴール

2002

6 0 28 7 4 2 0 0 ガジエフ
木村孝洋
小野剛
1st15位
2nd14位
【年間15位】
2部降格

代表3/27ポーランド【36分】
4/17コスタリカ【3分】

4/29スロバキア【23分】
5/2ホンジェラス【21分】

5/7レアルマドリ【45分】
5/14ノルウェイ戦【45分】出場。

5/17,ワールドカップへの代表選出
から漏れる。

5/25アイルランドとの練習試合で得点。

2003

3 2 25 16 2 1 4 0 岡田武史
 1st1位
 2nd1位

12/4中国戦【90分】2得点
12/7香港戦【90分】
12/10韓国戦【90分】

2004

6 19 4 0 0 5 3 岡田武史
 1st1位
 2nd6位
2/18 WCドイツアジア一次予選オマーン戦1得点
2/28東アジアCC上海国際戦1得点
4/25 ハンガリー戦【90分】1得点
4/28 チェコ戦【90分】1得点
5/5 ACL ビンディン(ベトナム)1得点
5/19 ACL ペルシクケディリ(インドネシア)1得点
5/30 アイスランド 2得点
6/2 イングランド【45分】
6/9 インド 1得点
9/8 インド【23分】

2005


0 0 10 1 2 4 3 0 岡田武史
(18t)
 9位
2004年夏より腰痛の為出場出来ず。
5/11 ACL山東戦後半30分から出場【15分】
5/25 ACLマッカサル戦【77分】予選リーグ敗退
8/14ナビスコ杯【49分】
左膝蓋(しつがい)じん帯炎が完治せず。
30節1年半ぶり、フル出場。
天皇杯2試合4得点。復活!

2006

6 3 29 5 2 1 4 3 岡田武史
水沼貴史
(18t)
9位

2/11アメリカ戦【45分】ワントップ機能せず。
2/18フィンランド戦【85分】1得点
2/22アジア杯予選インド戦【90分】2得点
2/28ボスニア.ヘルツェゴビナ戦【71分】
3/5リーグ開幕京都戦【84分】2得点
3/7練習後、持病の腰痛再発。
3/30エクアドル戦【76分】不発、交代の佐藤決勝点。
5/13スコットランド戦【62分】体調万全ならず。

2007

0 0 8 1 0 0 1 0 高木琢也
(18t)
18位
1/16横浜FCに移籍。
2008 0 0 25 2 0 0 2部
ペトロビッチ
(15t)
1位
J2に降格した広島に移籍。
多くは後半途中から出場。
広島1部復帰
2009 0 0 2 0 0 0 0 0 ペトロビッチ
(18t)
4位
1シーズン振りの1部。
ペトロビッチに全く使ってもらえず・・・
2010 0 0 27 9 2 0 0 0 JFL
上野展裕
(18t)
9位
JFL ツェーゲン金沢へ移籍。
2011 0 0 23 6 2 0 0 0 JFL
上野展裕
(18t)
7位
2011シーズン終了後退団。
2012.4.6引退。今後は広島県内のクラブでコーチとなり、普及活動にも携わる。お疲れ様でした、久保竜彦。

合計

32 11 351 112 28 12 48 16 *代表戦30試合中レアルマドリ、パリサンジェルマン戦は 国際A マッチに該当しません
2012.4.6

2002日韓W杯を目指した久保竜彦の400分 平成十四年 皐月
2002日韓ワールドカップを目指して、1998年のエジプト戦から2002年ノルウエー戦までのトルシエジャパン
15戦、出場合計400分。得点0。夢は4年後まで先送り。


GOOD- BYE ! 久保竜彦  平成十五年 睦月
2001年シーズン終了後ヴァレリー監督の突然辞任、後継ガジエフで失敗。2002年広島は2部降格となった。
自身の為に環境の変化を望んだ久保竜彦は横浜に移籍。潜在能力が広島で覚醒する事を夢見て8年。
夢は叶わないまま終わった。 GOOD- BYE  久保竜彦。


久保竜彦の憂鬱(三)   平成十八年 皐月
2006ドイツワールドカップ、、、無念、、、夢は再度、4年後まで先送り。




フットボールとナショナリズム

”地元びいき” と言う言葉があります。 いわゆる
”ナショナリズム” 、、、です。

私は広島が好きなのですが、 それは多分、生まれ
故郷に在るチームだからでしょう。
日本代表もまた生まれた国のチームだから
好きなのです。

それは、自分の生まれた土地や、国、人種、民族等
に由来するようです。

時々例外もあります。私は98年フランス
大会のオランダチームが好きになりました。
オランダと云う国に特別な思い入れがあるわけでは
無いのですが98年のオランダチームでなくては
ならないのです。

スペインにバルセロナと言う街がある。
詳しい歴史は知らないが首都マドリッドに凄まじい
対抗意識を持っている。

その街のクラブが98/99年リーグで優勝した。
それ以前、その街の人達に愛されていた選手を
沢山放出し、オランダから代表選手を大量に補強。

結果主力は殆どオランダ人選手である。
そして熾烈なリーグ戦を戦ってマドリッドのクラブ
に競り勝って優勝。

そこで,街の人の反応である。自分の街のチーム
だが主力選手が殆どオランダ人と言う事で戸惑った
に違いない。
シーズン途中、成績不振の時は相当なバッシング
だった様である。
チームはその時もさらにオランダから実力のある
兄弟選手の入団によって助けられる。
そして、優勝、、、。
街の人はたいそう喜んだそうである、、、。

クラブチームのナショナリズムは、実に曖昧だ。
                   
平成十一年 晩夏