| 2002/10/17 | 24年の歳月 |
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北朝鮮から帰ってこられた人達の画面を見て、もらい泣きした人もきっと
多いと思います。「24年前の姿が頭に焼きついているので・・」という科白を
何度か聞きました。
私には、それはとても良く分かりました。つい去年に何度もそういう体験をした からです。出身高校の東京支部総会の幹事を引き受けたきっかけで、まさしく 高校卒業後、25年ぶりに再会・・というのを何人も経験したのです。 それこそ、高校時代の印象が頭に焼き付いており、それはまだみな初々しい 少年、少女。でも、目の前に現れるのは、みな子供を育て、仕事をこなしてきた 大人なのです。やはり25年というのは長いです。 でも、これまた不思議なのですが、ものの2時間もわいわいおしゃべりしている うちに、あっというまに最初の違和感は消え去り、今の当人の姿をとても ナチュラルに受け入れているのです。 25年というのは一つのサイクルだと思います。今は晩婚になったので あてはまりませんが、一昔前ぐらいだと、25年で自らが親となり 育ててもらった人間が、新しい世代を育てる・・まさに世代のひとサイクルが 調度、25年ぐらいだったと思います。 だから、帰ってきた人達の子供は、みな、拉致された頃の本人の年齢に 近づきつつあり、その中にも24年の歳月の長さを感じます。 以前にも、この日記に書いたことがありますが 「死ぬというのは2度と会えないということだ」と今回も又、強く感じました。 生きていれば会える可能性がある。でも、死んでしまった人には「絶対に」会えない・・ 地村さんが、亡くなったお母さんの位牌の前で、どんなに無念だったか・・ 生きて会えるときは、だれといる時でも大切にしなくてはなあ、と思いました。
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