2002/07/09花森安治

一週間ぐらい前から、その人の名前を思い出したくてず〜っと考えていたのですが 昨日、思いがけず日経新聞の「春秋」の中にその名前を見つけました。「暮らしの手帖」の 編集長、花森安治さんです。「春秋」には、郵政改革について、かれが1967年にすでに 先見的意見を述べていたという主旨のことがかかれていました。

私は非常に早熟な子供で、小学校2年生から「暮らしの手帖」が愛読書でした。 おそらく、私は非常な影響を、彼、「花森安治」さんから受けていると思います。 あの頃は子供だったから、編集長というものがどういうものかは知りませんでした。 そして、その雑誌が花森安治氏のわんまん的影響力の下に作られた雑誌であるということも もちろん知りませんでした。でも、花森氏が亡くなったとき、その編集後記に載せられた 氏の思い出を語る文章を読んで、私が感銘を受けていたのが実は氏の考え方であったと 知ったのです。「一銭五厘の旗」という詩は、空襲で焼け野原になった街の写真と一緒に 掲載されました。細かい言葉は忘れましたが、「僕ら一銭五厘の葉書で徴収された」という 意味でした。一井の市民としての戦争を、絶対に後世に伝えなくてはいけない。戦争は 支配者が行うが、実際に苦しむのは市民である。という意味のことが長々と歌われていました。 彼は「戦争の暮らしの記録」という本を残しました。そこには本当に普通の人がどんなふうに 毎日の生活をすごしたか。空腹の話。疎開先で、お手玉に親がこっそり入れてくれた 炒り大豆を便所でこっそり食べ、お腹を壊し、でもお腹をこわしたことがわかると それを理由に少ない配給の食糧まで分け前がなくなるので、下痢したことがばれないように 便所に行くこと。またそれを知っていて、聞き耳をたてる仲間。など、小学校低学年の 自分と同じ年頃の子供がそうやって暮らしていたなど、あまりにも子供心に衝撃的でした。 でもそれは、彼のほんの一部分で、「お金よりセンス」というものの考え方。 リサイクル、コーポラテイブハウス、デポジットなど、そのころ誰も知らないような こともすでに30年前に提案されていました。