| 2002/08/06 | 原爆記念日 |
|---|
|
今日は原爆記念日でした。自分自身はいつ原爆のことを知ったのだろうと
記憶を辿れば、おそらく、小学校の2,3年生。自分で新聞が読めるように
なってからでしょう。我が家は朝日新聞でした。大人になって他の一般誌を読むようになって
から気がついたのですが、朝日新聞の論調は少し感情的です。記事の書き方が少し
情緒的というか、でもその分、子供の心にはとても衝撃的でした。原爆記念日、
終戦記念日が来るたびに載せられる、体験者の手記。どれもこれも悲しくて
涙無しでは読めませんでした。
でも不思議です。私が10歳の頃、私の両親はまだ30台の半ば。私自身が30台の半ばの頃は 子供時代なんてついこの間のことのように、身近に記憶されていました。両親にとっては その子供時代が戦争なのです。つい最近のことではありませんか。なのに平和な時代に 生まれて育った私には、すでに見知らぬ過去の、自分とは直接かかわりのない世界での できごとでした。 神戸の大空襲で、母の祖母はゆくえしれず。九州に疎開しているときは傘も下着の着替えもなく 洗濯している間は裸で炬燵に入っていたとか、傘がないと学校に行けなかったが、恥ずかしく そのことが言えなかったとか、うまればばかりの赤ちゃんの配給の粉ミルクをこっそり なめていたら、それを見た祖母が泣いたとか、道端に生えていた雑草を食べてお腹を壊したとか。 でも、子供心に一番恐かったのは、戦争が始まったら、お父さんが徴兵されて いなくなってしまう、ということでした。「大丈夫。お父さんはもう若くないから。 もっと若くて元気な人を戦争には連れて行くのよ。」と母に言われほっとした思い出があります。 子供の頃、戦争にかかわる本を読むたびに「平和である」「自由である」ということを 昔の人たちがどんなに切望していたかがよくわかりました。そしてその度に 「平和で自由である」今がどんなに幸せなのかと、思い、またその「平和で自由」な 時代がいつ、どんなきっかけで崩れるかもしれないと、空恐ろしく感じたものです。 幸運にも「平和で自由な時代」に生まれ、育ち、また子供を育てることが出来ました。 これは、とてもラッキーでありがたいことだと感謝しています。 |